第16話 三巫蠱の森 前編
2日後の朝、俺達は町の出口で皆からお見送りをしてもらっていた。
「忘れ物わないわねぇ?」
「もう子供じゃないんだから大丈夫」
これから危険な依頼だというのに、母娘の微笑ましい光景に、俺は頬を緩めてしまう。
「コウくんも大丈夫ぅ?」
「は、はい!大丈夫ですよ!」
レーナさんは俺の右手を優しく両手で掴むと、そっと胸まで引き寄せ、心配そうな表情で俺の顔を覗き込むがーー
「はいはい、母さんそこまでね」
レヴィアはこの状況が長引きそうなのを予期したのか、レーナさんとの間に割って入り、俺の手を奪い返した。
「……あーすまない我々もいる事を忘れないでもらいたい」
「ガハハハハハハハハ!」
ダルドさんが申し訳なさそうに言うと、それがウケたのかベルドモンドさんが相変わらず大きな口を開け大笑いしている。
「モテモテだな!ガハハハハハハハハ!ほら俺達兄弟からの餞別だ」
ベルドモンドさんはカゴを取り出し俺に手渡してくれた。ずっしりと重みのあるカゴの中には2種類のガラスの小瓶が入っており、一つは緑色の液体、もう一つは紫色の液体が入っていた。
「わあ、こんなに沢山いいんですか?」
「遠慮なく貰ってくれ。私達にはこれくらいしか出来ないからな」
「ガハハハハハハハハ!そう言うこった!」
「ありがとうございます!」
感謝の気持ちを伝えると、ベルドモンドさんが俺の肩に手を置きーー
「無事に帰ってこい!そしたらまた勝負だ!」
「はい!お願いします!」
俺達は熱い握手を交わす。
「では、行きましょうか」
「おう!」
そうして俺達は三巫蠱の森へと向け出発した。
「それで何を貰ったんだ?」
場の雰囲気もあった為、あの時に「これは何ですか?」とは聞けず、町から離れた今、ようやくレヴィアに聞くことができた。
「あぁ、これですね。緑色が回復薬で紫色が魔力薬です」
異空間収納から取り出したレヴィアは、2本の小瓶を俺に見せる。
「これは……飲めるのか?」
2つの小瓶をよく見てみると、緑色の方はドロッドロッしており、更には蓋が閉まっているというのにドクダミを凝縮たような臭いがする。そしてもう一つの紫色の方は完全な液体のようで、臭いも全くしない。
「ええっと……これでも高級品で……効果も期待できて……皆さんのご厚意でもありますので……」
「……」
「……」
「……そ、そう言えばここから2日程でつくんだよな?」
レヴィアの凄く言いづらそうな態度に、俺はそれ以上聞くことができず、話題を変える事しかできなかった。
「は、はい!次の町までは2日程で、そこから半日程歩いた場所に三巫蠱の森があります」
「なら予定より遅れない程度に、寄り道しながら行くか」
「は、はい!」
何故かレヴィアは頬を赤らめ、俺達は再び歩き始めた。
三日後の夜も明けきらない早朝ーー
「予定より1日遅れですが、無事に町に着きましたね」
レヴィアが凛々しい顔で近くに見えた町を眺めていた。
「……寄り道ってそう言う意味じゃなかったんだけどな」
あれから半日程歩くと、突然レヴィアが「い、良い、よ、寄り道場所がありますよ」と言い出し、良い寄り道場所とは?と思いつつも、レヴィアの後をついて行った。森の奥へどんどん進んで行き、誰も居ないような森の奥へと連れていかれると、突然目の前に土で出来たような小屋が出現し、レヴィアは軽やかに中に入っていった。魔術で作ったものかと安心した俺は、少し休憩か?と思いレヴィアの後を追いかけるように中に入ると、急に小屋の入口が塞がり、真っ暗になった小屋の中にポッと灯ったランタンが浮かんだ。
そしてそこには正気を失った全裸のレヴィアが立っていたのだった。
「誘惑に負けた俺も悪いか……」
「い、いえ、そのような事は決して!わ、私が我慢すればよいだけですので……」
「いや……その……次からは前もって教えてくれてると、嬉しいかな?……」
落ち込んでいたレヴィアは、俺の言葉に笑顔に戻りると「次はあそこで……いや……」と下を向き、ブツブツと独り言を話ながら不気味にニヤけている。
