生贄と不良
それは月明かりもなく街灯の明かりもない
星だけがそこを照らし出している静かな夜だった
人気のない裏路地では
一人の少年が空を見上げながら佇んでいた
真っ白で裾の長い上着と
真っ白な長い髪が幽霊のようにも見える
幻のような少年だった
何かの帰りなのだろうか
それとも散歩なのだろうか
一人の青年が裏路地へと入ってきて
少年を見た途端眉をしかめた
「やあ、こんばんは。いい夜だね」
男性にしては少し高く女性にしては少し低い声で
少年は青年に話しかける
くすりと笑った表情はどこか神秘的で
天使のようにも悪魔のようにも見えた
青年は不良のようで
ガンをつけたように少年を睨んだ
「はぁ?何言ってんだ?てめぇ
こんな真っ暗な夜なんかなぁ
おめぇみてぇなひょろっちいやつは殺されても仕方ねぇぞ?」
青年の言うように少年は細かった
少し短い丈の袖から覗く
肉の付いていない白く細い腕が
夜闇に浮かんで見えるようだった
「だって僕強いし」
スカートのようにも見える長い上着を翻して
少年はそう答えた
強いのだから何も問題ないだろう?
そう言うかのような無邪気な答えだった
「はっ、それじゃあその強さっての
見せてもらいましょうかねぇええええ」
青年は拳を振り上げ少年の方へと向かっていった
「だから言ったじゃんか」
数分後青年は少年の下にいた
強いと言った言葉は本当のようで
青年は少年に拳一発も当てることができなかった
侮られた代わりのように
少年からは何発もの拳や蹴りがお見舞いされ
ボロボロになった青年は地面の上で潰れていた
ダンスのように流麗なステップで
少年は青年を倒していた
「てめぇ……」
怒りが篭った声も
地面に伏した状態では恐ろしくは聞こえない
少し呆れたように息を吐いて
少年は青年の上から飛び降りた
青年はカエルが潰れたような声を出しつつ
重石が消えた事でゆっくりと起き上がり姿勢を正す
「じゃあ僕はこれで」
優雅な所作で礼をして
少年はその場を立ち去ろうとした
「覚えてやがれ!!次はこうは行かないからな!」
捨て台詞にしてもお粗末な言葉を吐いて
青年は少年を見送った
少年は驚いたように目を見開いてから
ゆっくりと二度瞬きをする
「そう……うん……知らないの……かな」
少年はそう小さく呟いてから青年に向き直り
少し寂しそうに薄く笑って再び口を開いた
「君の実力じゃ僕は倒せないと思うけどね」
からかうようにそう告げて
少年は夜の闇に溶けて消えていった
口調に反してなぜか
哀しそうにも寂しそうにも辛そうにも見える表情をしていた
青年はその顔を忘れることができなかった
「おいてめぇ。今日は何しでかした」
少年の元へ怒声と共に青年がやってくる
ここ数ヶ月の間に何度か繰り返された光景だ
新月の夜だけここに現れる少年
その少年と遭う直前に
青年にとって都合の悪い噂が流れ
少年が笑ってその噂を流したことを肯定するのだから
この言葉も仕方ないことだろう
「何もやってないって」
「舎弟の奴らに生温い目で見守られて
何もねえって事ぁねえだろ!
