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2日目 病院

 平凡な毎日を送っていた所に、明日から毎日フルマラソンをした後にボクシングの試合をやれと言われたら人はどう思うだろうか。

 全力で拒否する案件だと僕は思うけど、昨日今日と続いた悪質で高度ないじめが無くなるのであれば、僕は明日からの為に高品質なランニングシューズを購入しに行きたい。


 警察に行こうにも証拠がないから動いてはくれないだろうし、証拠があっても動かないような気がする。

 動かないのか、動けないのか、そんな些細な話は置いておくとして、国家権力が何もしてくれないという事は、自分でどうにかする以外に対抗する手段はない。

 じゃあ何をしようか? と考えても有効な打開策なんて浮かびやしない。


「いじめ 対策」と検索しても、先生に相談しようだとか、親に頼ろうだとか、録音しましょうだとか、そんな頼りない事ばかりが表示される。

 先生は彼女の支配下だし、親はいないし、録音しても使い道はない。

 そもそも僕が何かしら反抗をしたとすれば、彼女はもっと大変な目に遭わせるに違いない。


 最悪な事に今日はまだ火曜日。地獄の一週間が始まったばかり。

 火曜日が僕の一番嫌いな単語になりそうだ。そして明日はその言葉が更新される事になると思うと心がどんどん病んでいく。




 授業を受けている間と、こうやって1人でゆっくりと下校している間が僕の唯一の癒しの時間になっている。

 ただ今日に限っては、帰りに病院へ行かなければならない。

 よりによって何故今日なのか、今日でなければダメなのかと心の仲で反響し合いながら電車に乗り、2つ隣にある駅を降りた。


 駅前を少し歩き、国立の巨大病院の前に到着する。

 まるで城のような、押しつぶされるような威圧感も、今日に限っては大変心強いと感じざるを得ない。

 少なくとも、あの意味不明の暴力女が出現する可能性は比較的低いと思えるからだ。

 いや、低いと思い込むしかない。こんな場所まで彼女が現れたら僕はどうしようもする事ができないのだから。



 都内では珍しい緑豊かな道を通り、大きな自動ドアをくぐり、受付の器械へと足を運ぶ。

 財布から病院カードを取り出し、認証盤へ軽くかざすと、いつも通りのメッセージが表示される。


『受付を完了しました。 7階 心療内科へお越しください』


 あまり人と接したくない僕を気遣うようなこの受付システムは、見事だとしかいいようがない。

 器械相手に感謝をしながら、エレベーターではなくエスカレーターを使用して7階へと向かう。

 到着する数分の間に、いつものように先生との会話のシミュレーションを考える。


「最近、何かあったかい?」

「いえ、特に何もありません。試験も平均以上の点が取れましたので学業も問題はありません」

「そうかい?」

「そうです」

「ところで、これ売店で売ってた新商品なんだけどめっちゃ美味しいんだよ! 食べた? 食べてないと思うんだけど、これ絶対に食べたほうが良いよ! 程よい甘さ! 塩加減! こんなの病院に置いちゃっていいの!? って感じのカロリーだけどさ、いや病院だからこそ置くべきなんだよね。体にいいモノばかり接種しても人間ダメになっちゃうんだよね。悪いモノもたまには食べて、免疫を付けないとさぁ!? いやね、別にダイエットしようかなーって思っている時にコレ食べちゃってどうなの? って思っちゃってる自分に言い訳している訳じゃないんだよ。これは宣伝、そう、心に宣伝しているんだよ」

「なるほど」

「つまりはだね、悪い事であってもソレを自分で「悪い!」って思わなければ人生豊かに暮らせるって事なんだよ。事実をありのまま受け取るのではなく、自分なりに解釈してから口に入れるのさ。わかるかな? だから、これは食べても言い訳だ。栄養をいっぱいとれば、より良い医者になれる訳なんだよ。この私のようにね! ……君もそう思うだろう?」

「そうですね」



 ……前回の会話をサンプルにするのであれば、今日もきっと同じような会話になると僕は確信する。

 そして、まんまと帰りに売店によって新製品のお菓子を買う事にもなるだろう。

 普段はお菓子なんて食べないのに、医者の話術によってカロリーを過剰摂取するはめになる。


 佐川(さがわ)先生は医者としての技能はどうあれ、話術に関してピカイチだ。

 テレビショッピングに映っている人と同じか、それ以上に話術を持っているとさえ僕は思える。

 どこかの孤児が自殺した余波が流れてきて仕方なく受診している僕にとっては、精神科医としての技能なんてどうでもいい。

 別に薬を処方される訳でもなく、簡易的な健康診断と簡単な日常的な会話をして終わってくれるだけなら、僕にとっては健康を維持する為の有益な時間となるのだから。


 そうこう考えている内に、見慣れた扉の前に到着。軽くノックをすると部屋の中から「どうぞー」という軽い言葉が返って来た。

 扉を開けると、そこには綺麗な白衣を身に纏い、紅いフチのメガネをかけた先生の姿があった。


「こんにちは」

「やぁやぁ待っていたよ! ごめんね、突然今日にしようだなんて言っちゃってさ! 朝にも言ったけど明日からちょっと遠くに行かなければならないんだよ! まったく面倒な事になったもんだよ。あの院長は私という人間を都合の良い駒のように思っているに違いない。間違いないよ。女の勘ってのはよく当たるんだ、特に私のはね」

