弐話 青(合悪)
ボクたちが勉強を学びに足を運ぶ高等学校は、盆地と山の間にある場所だった。
まあ、そんなわけであまり多くのクラスに別れていない。実際、多くの高校はきっと四クラス以上はあるだろうけど、ボクたちの学校は三クラス。ボクたち――回帰人折、能登歩美、剥沼解夢の三人は全員が三年三組だ。
三年生。
つまり、ボクたちは今受験生というとても大事な局面にいる。でもまあ、まだ春だ。そこまで大事な局面かと問われればそこまでではないんじゃなかろうか――とボクは思う。
今日は、解夢が早く来たため、いつもより早く登校している。
それが不幸を招いた。
玄関で上履きに履き替え、移動。
三組の教室にまで適当に解夢たちと談笑しながら歩く。
ちなみに、ボクたちの高校は少子高齢化の影響を受け、二年生と一年生には三組はなく、二組まで。なので、ボクたちの教室の下の階ともう一つ下の階は空き教室だ。
教室にたどり着くと、ボクたちは異様な光景を目の当たりにした。
「なんだよコレっ!?」
解夢が驚く。無理もない、ボクも驚いたんだから――この情景に。
教室中が、青だった。
青が一面――否、青が全面の教室だった。
赤を塗りつぶす青。
緑を擂り潰す青。
黄色を殺す青。
空色を隠す青。
紫を掻き消す青。
橙を無かったことにする青。
翡翠を埋め尽くす青。
藍色を動かす青。
朱を縛った青。
黒を塗りつぶす青。
闇になりうる青。
藍鼠を勤しむ青。
青鈍の蠢きを絶無にする青。
肌を隠しきれる青。
蒼より青い青。
すべてを塗りつぶし擂り潰し破壊し尽くし、調整という調整を崩壊の産物足らんとさせるほどの、異常な超常現象ともいえるほどに、異様な教室。
床一面に散らばっている異常な数と言っていいほどのスプレー缶。
それらのスプレー缶の色は、当然青だった。
そして。
ボクたちより先にこの教室にいる存在が一つ――否、一つというにはあまりにも、一つとは言い難い存在。実際に一人しかいないのだけど、それをイチと数えるにはあまりにも不適正――そんな存在。
彼はボクのクラスにおいて、あまりにも歪すぎる。
不と正の境界を捻じ曲げ、全てを混濁させ、有耶無耶に曖昧模糊に――ありとあらゆる境界線をごちゃ混ぜにする存在。
まさに禁忌。
まさに異の中の異。
人間と呼ぶにはあまりにも歪んでいて、全ての規則を蔑ろに消し去り――その瞬間には全ての規則を顕現させる適当加減甚だしい――歪。
容姿で言えば、眼が最も日本人らしくなく、歪だ。
――オッドアイ、その異常さがありきたりな部屋ではアクセント異常の存在になっている。
右眼が赤。
左眼が青。
線対象ではない髪型。
髪先は紫色で、毛根に近づくほど黒くなっている。
あまりにも歪。境界線が不安定、不規則、不正規。
歪すぎて、彼の近くにあるものが、まるで歪んで見えてしまうほど、彼は歪足り過ぎて、歪に特化していて、歪な存在として最も最悪な災厄。
最首人哲。
それが歪の名前だ。
「*やあやあ君たち、おはよう。あれ、みんな表情固まってない? あ、人折くん――いや人折くんたち。もしかして僕がここにいるだけ――ただそれだけの理由で、このスプレー缶で教室中を青に塗りたくった犯人にでも仕立て上げるつもりかい?*」
この状況で、いきなり意味不明なことをさも理路整然としたような話し方をする彼――ボクはそれに面食らう。
この目の前の存在は、まるで人というにはあまりにも全てが歪だ。
例えるなら、そう――コイツは何にでもなれる。歪が故に人格を曖昧にし、正体も曖昧にし、地球の法則そのものを曖昧にするほど――因果から乱れている存在。
本来ならこのシチュエーションで、「僕はやっていない」だとか、そういう反応をするのが普通だ。客観的に自身が最も犯人だと見られる場合、犯人だろうか犯人じゃなかろうが、自分はやってないのだといの一番に質問する。
いの一番に。
すぐさまに。
この、最も犯人だと思えるような状況では、普通の人間なら一目散に――焦りながらただただ否定する。
だが、彼は違う。