「でどうするんだ?この後はどうするんだ?」
自分の世界に入っているレヴィアに今後の予定を聞くと、スゥウっと俺の方を向きながら、いつものレヴィアへと戻った。
「そうですね……本来なら先に宿を確保したい所ですが、まだ町の門もまだ開いていないので、何処かで休憩してから町へ入るか、コウ様が良ければこのまま森の方へと向かうかですね。ただその場合ですと、宿に泊まれない可能性がでてきますが……」
「なら森に行こうか。もし宿なんて取れなくても最悪野宿すればいいし、一日遅れた分もあるしな」
「も、申し訳ありません……」
自分のせいだと思ったレヴィアが謝ってくる。
「すまない。言い方が悪かったな。まあなんだ、実際は俺が早く行きたくて仕方がないだけなんだ。この歳になって、こんなにワクワクする事ってなかったからな……って事で出発だ!」
「は、はい!」
そして太陽が一番高い所に昇る頃ーー
「着きました」
「……」
俺達は半日程草原の中を歩き、ようやく目的地の三巫蠱の森に着いた。
今俺の目の前にはとてつもなくデカい木がそびえ立っている。横幅は4mはあり、高さは10階建てのビル程はあるのではなかろうか、更にそれらが沢山の細長いビルのように隙間なく横並びにそびえ立っている。
「遠くから見た時でもデカかったが、ここまでデカいとは思っていなかったな……しかもこれ、おかしな生え方だな」
巨大な木々は草原と線を引いたかのように生えており、まるで世界が変わったような雰囲気が漂っている。
「私も初めて見た時はビックリしました」
「そりゃそうだよな……で、これどうやって入るんだ?」
木々は本当に髪の毛一本すら入ることを許さない程密に生えており、ここから見渡すかぎり入口も見えなかった。
「それは、お任せください」
そう言うと、俺達の周りの温度が突然下がりだし、足もとの草が凍てつき始める。そしてレヴィアの目の前に小さな円錐型の氷の塊が現れると、徐々に大きくなっていき、数秒待つと直径2mはあろうかという円錐型の透明な氷が出来た。
「いきます」
合図と共に氷が木のど真ん中へ撃ち込まれるが、貫通は出来ずに1m程刺さっていた。無理なのかと思ったがよく見ると、氷は高速で回転しており、少しづつ木を削りながら進んでいる。10秒程待つと、そこには綺麗な丸い穴が開いていた。
「では行きましょう」
「お、おう」
素人目に見ても凄い事をしたのが分かるが、それをさも当然のように振る舞うレヴィアに少しの尊敬の念を送り穴へと向かった。
「ん?これは凍っているのか?」
木の中をくぐろうと、開けられた穴の中を見ると、スケートリンクのように綺麗に凍っている。
「この木は再生力が凄いんです。たとえばノコギリ等でゆっくり切ろうとすれば、切った瞬間から再生しだし、木屑のみがそこに積もることになります。仮に高速で切って、木の真ん中まで行ったとしても、一瞬でも休めば木に取り込まれてしまうほどですね。だからこうやって凍らして再生を止めているんです」
「なるほど、ならこのままここにいて溶けだしたら……早く行こうか」
木に取り込まれるのを想像してしまい、穴の真ん中辺りまで来ていた俺は、レヴィアを急かし早足で通り過ぎていった。
穴をくぐり辺りを見渡すと、外周に生えていたのと同じ巨木がまばらに生えており、そのせいで太陽の光が満足に入ってこず、昼間だというのに明かりが入りそうな程薄暗い。
「コウ様、ここからは魔物の生息域です。気を引き締めて参りましょう」
「了解」
先行するレヴィアの後を追い、俺達は森の奥へと進んで行った。
しばらく歩いていると、突然レヴィアが止まる。
「複数の魔物を感知しました。不意打ちで確実に仕留めます」
レヴィアの言葉に従い俺達は木の影に隠れた。少し待つと6匹の蚊のような魔物が現れたのだが、大きさが人間の頭程で、あまりの大きさにとてつもなく気持ちが悪い。
「ゼゼですね。あれくらいは私が処理しますので、待機していてください」