「いえ、特に用事はありませんでしたので、大丈夫ですよ」


 机の上にはロシア語か、もしくは書いた本人か宇宙人にしか読めなさそうな資料を山のように積まれており、その一番上にはかわいいクマの人形が置いてある。

 面倒だから代わりに読ませようとしているのかな、と勘違いするくらいに場違いの人形を眺めながら、僕はいつも通りに先生と会話をする。


「まぁ影人クンは学校にもちゃんと行っているようだし、成績も悪くないから私が居なくても安心して生活を送れると思っているけどね。 最近の調子はどう?」

「いえ、特に変わりはありません。いつも通り普通に過ごしています」



 ハッキリと決まり文句を言うと、いつもであれば「そっか、なら安心だよ!」と返って来る場面だが――。



「……んー。私から見るに、いつもとは少し違うように見えるのだけれど本当かな? よく見れば少しだけ顔色が悪いね。 ……最近呼吸が苦しいとか、怪我をしたとか、そう言うのは無いかい?」


 観察眼が鋭いのか、それとも女の勘とやらの性能が高いのか。

 いつもと同じ言動をしているつもりだが、いつもと違う生活を送っている事を先生は見破ろうとしていた。


「大丈夫ですよ。ちょっと遅れそうだったので小走りできただけです。規則正しい生活で毎日遅刻せずに学校にも行ってますから、って……うわっ! なにするんですか!?」


 こちらの制止を物ともせずに、先生は僕の長袖を肘まで無理矢理引っ張った。


「痣があるね。これどうしたの?」

「……ちょっと階段で転んでしまって。でも大丈夫です! 動かないとか、痛いとか、そういうのは無いですから」

「どこの階段?」

「……マンションです。そう、昨日エレベーターが動かなくて、階段を降りようとしたら足を滑らせちゃったんです。でも本当に大丈夫です!」

「影人クン。世の中に嘘を見抜くプロの職業が2つある。取り調べをする刑事さん、そして心の傷を癒す精神科医だ。まぁ刑事の中には脅して嘘の供述をさせたりと色々と不祥事があると聞くが、それはコチラも一緒だ。現にこうして、私は大量の資料をクマちゃんに読ませて現実逃避をしようとしていた、愚かな大人の1人だよ」

「……いえ、そんな事は」

「私は影人クンに嘘を付いたことが無い。影人クンも私に嘘を付いた事が無い。だからこそ分かるのさ。影人クンは真実の中に嘘を混ぜて隠す事が得意だけど、私にはそこから嘘を取り出す技術がある訳さ。メスでクルっと、悪い部分だけを切り取るようにね」


 制服を脱がしながら、先生は続ける。


「影人クンも思春期だ。何かしら隠したい事の1つや2つ、あるだろう。だけどもね、医者に対して傷の原因を隠すってのは、一番やってはいけない事なのさ。正直に話してくれないと、原因と症状に対して適切な対応が取れないからさ。分かるかい? 木の上から落ちたのと車に轢かれたのでは見た目は一緒だとしても対応が違う訳なのさ」

「……そ、そうですね」

「別に責めている訳じゃないんだ。私にだって隠したい事はいくらでもある。今朝だってちょっと古い卵が一つあったから、あえてそれを夫に渡してしまったりね。まぁそれはいいんだよ。何が起ころうと自分で責任を持って解決できるものであれば別に構わないのさ」


 君はまだ1人で責任を負えないと遠回しに言いながら、先生は両手を僕の両肩に乗せる。


「誰にも迷惑をかけたくないから、自分だけが我慢すればいいから隠し通す、だなんてダメな大人のやる事だよ。君はまだ子供なんだ、だから周りに迷惑をかけてもいいし、かけるべきなのさ。それが今の君の役割なのだから」


 ゆっくりと、ゆっくりと、心の訴えかけるように。

 先生は、僕眼を直視しながら続ける。


「これは君だけが悪い訳じゃない。あの学校に行く事を許可した私にも責任がある。だから一緒に考えさせて欲しいのさ。決して悪くはしないよ。私達は出会ってもう少しで10年になる。勝手な事だが、私は実の子供のように君と接しているつもりだよ」


 今まで経験のしたことが無いくらいに、今日の先生は慈愛で溢れている。

 そこまで僕は追い詰められているように見えるのだろうか。酷い状態だったのだろうか。


 どちらにしろ、僕は答えなければならない。答えるしか道は無い。

 目の前にいるのは精神科医であり、話術の天才。

 僕にはもう、偽りの言葉を伝える力が残っていないのだから。


「実は、学校で困った事がありまして……」


 僕は正直に、先生に学校で起きた出来事を話す事にした。

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