てめぇがなんかやったんだろ!!」
「えー何もしてないって
ただ君がこの間子猫を可愛がっていたことを
噂として流しただけで」
悪戯っ子のように無邪気に笑いながら
少年は青年に告げる
何もしてないと言いつつも
それが嘘だとわかっているようで
青年をからかうためにやったという事は
目に見えてわかるような態度だった
青年は怒りを堪えきれない様子で
少年に近づいていく
「それがやってるって言ってんだろうが!!!」
「ふふっだって君をからかうの楽しいんだもの」
笑いながら少年は逃げる
青年に捕まらないように
けれど青年から離れないように
この一時の時間がとても楽しいのだと
そう言わんばかりの行動だった
そうして楽しい時間は過ぎていった
青年はこの日々がずっと続くと思っていた
けれど少年はこの日々が永遠でないことを知っていた
「"私"はもう死ぬからね
だから少しだけ
思い出が欲しかったのさ」
耳慣れない一人称で
いつものように明るく見せた表情で
けれどどこか哀しそうな笑顔で
少年はそう告げた
もう死ぬというにしては元気な様子で
けれど生きるにしては辛そうな様子で笑んでいた
「はぁ……?」
意味がわからないといった表情で
青年は少年を見つめる
"死ぬ"という非日常的な言葉を咀嚼するのに
時間がかかっている様子だった
「ほら、神の生贄さ
聞いた事あるだろう?」
笑んでいるというのに
どこか優しげで悲しげで諦めたような表情で
少年はそう続けた
顔は笑っているというのに
心は泣いているようだった
それでもそう見せないように
貼り付けたような笑みで少年は話を続ける
「そ……そりゃああるけどよ……」
その風習は青年にも覚えがあった
神の生贄というのはこのあたりの風習だ
ある一族に生まれた二番目の子は
神様に捧げられるためにずっと生かされるのだと
そして十八歳になる年の春に
生贄として……死ぬのだと
「"私"はそれに選ばれた
だから"私"に自由なんてものはなかった」
始まりから生贄だと決まっていれば
そこに自由などありはしない
十八の歳に生贄になるのだから
そこに未来はない
ただその日まで死なせないようにだけ
生贄として不備がないように
ただ生かされているだけだ
自由も未来も始めからなくて
あったのは生贄という役割だけ
「夜の闇に紛れて外に出られる新月の夜と
閉じ込められた……いや違うね
そこに閉じこもらなければいけなかった
小さな小屋の中だけが"私"の世界だった」
世界を見ることもできなかった
好奇心のままに何かを見ることもできなかった
ただ夜の闇だけが少年にとって友達だった
「…………」
自分とは関係の無いはずだった生贄という風習
それの体現者が目の前に居る
そんな理解し難い状況に口をつぐむ
「君くらいさ
"私"の事を知らなくてただの僕を見てくれたのは」
真っ白な長い髪と翡翠の瞳は今代の生贄の証
誰と会っても誰と話しても
生贄という装置としか見てくれなかった
人として扱われることは無かった
そんな中で青年だけは
生贄の事を知らずにただの人として
少年を見てくれた
「だから、少し甘えすぎたのかもしれないね」
貼り付けたような笑みが少し崩れ
悲しげな表情が浮かんでくる
「俺が一緒に着いてってやるよ」
ふうと一息呼吸をして
青年は少年にそう言った
「………………え?」
驚いたように少年は目を見開いて青年を見る
「俺を見てくれるやつも居なかった
ただただ無意味に不良の頭を気取ってただけだ
俺だってなぁ……てめぇに居なくなられるのは嫌なんだよ」
青年には親がいなかった
捨てられた子は生きるために何でもやった
そうして生きるために悪事を働くうちに
青年は不良の頭として名が知られるようになっていた
青年にとって人は
怯えられるか崇拝されるか殺されようとするかだけだった
そんな中で楽しそうに接してくれる
少年は救いになっていた
「なあ、1人が怖いなら2人で行きゃあ良いだろ」
青年はそう言って少年に手を差し出す
少年は泣きながら頷きその手を取った
ゆっくりと2人で一緒に祭壇へと登っていく
もう死ぬのは怖くなかった
だってこの手の先に友達が居るのだから
「「じゃあまた向こうで」」
祭壇の先にある高い高い崖の上から2人は身を躍らせる
2つの人影は空を舞いながら下へ下へと落ちていく
その影には生贄を祝福するように
光が集まり影は光へ交わり混ざり
終わりには小さな光の粒となって
キラキラと空に溶けて消えていった
それが2人のとっての幸いだったのだ
少年はがりがりの体で肉もついていませんでした
美しい顔で性別がわからないような顔でした
けれど彼女は確かに女性でした
たぶんですが青年の事が好きだったんだろうと思います
自分のことを初めて見てくれた人
きっとその感情も自覚はしていなかったのでしょう