5日目 絶望の底へ
意識が途切れそうになる度に、手足からビリビリとヘタクソなマッサージをしているのかと思う程度の電流が流れてくる。
……薬が欲しい、注射が欲しいとこれほどまでに願った事はない。
注射を打たれれば、体をいじくりまわされれば、その時間だけは眠る事ができる。何も考えずに、意識を手放せる。
体の中をいじくられようと、ボロボロに傷つけられようと、もう何も考えなくてもいいのであれば、もう何をしてくれたって構わない。
僕の現実的な望みは、もはやそれしか無かった。
窓も無く、時計も無い。
部屋の片隅に置かれている水を飲むだけの生活。
生活、と呼ぶにふさわしい環境なのかは分からない。
誰かに飼われているというか、ギリギリまで生活水準を削られた実験というか、きっと日曜日までに生かせれば何をしたってかまわないという思考の下に奴等は動いているんだろう。
……そんな意味のない言葉を頭の中でぐるぐるさせていくくらいしかやる事がなく、体を自由に動かせる事ができない僕が意識を保ち続ける方法はこんな事くらいしかない。
長い時間をそう過ごしている中での唯一の希望、それは今日はおそらく金曜日だろうという事くらいだった。
金曜日。つまりは5日目という事。
この意味不明で理解のできないふざけた事件に巻き込まれてから、5日が経過したと願う事。
ひょっとしたらまだ木曜日かもしれないし、想定以上に眠っていて今はもう土曜日かもしれないし、日曜日かもしれない。
間違いなく言える事は、今は水曜日ではなく、火曜日でもなく、月曜日では絶対に無いという事だけだ。
……神に感謝する事があるとすればソコだ。
時間は決して巻き戻らない。
この仕様に恨みを持った時期がいくつかあったけど、今この時だけはありがとうと伝えたい。
……残りは3日。
安全はできないけど飲み水なら十分にある。
このまま閉じ込められたままでも、たった3日くらいなら何も食べなくても生きてはいける。
生きてはいけるが、その先がどうなるのかは分からないけども、まぁ何処に転ぼうとも楽しい事が待っていない事だけははっきりとは分かる。
具体的にどうなるかは分からないけど、最終的には死が待っている事に変わりはない。
ゴンゴンゴン。
扉の向こうで、奴等が音を立てた。
ギギィーという聞きなれた音と共に、扉が開かれる。
現れたのは防護服2人、兵士2人。
挨拶をする間柄ではないはずだけど、防護服の1人がこちらに向かいながら楽しそうに話しかけてきた。
「やぁ。そろそろ時間が知りたくなる頃だろうと思ってね。わざわざ教えてあげようとここまで訪ねてきたんだ」
だったらマイク越しに聞かせればいいだろ、なんでわざわざ来たんだよ二度と姿を見たくなかったよこの悪党。
……なんて悪態を表情に出さないように、僕は彼の方向に顔を向けた。
「今日は金曜日さ、知りたかっただろう? ハハハ、随分と顔色が悪くなってしまったね。まぁしょうがない。太陽の光を浴びてないんだからね」
まだ金曜日。希望は土曜日か日曜日だったけど、真実はそれほど甘くは無かった。
わざわざこいつ等が本当の事を伝える保証なんてどこにもない訳だけど、偽りであれ今の僕は彼等の言葉が全てが成り立っているのだから信じるしか他無い。
「……そうですか。わざわざありがとうございます」
「別に感謝しなくたっていい。君は正直に全て話してくれたからね、これくらいは当然さ。覚えていないと思うけど、君の意識のない時に色々と尋ねさせてもらったんだよ。結果、君がちゃんと意識ある内に話してくれた事と合致してくれた。こんなに嬉しい事はない。我々を信じてくれたという事なのだからね」
「……分かっていただけたようで何よりです」
「我々はもう君に危害を加えない。君はここで日曜が訪れるまで安静にしてくれるだけでいい」
「……眠ってもいいんですか? 電気は流さないんですか?」
「ハハハ! あぁ! そうだった! てっきり流さないよう指示したつもりだったのだが、忘れていたようだ。大丈夫、安心したまえ。我々は約束を守る組織だ。今夜からは気持ちよく眠りたまえ」
やれやれと肩をすくめながら、男は笑いながらそう答えた。
コイツの言葉は一語一句残らず僕の神経を逆なでしてくれている。
防護服の上からでも伝わってくる一挙一動の行動が更に苛立ちを際立たせてくれる。
……まぁ、そんな事はもうどうでもいい。
