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8日目 再会

 当たり前の日常というのは、立場や心境が違えばこんなにも煌びやかに見えるのか。

 手が震えてきた、呼吸が乱れてきた、涙腺が緩んできた。

 ようやく「帰ってきた」という実感が、僕の心を大きく揺さぶった。


 絶対に、絶対に、絶対に戻ってこれないと思っていた。

 二度と見ることができないと確信していた光景が、今、僕の心にまで届けられた。




「学生君、確か10階だったよな」

「……はい、そうです。間違いなく10階です」

「あそこだけ光ってるでしょ? ちょうど10階だしきっとアレよ。今すぐ行きましょ。寒くて仕方がないわ」


 11月の冬、確かに寒いハズだけど僕の寒気を一切感じなかった。

 きっと興奮しているからだろう、帰ったら温かいお茶でも飲んで落ち着こう。

 そう思いながらマンションの入り口に入ろうとすると、何物かに襟を掴まれる。


 腑抜けた声すら出せない内に、僕はポイッと投げられたかのように宙を浮いた。

 そのままガッシリとした肉体を持った何者かの方に搭載され、僕の視界はあっと言う間に逆さまになった。


「行くわよ」「おう」という掛け声と共に、僕の体は再び宙に浮いた。

 いや、浮いている訳じゃない。これは運ばれている。

 エレベーターが動かないから自分でそのまま登ってしまおう的な、ついさっきそんな体験をした思い出がまた繰り返されているかのような、そんな感じを再び味わっている。


 僕は不思議でならない。

 何故エレベーターは動いているのに。

 何故階段があるのに。

 何故、彼らは壁を蹴り飛ばしながら10階に上がろうとしているのだろうか?


 常識と言う二文字が届かない2人はあっという間に僕を引っ張りながら10階まで到着した。

 ……と思いきや、今度は「邪魔よ」という何気ない一言と共にベランダの窓を破壊した。


 ガラスの破片まみれになった僕の居住区に、ガリッガリッと土足で踏み入れながら、白髪は言った。


「学生君、悪魔は見えるかな?」


 ……悪魔はお前等だろ。

 なんてツッコミはできるはずもなく、そんな度胸もあるはずもなく。

 僕はただただ、無残な姿になった自分の家を眺めるしかなかった。




『やぁカゲト! お久しぶり! 元気にしていたかい? へっへっへ。なかなか面白い事になっているじゃないか。いいね、実にいいよ。最高としか例えようがない。これから始まる事を考えればこれはもう興奮するしかない。最高、最高だよね!』


 ――1つしかない瞳は紅に染まっている。長い銀髪に黒の死神装束。羽が4つ生えていて、体は宙を舞っている。

 間違いない。悪魔だ。これは悪魔に違いない。

 そして、見えた。はっきりと見えた。認識した。ここにきて、僕はようやく確信が持てた。


 悪魔は、存在する。

 全ての元凶が、今僕の前に姿を現した。


「……リチュエルさん、でしたよね。今まで名前すら忘れていましたけど、改めて姿を見たらようやく思い出す事が出来ました」

『おぉ! 覚えていたのかい!? 君の顔面に「僕の頭はカボチャです」って入れ墨を掘る準備をしていたんだけど無駄になってしまったね。残念、残念で仕方ない。これだけを楽しみに君を待っていた所があったからね。正直なところ、無念としか言いようがない』

「……そんな事を言われた気もしますけど、僕の顔にそんな事が描かれてしまったらもう外に出られませんので止めてください」

『やらないさ! 君はちゃんと名前を憶えていたんだからね。私は約束は絶対に守るよ、それだけは信じて貰いたいな。いや、信じるしかないんだけどね。君の置かれた特殊な状況を考えれば私と言う存在は信じるしか道は無い』


 悪魔はへっへっへと笑いながら、約束を守るだなんて悪魔らしくない事を僕に伝えた。

 約束は守るがちょっかいは出す。いたずらは止めてくださいと伝えればリチュエルさんは止めてくれるのだろうか。

 そんな考えをしていると、南条さんが間に入るようにして僕を睨めつける。


「一体、何と話している訳? 何なの? 狂ったの? 狂っていたと思っていたけど更にイカれたの? どうなの? おい、髭のおっさん。どういう事か説明しなさいよ。アンタが説明しなさい」

「落ち着けよ、俺だって驚いてる。本当に悪魔がいるらしいんだよ、ココにはな。そして学生君には悪魔が見える。だから世界中から注目を浴びているって訳だ。分かったかお嬢さん」

「分かる訳ないでしょ? なんなの、悪魔って。馬鹿じゃないの!? 今まで馬鹿だと思っていたけど想像以上に馬鹿だったようね。本当の事を吐かないと蹴るわよ。思いっきり蹴るわよ。アンタじゃなくてコイツを蹴るわ」


