2日目 何が起きているのか分からない
あっという間にすぎた午前、あっという間に訪れた昼の時間。
そして、あっという間に連れてこられた学校の屋上。
僕の瞳には、昨日と同じ光景が映し出されている。
あえて違いを付け加えるのであれば、物騒な拳銃が1つから2つに、片手から両手に増えた事くらいだろうか。
「私もね、あまり拷問とかしたくないのよ。こうやって痛めつける所とか見られたくないじゃない? 評判が悪くなっちゃうし。なにより貴方のようなゴミに直接手を下しているなんて知られちゃったら、なんだか舐められそうで嫌だもの」
屋上に運び出され、子分たちがその場からいなくなった瞬間、弁明する時間もないままに両手に持った拳銃で容赦なく2発撃ち込んできた彼女はそう言った。
痛いなんて言えない。痛いと言っている時間があるならば「説明しろ」と彼女は言った。
「……僕が、一体、何を話せと言うんですか?」
「それが分からないから困っているのよ。たまにお爺様はこうやって私を試してくるのだけれど、今回ばかりは見当がつかないわ。こんなくだらない試験なんてさっさと片づけたいっていうのにね」
「……じゃあなんで、こんな事を」
「とりあえずよ。軽く痛めつけてあげれば何か吐くかと思ったけど、ゴミの分際で意外と耐えるから困ったものだわ」
軽く痛めつける?
間違いなく僕にとっては人生で最も苦痛を味わった出来事ではあるけれど、彼女の基準によれば大したことがないらしい。
なんとも恐ろしい、そんな存在がくるくると人差し指で拳銃を回しながら、彼女は遥か高く、まるで天から見下しているかのような威圧感で僕に近づいてきた。
……僕が何をしたのか分からない。
何もしていない。僕はただ、普通に学校に通っていただけ。
何も悪い事はしていない。寝て、起きて、学校に行っているだけ。
なのに、なのになんで。
僕の口に、銃を突き出したのだろうか。
「――この距離であれば殺せる。それはもう確実に、簡単に、潔く、一発で殺してしまえる。だから最後に1つだけ聞いておく事にするわ。何か私に言える事はあるかしら?」
――言うべきだろうか。彼女に、言うべきなんだろうか。
悪魔が見えています、だなんて、そんなふざけた戯言を。
仮に言ったとしても、楽に殺される殺害方法から痛めつけられて殺される方法に変更される以外に未来は無いようにも思えるけど、はたして言うべきなんだろうか。
僕は一生懸命考えているが、色々と考えた末の結論から言えば、彼女は直接聞いてくるはずなんだ。
そう、もしも彼女がそんなファンタジーのような出来事を聞きたがっているとすれば直接「悪魔が見えているか?」とか「世界を滅ぼそうとしているんじゃないか?」とか、分かりやすく言葉として伝えてくるはずなんだ。
こんな回りくどい聞き方なんてする理由もなければメリットもない。
だとすれば、間違いなく彼女は悪魔の存在なんて知らないという事になる。
そんな相手に「実は悪魔が見えてまして」なんて口が裂けても言えないし、言うべきじゃない。
つまりは、僕は死ぬのだ。ここで死ぬ。抗う術が無いから、死んでしまうのだ。
これは回避のしようがない事故、予想のできない災害のようなもので、ただただ運が悪かった、そう考えるしか道は無い。
……そういえば「4人の内、1人でも逃げきれたら多くの命が失われるだろう」みたいな事を悪魔は言っていた。
だとしたら、僕1人の命で多くを道ずれにできるなら、それはそれでアリかもしれない。
少なからず、こうやって僕に銃を突き付けている彼女にも死ぬリスクという物が与えられるという事なのだから。
何も持ってない僕の命が、全てを持っている権力者に一夜報いる可能性があるとすれば、それはもう相手にとって割に合わな過ぎる取引になるだろう。
運が良いのか悪いのか、なんだか分からなくなってきた。