彼は、相手の思っていることを――僕たちの思っていることを理解した上で、冷静に、否定したのだ。
並の人間では絶対にできない――それを彼は簡単にやってのけた。ということは当然、逆も――わざと慌てることも可能なわけで、だから彼はなんにでもなれる、そう思わずにはいられない。
ボクは冷静を装いながら、歪である人哲に話しかける。
「……君が犯人だとは思ってないよ。今ボクたち三人がここに来て、君は一人。だからっていきなりこの青に満たした空間の犯人が君だとは、到底思えない。確かに、この教室にいるのは、ボクたちを抜かしたら君だけで、一見犯人のように見える。だけど犯人なら、どこかに隠れるとか――そういう、犯人にされないような立ち回りをとると思う。そう考えるとやっぱり君は犯人じゃないはずだ」
「*だけど僕は歪だぜ? いつだって、天邪鬼のような行為をするかもしれない。なら、僕が犯人だっていう考えもあるはずだ*」
「それでも、絶対に犯人だとは言えない。だから……今すぐ、真っ青に染まったこの教室を掃除しよう」
至極まっとうな思考であれば、今の発言でいいはず。――この教室は青で満たされ、臭いも変化し、異臭と言ってもいいほどに、空間の臭いが変わり果てている。これでは――このままでは授業どころではない。ならば、やはり掃除をして、或いは喚起などもしっかり行って、この面倒な事件の犯人も捜さず、円満に終わってほしい。
「*ま、それがいいよね。僕もちょうど今さっき来たところだし――そうしようと思っていたんだよ。よし、皆で頑張ろう*」
……クラスの中で最も歪な存在――人哲はいつでもつかみにくい性格で、どうしようもなく手に負えない――そんな歪だった。
*****
時間は少し経ち、他のクラスメイトたちがこの部屋に来て驚いていた。
解夢や他のクラスメイトが事情を説明し、みながみな、掃除に協力していた。不思議とさぼっている人はいないと思われる。歪な存在である人哲も、自分を犯人扱いされてほしくないのか、丁寧に掃除をしている。まあ、掃除と言っても青だらけになった空間を雑巾やその他諸々の手法で、元の色を取り戻すために動いているだけなんだけど。
なるべく同行を一緒にするのは、歩美とボク――そして解夢。解夢はボクに話を振ってきた。
「なあ、回帰。お前よくあいつと会話なんてできたな。俺は恐ろしくてできねえよ」
一瞬、よく分からなかったけど、数瞬おいて歪――人哲のことを言ってるのだと理解する。
「ん? ああ、まあね。あいつは歪なだけでそれ以外はある程度常識的な部分は持ち合わせている――だろうからね」
さすがに人哲――歪を、全肯定するのは否定したかったので、無意識にぼかしたが、とにかく、歪は歪なりに常識人なのだ。
彼の存在を端的に表せば、サイコパスの一言で事足りると思っている。意味不明な行動を起こしたりすることはあるけど、それでも彼は少なくとも『殺人系のサイコパス』ではない。あらゆる境界線を有耶無耶にするために、その場その場――どの場さえもめちゃくちゃにする。そこに目的と言えるものは到底存在しないように思える。今回のだって、確かに彼が「*僕は犯人じゃない*」と言わなければ、流れ的に、彼が犯人なんだろうと思ったけど、話し合えばその可能性は低いという結論になった。
目撃者の第一発見者が怪しいというのはよくあるが、それは殺人事件やら殺人未遂のときくらいだ。いくらなんでも、こんな子供遊びみたいな事件で、第一発見者が怪しいというのはお門違いってやつだ。
「ひーちゃん、今回あの人……人っていうとおかしいのかな。アレはいつも存在が変わり続けているようにしか思えないんだよね。今日もいつも通り、誰でもないよ」
突然、歩美がそのようなことを言い出す。歩みが突然、オカシナことを言っていると誰もが一度は思ってしまうけど、ボクから訂正をする機会をいただきたい。
歩美は過去――様々な出来事があり、それによって少しばかり人格に支障が発生した。
