9日目 いっぱい
朝の6時。目覚まし時計が一斉に鳴り響く。
毎日これを聞いて起きていた事に懐かしさを感じながら、一個一個壊さないよう丁寧にボタンを押す。
僕が居ない間、毎日コレが長時間、しかも大音量で演奏していたのかと考えると、少し頭が痛くなる。
二度寝の誘惑を断ち切るために、シャワーを浴びる事にする。
居間を通ると涙ぐんだ南条さんと疲れ切った白髪さんが椅子に座りながらお茶を飲んでいた。
あれから帰っていなかったのかと思っていると「おはよう、学生君」と白髭さんから挨拶が来た。
「おはようございます」と言葉を返し、僕はそのまま風呂場に直行した。
鏡に映っている自分の悲惨な姿に若干の驚きを覚えつつ、少し熱めのシャワーを浴びる。
やはり痛い。やはり浸みる。あちこちに創られた傷と手術痕からヒリヒリと火傷のような痛みを感じる。
僕にしてはよく頑張った。よく耐えきったと自分を褒め称えたい所だけど、考えれば僕の身体の弱さを考慮して拷問した人の技術力が凄かっただけなのかもしれない。
そう思うと何とも例えがたい感情に襲われそうなので、僕は「よくやったよ」と自分を褒める事にした。
……替えの服を持ってくるのを忘れてしまった。
バスタオルだけで移動するのもやぶさかではないけれど、居間に女性がいる事を考えたら実行できるはずもなく。
南条さんに失礼という訳でなく、僕にその勇気と根性が無いだけだが、ここは「よく配慮したね」と自分を称える。
シワシワの学生服を身に纏い、そのままキッチンへと足を運ぶ。
居間にいる2人を盗み見しながら、冷蔵庫を開け、ミックス野菜を取り出す。
冷凍庫からひき肉を出し、レンジで温める。
一食分の味噌をお椀に入れ、そのままお湯を流し込む。
野菜とひき肉を炒める。冷凍庫からご飯を出し、そのまま電子レンジで温める。
野菜炒めと味噌汁とご飯。栄養バランスを考えた、簡単で美味しい晩御飯。
バランスの良い食事は、身体を健康に保つ秘訣でもある。
だけども、そんな生活とは今日でお別れになる。
何故ならば、僕は今日中に殺されてしまうからだ。
健康とは程遠い状態になった身体で、健康第一の食事を居間にあるテーブルに持っていく。
4人が座れるテーブル、手前の左側に南条さん、奥の右側に白髪さんが座っている。
どこに座るかを熟考した末、わざわざ奥に移動して座るとなんか変な意識をしていると思われてしまうのと、南条さんの目の前では食が喉を通らない可能性を考慮して、色々な物を犠牲にする覚悟で手前の右側、つまり南条さんの隣に座る事にした。
朝食を食べる前なのになんでこんなに気を使わないといけないんだと思った瞬間、僕はハッと気づいてしまった。
……なんてことだ。僕は1人分の朝食しか作っていない。
作る前に「朝食作りますけど食べますか?」と聞くべきだったけど、僕には家族が居ないから当然ながらそんな習慣は存在しない。
今から聞いてしまうのも「堂々と1人分しか作らなかった癖に」なんて思われるかもしれない。
どうしようかと姿勢を正しながら迷っていると、隣から「私達はもう食べたから」と思いもよらない場所からフォローを貰ってしまった。
「すみません」と一言謝りながら、史上最高に居心地の悪いテーブルで、僕は朝食を食べた。
緊張なのか、不安なのか、それとも味覚が無くなったのかは分からないけど、いつも食べていた食事がなんだかよくわからない味に感じてしまった。
食べ終わった僕は、食器を洗い場まで持っていき、いつもの3倍以上の時間をかけて洗った。
だけども時刻は6時50分。まだ7時にもなっていなかった。
……ひょっとしたらいつも通り学校があるかもしれない。
あるかどうか確かめる必要はある…… が、スマホは奪われ、テレビは壊された僕には確かめる手段が1つも無い。
かといって、南条さんに「今日って学校あります?」なんて聞くのも失礼だし、そもそも僕には話しかける勇気と根性を持ち合わせていない。
とりあえず外の様子を伺おうとベランダに向かうと「やめたほうがいい、スナイパーが誤射するかもしれない」と白髪さんは親切に教えてくれた。
すぐに触りかけた窓から手を放し、そのまま2人の方向へ顔を向けると「今日は休校よ」と南条さんがこれまた親切丁寧に教えてくれた。
短い付き合いなハズなのによく僕の考えている事が分かるなと驚きながら「ありがとうございます」と言葉を返した。
不気味な程に親切な2人は「まぁとりあえず座れ」「まぁとりあえず座りなさい」と、僕を再び座るように命令した。
更に南条さんは、理由は分からないけど僕に熱々のお茶を用意してくれた。
……なんだろう。一体これは何なのだろうか。新種の精神的拷問か何かなんだろうか?
