5日目 殺意
目から、鼻から、口から。
全てがぐしゃぐしゃになるくらい、僕は全てを吐き出した。
逆流する胃液が喉を焼き、叫び声を上げる事すら許されない。
大きく揺れる心臓が、心と呼吸を安定させてくれない。
だけども、そんな僕を、あの時から流す事の無かった涙が、現実を誤魔化すように視界を優しく支配してくれた。
……怖かった。
誰かと繋がる事が怖かった。
また何かを失う事が怖かった。
母を、父を、姉を、全てを失ったあの時、僕はもう二度と誰かと関わらないと決めた。
誰に対しても冷たく接した。突き放した。自分から距離を置いた。
逃げていた。僕にはもうそれしかできる事がなかった。思いつく事も無かった。
そんな僕に、ずっと付き合ってくれていたのが佐川先生。
あの時も、入院した時も、頻繁に尋ねてくれた佐川先生。
「影人クンの生き方を否定するつもりはないよ。私も君の立場であったなら、誰かと親しくなろうとは決して思わないだろうからね」
当時小学生だった僕の心を、先生は透きとおるような目で見てくれていた。
食事がとれず、夜も眠れなく、ボロボロになった僕の体には、その言葉が一番の癒しになった。
「私と仲良くしてくれとは言えないよ。 ……だから、そうだね。出会えたらいいね。君の背負った不幸を消し去ってくれるような、そんな人にね」
そんなかけがえの無い言葉をくれた先生を、僕はどうして信じなかったのだろうか。どうして疑ってしまったのだろうか。
信じた所で、疑った所で、何が変わるのかなんて分からない。
だけども、少なくとも、僕はあの場で信じるべきだったのかもしれない。
口の中が胃液だらけで酸っぱくなる。
相反するように、部屋中には甘い香りで充満する。
これが現実か。夢の世界ではないのかと思えて仕方がない。
悪魔が見えて、生徒会長に暴力を振るわれ、謎の組織に誘拐され、監禁されて、メチャクチャにされる。
こんなの、どう考えたっておかしい。現実に起こり得るハズがない。
呼吸を整え、それでも乱れる心臓を黙らせるように。
涙を拭き、次の涙が溢れぬうちに、もう一度先生の姿を確認する。
いた。
たしかに、そこに先生の首があった。
そして見てしまった。
ぼさぼさになった長い髪。
切り取られてしまった耳。
白く濁ってしまった眼。
そして、そして、そして。
僕と先生が大好きな――
――大きく開けられた口に、入りきらない程に大きなドーナツが咥えられていた。
「……先生が、先生が一体何をしたっていうんだ!? 僕が一体何をしたって言うんだよ!? どうしてこんな酷い事ができる!? なんだ! 一体何が目的なんだ! なんなんだよ! ふざけやがって! 何が悪魔だ! 悪魔が本当に存在するなら、お前等こそ殺されるべきだ! 地獄に落ちるべきだ! 絶対にそうだ! お前等こそが死ぬべきだったんだ!」
監視カメラに向けて叫んだ言葉に、奴らは何も反応を示さない。
……みんな嫌いだ。
悪魔が嫌いだ。生徒会長も嫌いだ。白髪の男も嫌いだ。防護服も嫌いだ。兵士も嫌いだ。みんな嫌いだ。嫌い嫌い嫌い。大嫌いだ。
だけども、本当に嫌いなのは、僕自身だ。
僕は何のために生まれて来たのだろうか。
何をするために、誰の為に、この世に生まれてきたのだろうか。
僕の人生は、あの日から何も得ることも無く、ただただ毎日、何かを失い続けているだけなのに。
僕はただ、お母さんの最後の言葉に従って、ちゃんと学校にだけは行っているだけの人間だ。
こんなの誰でもできる。小学生でもできる。器械にだってできる。
僕だけができる事なんて何一つ無い。誰かが得する事もない。いや、1つはあったのかもしれないけど、僕の目の前でソレはもう死んでしまった。
だから、僕にはもう何も残っていない。
学校に行けなければ、僕にはもう未来を生きる理由がない。
僕の心の何かが、崩れていく音が聞こえる。
これ以上、何かをしたいと思う気持ちも無くなった。
僕の周りを、感情を、体を、心を、徹底的に壊すのであれば、僕はもう僕を必要としない。
全部、いらない。捨てたい、全部を捨ててしまいたい。
右手首に付けられた拘束具を、思いっきり壁に叩きつける。
銀色の鋼鉄は壊れないだろう。この拘束具だってきっと壊れない。
だけども、僕の腕は間違いなく壊れてくれるだろう。
部屋中に響き渡る衝撃音が3回鳴り響いた時、全身に電流が流される。
知った事ではない。もはや、この体は僕の物ではない。
全ては他人の手に渡った。だからもう興味がない。他人の事なんて、僕はもう心底どうでもいい。
電流が止まれば、再び壁を殴りつける。
何度も、何度も繰り替える。
皮膚が焼けようとも、爪が取れようとも、血だまりができようとも。
何度も、何度も同じことを繰り返す。
扉の向こうで、悪魔が音を立てた。
耳障りの音と共に、地獄の釜が開かれる。
兵士が2人、防護服が2人。
それぞれが銃を持ち、こちらに標準を合わせていた。
「……殺せ、もう、殺してくれ」
胃酸でガラガラになった喉のおかげで、心の底から叫んだ声は風のようにかすれた音へと変化していた。
右腕を振り上げ、兵士の元へと向かおうとした瞬間、銃声が木霊した。
どこに撃たれたかは分からないが、鉄の床に両膝が落下し、僕はそのまま後方に倒れた。
勢いよく頭から倒れたような気がしたが、悔しい事に痛みは一切感じなかった。
あぁ、そうか。
ようやく、終われる。
終わらせる事ができる。
気絶する刹那、僕の瞳には、何故だか分からないけど、先生の笑った表情が見えたような気がした。