木の影からそっと敵の方に手を出すと、シュンっと言う音が聞こえ、一瞬でゼゼがバラバラになった。
「強っ!」
「そ、そんな事ないですよ!こ、これくらい普通ですよ」
謙遜するレヴィアは、魔物がいない事を確かめると先に歩を進める。しかしチラリと見えた頬は、ほんのり赤くなっていた。
それから更に森の奥へ進むこと1時間。何度かの戦闘を終え、結構なペースで進んでいた。
「そろそろ半分ですね」
「これなら半日もかからずに終わりそうだな。それにしても、地形も頭に入っているとは、流石賢者様だな」
「そ、それほどでもありませんよ……!」
歩きながら褒めているとレヴィアか急に止まり、スグに俺の手を握ると木の影へ隠れた。
「少し手強いのが来そうです」
レヴィアが警戒している方に顔を向けると、ガザガザガザガザと何かが大量に進んでくる音が聞こえて、木々の間からそいつは現れた。
「う……」
とてつもなくデカい百足、レリピエルセンチピードだ。
勉強の甲斐あって名前や特徴は覚えてはいたが、直接見ると吐き気をもよおすほど気持ちが悪い。何よりデカさが異常だ。その体長は10mは超えているであろう長さに、人間の胴体よりも太い身体。色は基本的な百足と一緒だが、頭や触覚、沢山ある脚は濃い紫色をしていて気持ち悪さを倍増させている。しかし特筆すべきは口だ。顔の正面に十字の割れ目があり、時折そこが開くと沢山の人間の奥歯のような歯と、大量の赤く短い舌の様なものがウネウネ蠢いている。
「……!」
ひっそりと息を殺しながら木の影に隠れて様子を見ていると、レリピエルセンチピードが急に立ち止まり、匂いでも嗅ぐかのようにコチラに顔を向け、しきりに触覚を動かしている。
「行きます!」
完全にバレる前にと、レヴィアが俺に一言告げると、レヴィアは目の前に何本もの氷槍を創り出し、一斉に発射した。
「ギチギチギチギチ」
レリピエルセンチピードはコチラに気づき威嚇するように、顎をすり合わせ音を鳴らしてきたが、氷槍は沢山ある脚へと命中する寸前であった。
「ギィイイイイイイ!!」
命中した氷槍は、何本かの脚を貫き、怒りの音を鳴らしながら瞬時に地面と一緒に凍てついていく。
「コウ様!追撃を!」
「了解!」
動きが止まった事を確認すると、レヴィアは俺に指示を出し、追撃の魔術の準備を始める。
「……オラァ!!」
今まで出番が無かったことに対する鬱憤を吐き出すように、凍った脚へと飛び蹴りをかまし、数本の脚を砕く。俺はそのまま腹の下に潜り込むと、上半身を横に倒しながら、開脚するように蹴り上げた。するとレリピエルセンチピードは身体をくの字曲げながら、宙へと浮かぶ。
「コウ様!」
隙をうかがっていたレヴィアの掛け声がし、俺はすぐさまバックステップで距離を取る。その瞬間、空から人の指程の小さな氷槍が大量に降り注ぎ、レリピエルセンチピードの姿は瞬くまに見えなくなった。
「おお……」
あまりの光景に、俺が驚いているとレヴィアがこちらへ駆け寄ってきた。
「コウ様!大丈夫ですか!」
「ああ……」
「どうしました?コウ様?」
「これってさ……俺……戦力外?」
「いえいえいえいえいえいえいえ!コウ様が敵を足止めしていてくれたから、確実に仕留めれたのです!」
あまりに俺が落ち込んでいるように見えたのか、レヴィアは必死に俺を褒めてくる。
「……というか殺ったんだよな?」
「は、はい!もちろんです!アソコにーー」
そう言ってレヴィアは透明な琥珀のように美しく、凍らされたモノを指さした。
「……綺麗だ」
辺りの草木は真っ白に凍てつき、その真ん中にレリピエルセンチピードが球体状に透明な氷に覆われており、そこはまるで別世界のように美しくかった。
「完全に魔力反応も無いのでアレで倒したはずです」
「そうか……しかしアレだけ見たらまさに芸術だな。生きているのはもう二度と見たくないがな」
「フフフ、そうですね」
そう言って冗談混じりで話していた俺だが、この先更に想像も出来ないような魔物と会うことになるとは思ってもいなかったのであった。