だとしたら効果は抜群な訳だけど、一体どういう理由でこんな事をしているんだろうか?
その疑問を、またもや心を読んだかのように、白髪さんは両肘をつきながら僕に答えた。
「12時だ。今から約5時間後に奴が到着する。残念だが、人類は敗北したという事になる」
人類の勝敗に関わらず僕はこの世を去る事になると分かっていたとしても「人類は敗北した」というフレーズに少しながら衝撃を受けた。
これだけ科学が進歩していたとしても、たった1人の人間に勝てない。
既に相手が人間に分類されるかどうかは分からないけれど、全世界が協力してこのザマだとしたら、もはや何をどうやっても結末は変わらないだろう。
どんな存在が世界の支配者になるのかは、気にならないと言えば嘘になる。
知った所で僕は何も経験する事はないのだから、気になるといえば嘘にもなった。
だけども僕が死ぬ前に起こるであろう出来事に関しては気になって仕方がない。
そんな僕に、南条さんは左肘に顔の乗せながら。
「周辺に配備されていた人達は一瞬で殺されたわ。 ……さっきスナイパーがいるって髭が言ったわよね? あれ、主催者とやらの関係者らしいの。気配だけで分かるわ。あぁ、これは絶対に手か足を出す前に殺されちゃうなぁって」
「……え? 1人でこっちに向かってたんじゃないんですか? 他に仲間がいたんですか?」
「私もそう思っていたけど、考えればあれだけ特殊な力を持っているんだから思い通りに動く殺戮マシーンの1つや2つ、作ってて当然なのよね。 ……はぁ。世界って広いわね。「世界を支配するッ!」なんて言ってた私が本当に馬鹿らしくて恥ずかしくて仕方がないわ」
1人だけじゃない。他にも仲間がいる。
ただでさえ絶望的な戦力差に、更にオーバーキルを喰らわせるように戦力を投入してきたならば、世界政府ですらお手上げ状態になるだろう。
「学生君は感じ取れないかもしれないが…… ま、この場合は感じ取れない方が幸せなんだけどな。屋上に1、建屋内に1、周辺に4。どいつもこいつも俺達2人がかりでも殺す事が出来ない強さだ。まったく、まるで人食い鮫の入った水槽にぶち込まれた気分だ」
「……逃げ道は無いんですか?」
「無いな。理由は分からんが、俺とお嬢は生きている。慈悲を与えられてんのか、それともメインディッシュにしようとしてんのか。最早分からんが俺達は生かされてる立場って訳だ。一緒だな、学生君」
僕の自宅が、まるで病院の地下深くに創られた監獄のようになっていると白髪さんは説明した。
つまり、監獄が自宅に場所が移されただけで、本質的には何も変わってないという事だ。
成程と僕は思いながら、南条さんがいれてくれたお茶を口にした。
……苦い。
どれだけ入れてくれたのか分からないが、もはや嫌がらせなんじゃないかと疑う程に苦かった。
僕は「苦いです」「美味しくないです」と言ってしまう常識のない人間なんかじゃない。
これは勇気と根性って次元の話じゃない。だから僕はヘタレではないのだ。気配りのできる人間なのだ。
ただ、めちゃくちゃ苦いお陰でゆっくりとお茶を飲む事ができる。
テレビもなければラジオもない。今気づいたけど、外からは鳥の鳴き声すら聞こえてこない。
無音。大都会東京では有り得ない状況が、異常だという事を音で知らせてくれている。
そんな環境に、たいして仲が良くない3人が、性格がバラバラな3人が、お互いの事をよく思っていない3人が、テーブルを囲ってお茶を飲んでいる。
……地獄か、ここは地獄なのか。
何が悲しくて、せっかく自宅に帰れたというのに、こんな事になってしまっているのか。
この隣にいる人がテレビさえ壊さなければ、まだいくらかマシだったのに。
そう愚痴った思いを読み取ったかのように、南条さんは目をゴシゴシと擦りながら僕の目を見ながらこう言った。
「……ごめんなさい」
……何を言っているのか理解できなかったが、僕には謝罪の言葉のように聞こえた。