これ以降は苦しめられる事もなく、眠る事を許される。少なくとも、日曜日、つまりは神の神判が訪れるまでは眠れる。
もう誰にも期待はしない。
世界はこうやって作られているのであり、きっと僕はこうなる運命として生まれて来た。
そう考えれば、そう思い込めば、心が少し落ち着いてくれる。
部屋の片隅で、冷たい床に座っている僕を、全てを諦めた僕を。
――男は見下しながら、言った。
「お腹が減っているだろう? これは頑張った君に贈る、正当な報酬だ」
後ろから新たに現れる1人の兵士。
その両手には、リボンのついた少し大きなプレゼントBOXが持ち抱えられている。
腰から胸元までの、ランドセルを少しだけ大きくしたようなその箱が、三畳の牢獄、その中央にゆっくりと置かれた。
「その中には食事が用意されている。眠る前までに必ず食べるように。必ずだ。栄養失調で死んでしまっては困るからな」
笑いを含ませながらそう言うと、謎に包まれた箱と不快感だけを残して、奴らは退出した。
ギギィーという聞きなれた音と共に分厚い扉が徐々に閉まっていく。
次に会う時は日曜、もしくは月曜になってほしい。少なくとも今日と明日だけはもう会いたくないと願いながら、僕はそれを見送った。
……さて。
上下左右をビクともしない銀色の鉄で覆われた部屋。
布団が無い。窓も無い。鏡も無い。蛇口もない。暖房もない。
照明と仕切りのないトイレ、そして4台の監視カメラ。
そこに、場違いの可愛らしい赤いリボンを纏ったプレゼントBOXが置かれている。
正直な話、三畳程しかない部屋にそんな物を置かれても窮屈でしかない。
奴は寝る前に食べろと言ったが、寝る直前とは言っていないし、今すぐ食べてはダメとも言ってはいない。
つまり、今日中であれば食べるのはいつでもいいという事だ。
どういう思惑でこれをプレゼントしてきたのかは分からない。
ただハッキリと理解できる事は、これは100%好意で送られて来た物ではないという事くらいだ。
……。
…………。
僕の目線が中央に置かれた箱に集中して数分が経過した頃。
部屋中に、甘い香りが徐々に充満していった。
どこかで食べた事のあるような、甘い甘い、チョコレートのような、ドーナッツのような、そんな感じの甘い香りだ。
……奴は必ず食べろと命令したが、僕はそもそも何かを口にしないと生きてはいけないような気がする。
別にお腹が空いたって訳じゃない。砂漠の中のオアシスのように感じている訳でもない。
そもそも、僕は体が弱い。特に心臓が弱い。今までの仕打ちでまだ生きていられることに驚きを隠しきれないくらいに、僕の体は弱い。
だからこそ僕は健康的な食事を欠かさなかった。規則正しい生活リズムを刻んできた。
悔しいが、食べる以外に選択肢はないはずだ。
それに命令通りに食べなければ酷い事をされるに決まっている。
全身が固定され、電流を流し、無理矢理にでも食べさせるに決まっている。
体の中心から、早く栄養を取り入れてくれと警報が鳴り響いてくる。
グーグーと抗議するお腹に「分かった分かった! 僕に選択肢は残されていない事はもう分かっている、それでも言い訳じみた事をしないと精神が持たないんだ!」と弁解しながら、僕はフラフラの体を引きずりながら箱へと近づいた。
嫌らしい程になかなか開けない強固な箱かと思いきや、ちょうちょ結びになっているリボンを引けばそのまま開きそうなガードの緩い箱。
少し警戒しながらリボンを引と、そのままするりと解かれた。
ゆっくりと、箱が左右に展開され、中に入っているモノが証明の下に現れる。
――違う。違う。違う。違う。違う。
――そんな訳ない。
――そんなハズがない。
勢いよく壁まで飛び跳ね、視線を逸らした。
全身の震えが止まらない。ゾワゾワと全身から鳥肌が立っている。
口内は胃液でまみれ、背中からは湧き水のように汗が流れ出ていく。
心臓の音が聞こえる。
ドクンドクンと、ハッキリとリズムを刻む鼓動音が聞こえる。
――お願いだ。これは夢だ。現実なんかじゃない、嘘だ。絶対に、嘘に決まっている。
確認するように、悪夢から覚めさせるように、もう一度。もう一度だけ、さっきのモノを視線に入れる。
あった。まだあった。そこにあった。確かにあった。あった。あった。あった。
――あいつ等が持って来た箱は。
――佐川先生の、生首が、入っていた。