 ご機嫌ゲージがマイナスまで振り切った南条さんはガシガシと軽い蹴りをフラフラの僕に与え始める。

 それを止めもせずに周囲を警戒し続ける白髪は、続けて僕に言った。


「で、学生君。その悪魔とやらは何処にいるんだい? 君は会話をしているつもりでも俺達には相手の声すら聞こえていない。気配すらしないから ……まぁ、正直なところ、君を疑っている」

「アンタの脳味噌を疑ってるって言ってんのよ。で、何処にいんのよ。というか会話ができるなら出てこいと伝えなさいよ。私達が怖いから出てこれないのかしら? そんなちっぽけな悪魔であれば今すぐ帰らせて貰うけど。眠いのよ、私」


 欠伸をしながらとんでもないセリフを口にした南条さんに、僕は何のフォローもできなかった。

 いや、正確にはさせて貰えなかった。一つ目の大きな瞳が、ぐるり、ぐるりと捕食するように2人を見つめて、笑っていたからだ。



『――へっへっへ。ま、いいだろう。私の声と姿を認識できるようにしてやる。今更死人がいくつか増えようと私には関係ないしね』



 僕にそう言い放った瞬間、リチュエルさんの体は紫色に輝き、空間を丸ごと赤で染め上げた。

 テレビの後ろも、机の下も、コップの中も。

 影であるべき場所でさえ、彼女は血のようなどす黒い紅で全てを塗り上げた。


 内臓の中に放り込まれたかのように、周囲がぐにゃぐにゃと歪み始める。

 それが幻覚なのか、現実なのかは分からない。

 普通であれば幻覚を疑うしかないが、目の前に悪魔のような存在がいるのだからもはや何が起きても不思議ではない。


 リチュエルさんの輝きが徐々に収まると同時に、周囲の状況も元通りになった。

 そう、本当に元に戻った。

 ここに来た時に壊れた窓も、全て元通りに修復してしまった。



『へっへっへ。こんな奇跡が起こせるってのに、君達はまだ私の事を悪魔呼ばわりするつもりかい? どう考えても天使だろう? 身なりは悪魔に近いかもしれないけど、人は見かけによらないってよく言うじゃないか。だからほら、君達が壊した扉を直してあげたよ。そして許すよ、今まで君達が私には吐き掛けた暴言を、撤回させてあげるよ。あ、別に許しを乞わなくていいよ。隙さえ見せてくれなければいい。あまりにお粗末な姿を見たら殺してしまいそうだからね。私は穏やかな心の持ち主であると自覚はしているんだが、こういう癖だけはどうしようもないんだ』




 両隣に居たハズの2人は、もう一度窓を壊して外に出ようと試みた。

 だけども、壊れない。あれだけ簡単に壊せた物が、今では傷1つ付く事はない。

 手には銃を、そしてナイフを。部屋の角を背に臨戦態勢を取っている2人。


 ……だけども、どう考えても割に合わない。

 この自称天使に立ち向かうには、銃とナイフでは無謀が過ぎる。


 ……僕は知っている。

 月曜日の朝に、触ろうとしても通り抜けて触れられなかった事を。


 そして、2人は感づいただろう。

 この存在に、物理的な攻撃が何の役にも立たない事を。



『さて、何から伝えればいいのやら。私から言いたい事は山ほどある訳だが、些か考えるのが面倒で仕方がない。だからカゲトから質問して欲しい。出会ったときにも伝えたが「いつでも、好きなだけ聞いてもいい」って約束は今でも有効なんだよ。私よりカゲトのほうが頭がいいだろう? 代わりに考えてくれないかな? あと久しぶりにお茶が飲みたいからできれば今すぐ用意してくれると非常に助かるんだが』



 部屋の片隅で生きるか死ぬかの駆け引きをしている2人を置いて、僕はキッチンに足を踏み入れいつも通りにお茶を作った。

 別に放置している訳じゃない、手助けできる事がないだけだ。

 僕にできる事なんて、言われるがままにお茶を作ってこの場を和ませる事くらいなんだ。


 電気ポットでお湯を沸かし、粉々に粉砕された食器を眺めながら紙コップにお茶の粉末を入れた。

 70度まで温められたお湯を入れ、軽くかき混ぜ、零さないようにリチュエルさんの元へと持っていく。

 大きい瞳をキラキラさせながら『美味しい!』とお褒めの言葉と共に一気に熱々のお茶を飲み干した。

 なんだか、めちゃくちゃ久しぶりに褒められたような気がして僕は軽く感動してしまった。



「……質問というか、確認なんですけど。僕は完全に捕まっていたんですけど、結果はどうなったんですか? 他の3人が逃げ切れたって事なんですか?」


 その質問に、リチュエルさんは大笑いした。


『へっへっへ! 成程、まだソイツ等からは何も聞かされていないんだね。 よし、答えよう! ズバリ! 他の3人は残念ながら捕まってしまいました! 無念、実に無念だったろうね、もう少しで望みが叶ったというのにね! でも大丈夫! 君が残っている! 実はまだ、君は捕まっていないのだよ! へっへっへ!』


 ……なんて事を、リチュエルさんは楽しそうに言った。

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