一日目 序
「おはようございます、お兄様」
そう言って謎の美少女はパアっと光が見えそうな明るい笑顔を俺に向ける。
……誰?
謎を解明する前にまた謎に殴りつけられた。ここはどこ?なぜ俺がここに?鏡に映ったあれは何?この美少女は誰?お兄様?俺が?まだ未処理の疑問が頭の中を溢れだして埋め尽くす。勘弁してくれよ、もうこれが夢じゃあないという根拠のない自信が消えかかっている。
「お兄様、大丈夫ですか?」
黙りこくっている俺を心配したのか少女がグイっと距離を詰め、不安そうな表情で顔を覗き込んできた。近い近い近い、距離が近い!すごくいい匂いする!チェリーボーイを殺す気か!
さて、言っておくが俺に妹はいない。欲しかったけどいない。つまり、現在目をウルウルさせながら超至近距離で見つめてくる少女は俺のことを、『お兄様』と呼んでくるがこの子は俺の妹じゃあない。それどころか初対面。
少女は俺の(正確にはこの姿をした人物の)ことを知っているみたいだけど俺は彼女のことを知らない。それではどうしようもない。だから名前を聞いてみることにしてみた。
「えっと、だれ?」
見つめられて緊張していたために無愛想でストレートな聞き方になってしまった。もうちょっと頑張れよチェリーボーイ。
「え……。」
質問された少女はショックを受けたのか小さく声を漏らした。確かに知り合いにいきなりそんな風に聞かれたらそうなるだろうな。誰だってそうなる。俺だってそうなる。昔、友達だと思っていたやつにそんな風なこと言われた時のショックを思い出し浸っていると、血相を変えた少女が肩を掴み揺さぶってきた。
「お、お兄様!私のこと忘れてしまったのですか!?ああ、やはり先刻馬に突進されたときに当たり所が……」
なんか凄いこと言った気がする。
とりあえず少女を落ち着かせようと口を開きかけた時、
自分の名前はジョシュア。
目の前にいる少女は妹のアイリーン。
ここは一八九三年のロンドン。
妹のアイリーンと共に遊びに来ている。
この部屋はロンドンに住む叔父が経営するホテル、その一室。
といった知識、記憶が流れ込んできた。突然のことに言葉が詰まり、思わず「アイリーン……」と呟く。その呟きがきこえたのか俺を揺さぶっていた少女の動きがピタリと止まった。
今ので合っていたのだろうか、何か不味かっただろうか、と心配したが杞憂だったようだ。
「もう!お兄様ったら!からかっていたのですか!本気で心配したのですよ、もう」
少女、いやアイリーンは頬を膨らませて子どもっぽくそっぽ向いた。可愛い。
冗談でも、もうしないでくださいよ。と、叱られたので、ごめんよと謝った。アイリーンは大きく息を吐くと、本当にどこか痛むところはないかと念入りに聞いてきた。特に痛むところはないので大丈夫だと伝えると、やっと安心した顔になった。
「お兄様も元気そうなので、叔父様のところに挨拶に行きませんか?」
落ち着いてきたので二人で椅子に腰かけ、ルームサービスの紅茶を飲んで少しの間くつろいでいるとアイリーンがそう提案してきた。
「しばらくお世話になりますし、……先ほどはお兄様が気絶していて挨拶しそびれましたので」
叔父様。このホテルの経営者様ね。うーん、もしかしたら会うことでさっきのように何か情報が得られるかもしれない。そういえばあの現象は何だったのだろうか。情報がまるで最初から知っていたかのように、『刷り込まれた』みたいだった。気味が悪い。
まあ、今どうこう考えていても何も出てこないし、行ってみるか。叔父様とやらの所に。美少女とのティータイムという慣れない状況(紅茶飲んでても緊張で味もわからなかった。)からも抜け出したいしね。
「そうだね、叔父さんのところに行ってみようか」
「はい!」
そうして俺たち二人は扉へ向かう。
この夢のような奇妙な場所から抜け出すにはまだまだ時間がかかりそうだ。