1日目 屋上
昼時といえど、今は11月。肌寒いってレベルじゃないくらいには寒い。
暖房の効いた食堂から何の準備も無く屋上に放り投げられた僕に、更にこの学校の実質的な支配者と2人っきりという状況が拍車をかけて僕を凍えさせる。
ビルの屋上だと言うのに庭園のように作られた色鮮やかな空間が、今の僕にはあの世の光景にしか見えない。
「私が何故、お前を呼んだのか、理解できる?」
腰まで伸びた黒の長髪をなびかせながら、彼女はゴミを見るかのような表情で僕に問いかけた。
……ゴミとは言いすぎかもしれないが、クラス内ですら誰とも会話しない僕にだって、コミュニケーションに深刻な欠落があると自負している僕にだって理解はできる。
彼女は間違いなく、どうしようもないゴミを見ながら、どうしようもなく怒っていた。
「明日はね、とても重要な仕事があるのよ。決して外す事ができない会合があるの」
右手にいつのまにか握られていた銃のようなものをこちらに向けながら、彼女は続ける。
「撃たれたくなければ、言いなさい。明日、私に何を言おうとしているのかを、今すぐ言いなさい」
そう言い放った直後、爆発音と共に、僕の体に衝撃が走った。
目も開けられないくらい程の激痛が腹部から広がる。
痛い、なんてものじゃない。死ぬ、呼吸ができない。僕はいままで銃で撃たれた事なんて無かったが、映画の中では大げさなリアクションを役者がしていたのを知っているが、そんなもんじゃない。痛すぎて動けない。痛みに耐える事しかできない。
何故、彼女に撃たれなければならないのか、考えがソコに到達する前に、彼女がゆっくりと近づいてくる。
「大げさね、別に死ぬ訳じゃないわ。少し血が出て、電流が流れるくらいの特殊な銃だもの。 ……さて、おかわりを希望であればそのまま黙っていても私は構わないけど?」
「……何の事だか、分からないです。何故、僕が貴方に、話す事があると言うんですか?」
「それを私が聞いているのよ」
至近距離から放たれた二発目は、僕の右肩あたりに直撃する。
口の中は鉄の味で溢れかえっていて、涙も出ていて、鼻水もでていて、血も少しだけ流れている。
尋問であれば普通は相手が答えられるような質問してから痛めつけるようなものだと思うが、ひょっとしたらそんな物は映画だけの話で、僕が知り得る常識の方が間違っているのかもしれない。
だって質問の内容どころか話の意図も掴められない状態で、一方的に痛めつけられるのだから。
……ただ、そんな事は最早心底どうでもいい。もう何が起きているのか理解すらしたくない。
もはや痛さで、苦痛で、寒さで、恐怖で。
僕はもう、何も、何も考える事ができない。何も考えたくは無かった。
「助けを求めたって無駄な事くらい、分かるわよね? 誰が見ていても何もできない。警察は何も動かない。国も動かない」
……そう、世間に興味がない僕だって知っている。
30階建ての学校の屋上、それより遥かに高い超高層ビルに囲まれたこの場所は、、どの場所からもハッキリと見下ろせる。そう、ハッキリと。
だけども、誰も見る事できない。この場所への視界は、情報は、全て外部に漏れる事はない。
周囲のあらゆる建造物から、この場所を見る事はできないし、つまり場所で起きた事は世間に知られる事は無い。
今この場所は、この世界は、どんな力が働いているのかは分からないが、そういう仕組みで成り立っている。
「この学校では私がルール。この場所では私が神」
額に銃を突き付け、彼女は言った。
「言え、負け犬。私に必要な情報を、命を賭けて考え、捧げろ」
……重い。一言一言が重すぎる。僕には荷が重すぎる。
彼女は本気だ。本気で僕を殺そうとしている。まるで使えない道具を壊すかのように、平然と処分しようとしてくる。
今まで平凡に生きて来た僕に、勉強も平均以下、運動神経も平均以下、そんな僕が才色兼備の超人に一体何を話せばいいんだ。
――分からない。本当に分からない。
痛みすら感じなくなった体で答えのない回答を考えていると、彼女は銃をゆっくりと下ろしながら言った。
「……はぁ。本当に知らないみたいね。意味が分からないわ。父は一体、何をさせようとしているのかしら? なにを試しているのかしら?」
小さな声でそう呟くと、彼女は黒い長髪をなびかせながら、後ろに振り向く。
「もういいわ。このまま痛めつけても時間の無駄だろうし、さっさとこの場所から立ち去りなさい」
勝手に連れてきて、勝手に銃を撃って、勝手に結論を出して、勝手に帰れと言う。
いや、文句も言うつもりはないし、抗議をする必要もない。
僕は1秒でも早く、ここの空気を吸いたくない。
ふらふらになった体を壁にこすりつけながら、僕は黙って出口に向かった。
「あぁそうそう。言い忘れてたわ。とても重要な事を」
いつのまにか真横に移動していた彼女が、すぐ目の前の花壇を片足て蹴り上げ、ぶち壊した。
大きな音……なんてもんじゃない。爆発音だ。僕の視力が確かなのであれば、ブロック塀で囲われた花壇が彼女の足だけで粉々になった。
しかも、一発だ。爆発音と共に一発で、だ。
どんなトリックを使っているのか分からない。花瓶ならまだ分かる。花壇だ。花壇だぞ?
そんな頑丈な建造物を、彼女は確かに革靴越しに力任せで粉砕した。
「今日、私と出会った事、会話した事、何から何まで全て無かった事しなさい。つまり私とお前は次会う事があれば初対面になるという事よ」
「……はい」
「簡単な事、命を賭ければできる事よ。しくじるな。失敗するな」
「……分かりました」
つい先日まで霊的な物を信じてこなかった僕ではあるけれど、ハッキリと背中に阿修羅のような、鬼神のような、そんな類の物がハッキリと感じられた。
そんな彼女から「できなければ殺す」と言われてしまったら、僕はもうYESの類しか言葉を使えなかった。
フラフラになりながら教室に戻ると、多くの目撃者があったにも関わらずこの件について聞いてくる人などいなかった。
まぁ、この学校の神様に誘拐された人間に「何をされたのか?」なんて聞いてしまう不届き者は、少なくともこの学校には存在しない。
触らぬ神に祟りなし、恩恵が少しでもあるならば手を伸ばそうとする人はいるかもしれないが、彼女と言う存在は明らかに異質であり、異端すぎた。
種類は違えど迂闊に触れない位置にいる僕もそんな存在であり、まぁ、その、なんというか。
前向きに考えれば、ますますクラスメイトの距離を置く事ができたというか、明日以降の事を考えれば特に何も変わらない生活が送れそうだ。
つまりは結果的にハッピーって事になるんだ。言っている意味がわからないのかもしれないが、大丈夫、僕も意味が分からない。
「起立ッ!」
先生の入室と共に、クラス委員長が号令をかける。
いつも通りの展開に、僕はホッとしながら先生に深いお辞儀をした。