?日目 檻の中の玩具
夢は見なかった。これほど夢を見たかったと後悔した日は無かった。
注射を打たれた記憶の次に視界に映った景色は、徐々に日常へと浸食してきている三畳の独房だった。
椅子に縛りつけられていた僕は、気絶している間にここへと移動させられたようだ。
……視界がまだぼやけていて、頭もまだハッキリと働いてくれない。
とりあえず刺された場所を触ってみると、小さな血の塊が人差し指にこびり付いた。
どうやら注射を打たれる前の出来事は夢はない事が分かった。……いや、それすら夢だったのか、それとも幻なのか、一周回って現実なのかは今の僕には判別が付かない。
徐々に視界がハッキリしてくる。
まず最初に映った物は僕の両腕にできた無数の注射痕。
まるで鳥肌と肩を並べるかのように、ぶつぶつと血の跡が刻まれている。
そして次に気づいたのは、胸。
ここでようやく自分がパンツ一丁になっている事に気づくが、そんな事がどうでもいいと思えてしまえるほど、僕の胸には大きな傷が付けられていた。
例えるならば、胸を刃物で開き、何かをいじって、閉じて、糸か何かで縫い合わせたような大きな傷。
単純に例えるならば、まるで手術をしたような傷跡だ。
問題があるとすれば…… いや、問題そのものはいっぱいあるのだけれど、ここで一番問題になるのは執刀医だ。
あの馬鹿げた奴等が僕の胸を切り開いたという事実が、もはや僕にとっては表現できない程に恐怖でしかなかった。
気絶している間に衣類を脱がし、注射を無数に打ち、手術をする。
まるで僕を玩具か何かかと勘違いしているような行為としか思えない。
四方を囲んでいる監視カメラ越しに、今、彼等は何を思っているのだろうか。
ポップコーン片手に爆笑していたと伝えられても、僕は一寸も疑う余地を見出さないだろう。
ようやくハッキリとしてくれた頭の中で、僕は今後について考えようとした。
今後と言っても、僕の結末は変わらない。
「こいつはまだ殺すなよ」奴らは確かにそう言った。つまりは近い将来、僕は殺される予定となっている。
それも当然といえば当然だ。
警察や警備員が目の前にいるにも関わらず、あんなに白昼堂々と誘拐してきた奴等だ。
監禁、脅迫、電気椅子、傷害、薬物投与。
法律をなぞればまだまだ僕の知らない罪状までもが積みあがっていく大犯罪だ。
そんな証拠を彼らが手放しに開放する道理が無い。
だとすれば、僕が生き残る選択肢は「逃げる」以外に存在しない。
だけども、逃げるという行為に求められるハードルは高層ビルを飛び越え、大気圏を飛び越えて月まで届きそうなくらいな高さになっている。
……まず、この部屋から抜けださなくてはならない。
分厚い壁に囲まれ、監視カメラで常に見張られている状態で逃げなければならない。
次に、この手足と首に付けられた器械をなんとかしなくてはいけない。
電流を流されたら動けない。もしかしたらGPSを埋め込まれているかもしれない。僕は当然付いているものだと思っている。
まぁどんな追加機能が付いていようと、コレは絶対に外すか壊さないと話にならない。
更に、この施設から逃げ出さなくてはいけない。
部屋だけじゃない、あの拷問部屋を抜けた先にある未知の世界から抜け出さなくてはならない。
ただの一般人をこんな酷い目に遭わせている場所だ、当然セキュリティは高いだろう。
……そう。
……そうだった。
ここまできて、僕は「逃げる」という行為について考えてしまった自分を怨んだ。
そして、見えてしまった。分かってしまった。理解してしまった。
簡単な事。簡単な事なんだ。
警察と警備員は敵側の人間。当然、町中に設置してある監視カメラも奴等の手中にあるはずだ。
なんてったって僕の自宅にカメラや盗聴器を仕掛けられるし、あの学校にすら影響力を及ぼせる所か生徒会長まで手籠めにできてしまうんだ。
つまりは、仮にこのふざけた場所を抜け出したとしても、無駄なんだ。
逃げる場所がない。守ってくれる人がない。
この世界で、僕の居場所は、この薄暗い三畳間の監獄にしか存在しない。
もはや、僕個人ではどうする事もできない。
僅かな望みがあるとしたら、金曜日になっても僕が来ない事を不審に思ってくれる佐川先生しかいない。
疑っている僕が言うのも失礼すぎる話ではあるけれど、学校が気を使っても連絡先は警察になるだろうから、もう先生に頼るしか助かる道は無い。
十中八九は敵側の立場だとしても、10年の付き合いで僕の味方になってくれている事を期待するしか望みは無い。
……意識が無くなってからどれくらいの時間が経過したのかは分からない。
金曜日は今日なのか、明日なのか昨日だったのかは分からない。
麻酔が切れてきたのか、徐々に全身が軋む様に痛くなってきた。
ツギハギだらけの体を抑え込みながら、僕はただ、時間が解決してくれるのを部屋の隅で待つ事しかできなかった。




