2日目 嘘発見器
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「成程。つまりは君は特に何かした訳でもなく、いつも通り学校に行ったら生徒会長でもあり風紀委員の南条 香澄さんに暴力を振るわれた訳だ」
「はい、その通りです」
先生の洞察力に観念し、僕は南条さんにやられた仕打ちを簡潔に説明した。
屋上に連れていかれ、銃のような何かで撃たれ、すぐ近くの花壇を粉々に粉砕されたと。
「暴力をしていい理由なんてこの世には無い…… まぁ、例外はいくつかあるかもしれないけど、影人クンは何か身に覚えがあるのかい?」
「……いえ、まったく無いです。暴力を振るって来た南条さんも何を聞きたいのかがハッキリとしなくて、答えようにも何も答えられませんでした」
「そうだね、例えば彼女の弱みを握ってしまった…… とかは無いかい? いじめている所を見てしまったとか、誰かの物を壊してしまったとか、彼女のパンツを思わず二度見してしまったとか」
「どれも弱みになるとは思えませんが、僕は何も見てませんし、何も知りません。彼女を見たのは入学式以来ですし、会話なんてした事もありません。もちろんパンツも見ていません。一度も見ていません。神に誓ってもいいです」
強いビル風が吹き続けていた屋上でなら見えたかもしれないが、生き死にがかかった状態で僕にはそんな余裕は微塵もなかった。
「ちょっとここに腕を通してもらっていいかな? なぁに、血圧と心拍数を測るだけさ。痛くもかゆくもないよ」
机の脚元から、先生は血圧計のようなものを取り出した。
同じような器械を見た事があるし、実際に測定した事もある。
何の警戒もせずに、僕はガッツリと腕を通す。
「……うーん、数値がちょっとだけ高いね。心臓の調子は最近どうなんだい? 夏の検査は私も確認させて貰ったけど、特に異常は見当たらなかったようだけど」
「はい、特に問題は無いです。痛いとか苦しいとか、そう言った事も一切ありません。本当です」
ただの血圧計のはずなのに、手首にもいろいろと何か測定するものを何個もペタリとつけられはじめた。
何かがおかしい、そもそも血圧計を何故取り出したのか、そもそもがおかしい。
そんな単純な事に、気づいた時にはもう遅かった。
「先に言っておくと、今からいう事は別に悪い事じゃない。影人クンのように心臓が弱い人によく見られる症状なんだけど、体に悪いって訳じゃないんだ。少し血流をよくすれば普通に戻るんだ。運動して筋肉をつけたり、軽い薬を飲めば治る、ささいな問題なんだけどもね」
僕の目ではなく、まるでその奥にある何かを見つけようと鋭い目つきをしながら――
「――最近、何か変な物が見えたりしていないかい?」
僕にはこの瞬間、先生が獲物を狙う鷹の眼に変化したかのように感じた。
「……変な物、ですか?」
「そう、例えば亡くなった家族だったり、自分によく似たドッペルゲンガーだったり、漫画やゲームに出てくるような悪魔や天使だったりね」
――やばい。何かがやばい。
――やばいやばいやばい。僕の中の何かが、とてつもなく大きな警報を鳴らしている。
なんなんだ、一体何なんだ。
どいつもこいつも僕から何かを聞き出そうとしてくる。
その何かってのは、仮にだ。仮に真実だとしたらだ。悪魔。そう、悪魔だ。悪魔しか心当たりがない。
思い返せば日曜日からおかしい。不安定だ。僕の平穏がどんどん崩れ去っていったのはソコだ。ソコしかない。
痛い、心臓が痛い。心臓が五月蠅い。ドクン、ドクンと太鼓のように大きな音を捲し立ててくる。
「……お母さん、お父さん、そしてお姉ちゃんが死んじゃったのも、こんな季節でしたから。たまに夢には出てきます」
「そうかい? それは本当に、影人クンの家族だったかい? 何か別のモノじゃなかったかい?」
まるで正解を知っているような口ぶり。僕が見たのは家族ではなくて、別の何かだと確信を持っているようだ。
つまりは、ドッペルゲンガーか、悪魔か、天使。そのどれかだと先生はハッキリと問いただしてきている。
なぜ、なんで、どうして。僕しか知らないはずの、僕にしか見えないはずの存在を佐川先生は知っているのだろうか。
「……いえ、全然そんなことはないです。たまに悪夢は見るのかもしれませんが、起きたらあまり覚えてはいませんので」