そのため、彼女は目で人を判断するのではなく、魂から判定することができる。
人哲という歪は、見た目はいつも変わらない。高校生だから学生服で会う――だから服装は変わらないのは当たり前で、頭髪等も学校側で検査するので、そこまで変化することはない。だから、歪も――人哲も変わらない――目で見る限りは(まあ、オッドアイという、特殊な眼だったり、地毛で髪の先端が明色っぽい紫色ではあるけど。)。
しかし。
彼は変わり続けているのだそうだ。歩美曰く「一日ごとに魂が入れ替わっている。私にはそういうふうにしか見えない」という。
以前――もう一年以上前のことになるが、孤島――有原小島という場所で殺人事件が発生した時に、歩美のその能力――目で相手を把握するのではなく、魂で判別する特性。それが確かなものだと改めて痛感した。そのため、歪は毎日存在が変わっていると考えてしまう。
とはいえ、学校にいる限りでは、彼は至って一つの人格のように思える。いや、彼の人格なんて本当は全く知らないけど、彼は一人の存在だと思う。
「回帰さん、手が止まってますよ」
「あ……、ごめん、委員長」
ボクのことを注意してくれた彼女は、委員長――血野薔薇美だ。可愛いおさげの子――長身でほっそりとした印象を受ける。眼鏡をかけているのが、人気を分ける気がする――正直コンタクトにすればこの学校で一番綺麗だと思う。
まあ、委員長は外見で人気になるのが嫌という話を聞いた気がする。だから彼女は、わざと美貌を隠しているともいえよう。
その代わり――というと、とても失礼ではあるけど、このクラスにはアイドル的存在がいる。彼女は身支度に時間をかけているのか、登校ギリギリなため、今はいないが、名前は折腹杏樹。
彼女は一言で言えば、可愛い系のアイドルである。低身長ながらも、それでも手足はすらっとしており、華奢で綺麗で可愛い――であるがゆえに男子からの人気は高く、学校一の可愛さ。さらに女子からの評判も良い。普通なら男子にもてたりすると、嫉妬ゆえに女子からは嫌われやすいと思うけど、彼女は尽くしてくれるタイプの人間だ。何か困ったことがあれば人助けをする。明るさを振りまき、全員に元気も与えてくれる――もちろん、男女平等老若男女分け隔てなく、だ。そう考えれば、誰からも嫌われる要素はない――そういっても過言ではないほどに、彼女は誰からも嫌われていない。
と、手を動かすのを忘れていた。ボクは青色になってしまっている床を再び拭き始める。
……それにしても今日は中々予定外な日になりそうだ。既に、朝早くに解夢が来て、学校に着いたと思ったらこの異常事態。……何か、最悪なことが動いているんじゃないかと、ボクはどうしてもその考えを否定できなくなる。
ボクは殺人事件に巻き込まれやすい体質――そのようなものを持ち合わせている。それはつまり、ボクの近くにいれば割合的に殺される可能性が高まることを表している。
それなのに。
最近は、ボクの周り――辺りでは殺人事件も何も、奇抜めいた事件は何も起こっていない。有原小島で起こった最悪な殺人事件のあと、ここ一年間、何も起こっていない。
いや、いろいろと後手後手な部分――殺人事件に直面したことによる弊害があるっちゃある。だけど、それは殺人事件によって起きた弊害でしかない。殺人事件とは直接関係ない。
どうして最近、殺人事件がボクの周りで起こらないのか?
考えてみよう。
一つ。ボクは殺人事件に遭うという体質が消失した可能性。まあそれはないだろう。その体質が消えたのなら、ボクは歩美とは一緒にいないと同義だ。一緒にいるということは、つまりはそういうことなのだ。
一つ。実は今現在現実だと思っているこの一年以上の出来事は夢だった。有原小島で起こった出来事以降の記憶、全部が嘘の可能性。ほっぺをつねる。痛い。だから夢じゃないと思う。
一つ……いや、こんなに考えても意味が絶無だ。あまりにも益体のない思考。だからボクはこれ以上考えることを諦め、無心で掃除に勤しんだ。殺人事件なんて言葉、脳みそから抉りだしたいと思いながら。