分からなくなっては来たが、僕が言うべき言葉だけは、ハッキリと頭に思い浮かんだ。
「僕は、貴方に言える事は何もありません」
実際にこうやって発音ができた訳じゃない。銃口を咥えたまま喋る練習なんてした事がないし、今後もそんな趣味を持つ予定もない。
そんな精一杯の言葉を理解してくれたのか、彼女は唾液まみれの銃口を僕の口内から引き離し、そのまま遠くへ放り投げた。
「……興味が尽きないわね」
近くにあった椅子を倒れている僕の目の前に堂々と引き寄せ、彼女はそのまま大きく足を開きながら、まるで映画の中のマフィアのようにドスンと座った。
「壇上の上からだとね、色々と見えるのよ。私に気に入られようとするゴミ共、他人を陥れようとするカス共、明るい未来を確信している愚民共。どいつもこいつも普通で単純でつまらなかった。だけども、それがいい。そういう人間の方が、扱いやすい」
黒い長髪をなびかせながら、冷たいコンクリートの熱をその目に宿しながら、彼女は続ける。
「そんな中で、視界に入る奴がいた。そいつは誰かに気に入られようともせず、他人を陥れる訳でもなく、未来を視ている訳でもなく、ただそこにいるだけ。まるで器械のように、人形のように、ただそこにいるだけ」
つまらない玩具を扱うように、彼女は再び銃口を僕の正面へと向ける。
「見た事がない訳じゃないの。目の前で死んでいった連中の中に、同じような目をした連中も何人かいたわ。そんな類の連中と同じような目をしているかと思えば、違う。何かが違う。決定的に何かが違う」
僕から言わせてもらえば、彼女の目も決定的に何かが違うと感じた。
勝ち組に分類された人間ってのは、皆等しく幸せなのだと思っていた。
彼女が幸せそうな目をしているのかと問われれば、義務教育が終わってまだ1年しか経過していない僕が言うのもおこがましいかもしれないが、明らかに幸せとはかけ離れた色をしていた。
「そこそこ暗い闇の世界も歩んできた自負はあるけれど、私には見えない。その瞳に何が見えているのか、私には分からない。だけども理解しなくてもいいと思っていた。どう事が運ぼうが、どんな方向に転がろうが、私の障害になる事は絶対に無いと確信していたから」
ビュービューとビル風が吹き荒れる中、11月の寒さとは比べ物にならない冷気を瞳に宿しながら。
「だけども、こうしてお前は私の前に現れた。これがどういう意味を成しているか、理解できるかしら?」
……等と、僕に分かるはずもない質問を、平然と彼女は僕に問いかけ続けた。
一方的に連行してきて、一方的に攻撃して、一方的に上から、一方的に問いかけてくる。
今ようやく理解できたが、僕は彼女が嫌いだ。大嫌いだ。「お父さんとお母さん、妹さんを失った今の気分はどうかな?」なんて聞いてきたレポーター以来だ、こんな感情に満たされてしまったのは。
一体どんな権利を持てば、僕をこんなボロボロのぬいぐるみみたいな扱いを受けさせる事ができるんだろうか。
「……僕が、聞きたいくらいですよ。どう事が運ぼうが、どんな方向に転がろうが、貴方の前に出る事だけは絶対に無いと確信していたんですから」
「でしょうね。お互いに心中お察しし合いたい所ではあるけれど、そんな仲でもないでしょう? だからこそ、私は興味が尽きないのだけれど」
そんな好奇心の塊を一方的に撃ち続けられたら、僕の体は簡単に壊れてしまう。
いや、もう最大体力の7割くらいの損傷を受けているようには思えるけど、幸運にもまだ自分の足で歩ける。
まるで小鹿のようにプルプルと足を震わせながら、僕は必死に伝えた。
「……教室に戻ってもいいですか」
「ええ、いいわよ。私の用はもう済んだから」
何がどうなっているのか理解できないまま、僕は出口へと歩を進める。
足元に投げ捨ててあった拳銃で反撃! ……なんて事を考える訳もなく、僕はただただ大人しく、ゆっくりと階段を下りた。