9日目 屋上
泣いて、泣いて、笑って。時間はあっという間に過ぎ去った。
時刻は10時。予定であれば2時間後に殺される予定だったけど、どうやら戦況は芳しくなく前倒しになりそうだった。
「学生君、お嬢。このマンションの屋上に行け…… との連絡が入った。俺達には抵抗して無理矢理連れていかれるか、従順に歩いて向かう選択肢が用意されている訳だが、個人的には後者をオススメする。お嬢も一緒だ。だから多数決で今から屋上に向かおうと思うんだが、学生君はそれでいいか?」
民主的な多数決で可決されたのだから、法治国家に住んでいる僕はそれに従わざるを得ない。
それに、無理矢理連れ去られるのはもうゴメンだ。
イヤな思い出しかないし、これから先にいい思い出が待っているとも思えないけども。
「いいですよ。外は寒いので、できるだけギリギリに行きたい所ではありますけど」
これから殺されに行くというのに、僕の心は何処か晴れやかだった。
このなんとも表現し難い明るい感情は、牢獄から脱出した時から続いている。
やりきった感なのか、逃げ切った感なのか、このトキメキは何なのかは分からない。
何物かはわからないけど、僕は感謝しなければならない。
この感情のお陰で、僕は南条さんと和解できたし、白髪さんの考えも理解できたし、世界はそんなに悪くはないと思える事ができたからだ。
先を立った瞬間、南条さんの身体が大きく揺れた。
僕は反射的に、その手を掴み、胸元へと引き寄せた。
「……寝不足かしらね。最後の最後くらい、シャキっとしたい所なんだけど」
「……気持ちは分かります。僕もそうでしたから。肩をお貸ししますのでゆっくり進みましょう」
最後くらいは、という軽い気持ちで、僕はらしくない事をした。
彼女が好きだとか、そういう感情じゃない。
だけども、こうしなければいけないと、僕の何かが囁いた。
半歩半歩、共にゆっくりと前へと進む。
玄関に到着。靴を履き、鏡の前で最終チェックを行う。
忘れ物、ナシ。特別行事、ナシ。
火元の確認、問題ナシ。天気、問題ナシ。身だしなみ、問題ナシ。体調、問題ナシ。
……全て問題ナシ。この後すぐに殺される事だけを除けば、何もかもが問題ナシ。
「――行ってきます」
「……? えぇ、そうね。そう言うべきかもしれないわね。では私も。 ――行ってきます」
誰かが帰りを待っている訳じゃない。
だけどもそこには確かに誰かがいたような気がしてならなかった。
――――――。
玄関から一歩踏み出すと、気温以外に冷たく接する何かを感じた。
まるで身体の芯から凍えさせようとする何かが、この付近を覆っているような。
天気は晴れのはずなのに、雲は無いはずなのに、景色は全て薄暗い。
まるで魔法だと思いながら、現代技術で動くエレベーターの前へと足を進める。
こんな天候では途中でエレベーターが止まる危険性はあるけれど、南条さんを支えながらでは僕の荷が重すぎる。
じゃあ白髪さんがやればいいんじゃないかと僕は思ったけど、いざ何かが起きた時に対処できる人の手が塞がっているのは色々とよろしくない。
そんな事を微塵にも思っていなさそうな白髪さんは、エレベーター前で僕達を待っていた。
「青春だねぇ」
「……僕は分からないんですけど、白髪さんは緊張しているのか、覚悟をしているのか、それともこんな状況でも平常心なのか、どっちなんですか」
「全部だ」
開閉ボタンを押し、そのまま処刑台へと通じる箱の中へと入って行く。
目指すは、20階。
そこから1つ階段を使い、屋上へと昇っていく事になる。
途中でポチポチ押しながら時間稼ぎをした所で、結果は変わらない。
ただしんどい気分が長引くだけ。
この箱の中に閉じ込められている3人は、まったく同じように感じているに違いない。
「……ケーキが食べたいわ。ケーキ。甘いチョコケーキが食べたいわ。冷蔵庫に入れっぱなしなのよね。すっごく楽しみにしてたんだけど、こんな事になるなら食べてから行けばよかったわ」
「俺はタバコが吸いてぇなぁ。あと酒だな。学生君がひねくれて育ってくれれば冷蔵庫に酒の1つや2つ、あったかもしれないんだがなぁ」
「……僕は規則正しく、健康的に真っすぐ育っていましたので」
――チン。
地獄に到着を知らせる音が、響き渡る。
普段何とも思わない環境音が、僕の心を強く震わせた。
箱から降り、右手にある非常階段へと足を運ぶ。
南条さんを支えながら、無言で、何も考えずに――
コツ、コツ、コツ。
20階から見える景色は、まるで火山が噴火したかのような灰色で、全てが彩られていた。
一週間前ならばこんな現実は受け入れられなかっただろう。
ただ、この一週間で僕は色々と知り過ぎてしまった。
残念ながらこの経験は未来に活かされそうにない訳だけど。
屋上へと続く扉のアルミ製の扉は歪に曲がりくねっており、鍵を開ける必要もなければ扉を動かす力も必要なかった。
どうやったらあんな形になるのだろうかと考えながら屋上に到着すると、まるで招待したかのように黒いナニカがそこには有った。
円卓を核む様に、6つの黒い影。
目を凝らしながらよく見ると、それらはギリギリ人の形をしていた。
生きているのか、死んでいるのか、器械なのか、それともリチュエルさんのような存在なのか。
分からない。分からない。
分かるのは、見れば見るほど、平常心が保てなくなる事だけ。なのに、彼等から目を離す事を身体が許してくれない。
人に残された僅かの野生本能が、何を差し置いても最終戦で彼等を視ろと命令しているかのように。
殺意を感じるだとか、威圧感だとか、何か息苦しいだとか、そういう類の物ではない。
ただ、動けない。この場にいる3人が、ただ見つめる事しかできない。
――いや、違う。
ただそこにいる事だけしか許されていない。
彼等の許可がなければ、一歩も歩く事ができない。喋る事もできない。
そこにいて、必要最低限の生命維持だけを許されている。
まるで、そう。
神。
人の命を司る神のような力を持った黒い影のようなナニカが、僕の目の前に6人も存在しているようだ。
景色は灰色ではなく、白と黒だけとなった。
僕の目がおかしいのか、世界がおかしいのか、分からない。
恐らく両方だろう。
だって、こんなのが存在していいはずがない。
こんなのに、人間が敵対しちゃいけない。
だから世界がおかしい。そして、その世界に生まれた僕もおかしいのだ。
何分経ってくれたかは分からない。
数時間かもしれない、数分かもしれない、数秒かもしれない、
ひょっとしたら、時間が止まっているのかもしれない。
何時まで続くか分からない、凍結されたこの空間。
まるで、全てに終止符を打つかのように。
黒いナニカが、空を見上げて膝をついた。
僕も見上げたい。
見上げて、何が来るのか、何が起きるのかを確かめたい。
だけども、上げられない。確認できない。
僕らはただ、まっすぐ前を見つめる事しか許されない。
……こんな存在相手に、世界は戦いを挑んでいたのか。
言ってくれれば、僕は一週間前に降参していた。
リチュエルさんに出会った瞬間から、全てを諦めていた。
希望なんて、持っていなかった。
上空からゆっくりと降りるのではなく。
世界が、主催者に合わせて登っているかのような感覚を全世界に叩きつけながら。
ソレは、現れた。