「影人クン。最初に言ったけど、原因が分からなければ正しい対処はできないんだよ。影人クンの怪我が階段から落ちたものではなく、銃のようなもので傷つけられた。つまり頭に強い衝撃を受けてない事に私は安心したんだよ。相手が相手だし、これから先は君の立場を考えて私も出来る限り最善の行動をする」
「……ありがとうございます」
「影人クンの悪いようには決してしない。君と最初に出会ったのが小学1年生、とても長い付き合いになっている。私は実の子供のように接しているよ。だからこそ、私にだけは正直に話してほしいし、甘えて欲しい。君の為にも、私の為にも、ね」
――ここで全てを吐き出せば、どんなに楽だろうか。
例えば「僕は日曜日の夜、長い銀色に輝く髪の下に妖怪のような紅い単眼で、羽が4つもある悪魔と出会いました。世界を滅ぶだとか、不老不死だとか、そんな事を言ってました」……そう言ってしまえば、どんなに楽だろうか。
思い返せば先生と出会ってもうすぐ10年。16歳の僕は人生の半分以上を助けてもらっている事になる。
本当に、本当に長い付き合いだ。家族も友達も居ない今、親族を含めても佐川先生以上に親しい人はいない。
先生であれば、絶対に秘密は守ってくれると確信する。
この人は、約束を守る人だ。そして、僕の事を一番に考えてくれる人だ。
一番信頼できる、僕の親代わりのような存在だ。
だからこそ、本当に。
そう、本当に残念だ。
なぜ、先生の目は。
あの女と同じ色をしているのだろうか。
僕は誰とも関わらないように行動している。
誰かに影響されたくないし、誰かを影響させたくないから。
自分の言動で、自分の環境を搔き乱したくないからだ。
だから僕はいつも孤独だし、僕もそれを望んでいた。
そんな僕が唯一、濃密なコミュニケーションを取った相手が南条さんと佐川先生。
天と地、北風と太陽くらいに違うこの2人。決して交わる事がない2人。
この2人しか見えていない僕だからこそ、見えた。見えてしまった。そして、感じてしまった。
誰も立ちいる事ができない屋上で、二丁の拳銃を持ち、圧倒的優位に立つ彼女と。
誰も立ちいる事ができない部屋で、腕をガッチリ固定し、圧倒的優位に立つ先生が。
佐川先生に関しては大げさかと思われるかもしれないが、そんな事はない。
話術に長けた精神科医が、血圧と心拍数を測定されている状況で尋問を受けている。
それに、10年、10年だ。これだけ騙し騙され続けていたと考えれば、お釣りが大量に返って来るくらいに今の状況はとてつもなく酷い。
「大丈夫かい? 急に心拍数が乱れて来たけど」
冷たい。先生の言葉をそう感じたのは初めてだ。更に言えばこれほど冷たい言葉を僕は生まれて初めて聞いた。
先生が冷たいのか、自分で勝手にそう解釈しているのか、僕には何が何だか分からない。
答えの見つからない問題は置いておくとして、今必要なのはこの場をどうやり過ごしていくか、だ。
器械を壊す勢いで暴れて、そのまま外に逃げ出せばいいのだろうか。
……だめ、絶対にダメ。権力者の娘を操る程の大きな存在から逃げ切れる訳がない。
何処までも広がる監視カメラ、そして警察と警備員から逃れる術を僕は持っていない。
捕まる。絶対に捕まる。100%捕まってしまう。
嘘を突き通せばなんとかなるだろうか?
……だめ、絶対にダメ。医学機器を装備したこの先生を騙し続ける事なんてできる訳がない。
話術の長けた尋問、そして心拍数や血圧、その他様々な体の数値を誤魔化せる術を僕は持っていない。
見抜かれる。絶対に見抜かれる。100%見抜かれる。
逃げる事はできない。嘘もつけない。
どう、答えれば良いのか。何がベストなのか。
何も分からない、そんな状況に付け加えて、先生の問いかけに即答できずに何秒も経過してしまっている事実が時間と共に積み重なってしまっている。
どんどん悪い状況に追い込まれているような気がする。いや、絶対にそうだ。ソレ込みでこの状況を作り出しているならば、やっぱりこの先生は優秀すぎる医者としか例えようがない。
逃げられない。嘘もつけない。
だけども、真実は答えてはならない。
そんな状況の僕が答えられることは、たった1つしか道は無かった。




