メティス
「あなたの『メティス』、解放してもいいわ」
電話口から、届いた声には尋常でない雰囲気を纏っていた。この人は、はっきり物を言わない。僕に選択肢はあるようで、ない。
朝日は、空を見上げている。白い首から鎖骨にかけて、巨大な星からの反射光で妖しく光る。ジャンバーのポケットに両手を入れて、いつものポーズで、星を見ている。
「朝日。」声を出すのを拒むような沈黙を破っていった。
「行かなきゃ」
朝日はゆっくりと首を下ろした。身がすくむような緊張感が走った。
しかし彼女は何も言わずにショルダーバッグを外して、僕の肩に掛けてくれた。
「家で待ってるから」
暖かい息が耳にかかる。
「わかってる」
そう言うと、朝日がこの空気を中和するようにちょっとだけ笑った。
僕はバッグから、パソコンを取り出して起動した。虹彩認証、そして手のひらの静脈認証でこれが一番恥ずかしいんだけど「グッモーニン、メティス」と声に出す。声紋認証である。
「おはようございます、雲星さん。ご用件を」とメティスの声。ほとんど人間と変わらない合成音声だ。
「中央行政機関まで、バイクで最短最速で行くルートを検索してほしい。」
「人為誤差はどのくらい考慮しますか」
「タイトで、頼む。」
「了解しました、直ちに発車してください。」
パソコンを閉じて、シートの中に仕舞う。ついでに、シートの中に入っていたゴーグルと水色のヘルメットを装着する。僕の場違いな姿がおかしいのか、朝日に鼻で笑われてしまった。何せ、ヘルメットの下はスーツだ。
「じゃあ、朝日。すぐ戻る。」
すると、ハンドルを握るか、握らないかなうちにバイクが走り出した。風が頰に当たる。
走る瞬間、後ろで朝日が「いってきな」と呟いたような気がする。
商業区域の大通りに出ると、未だに大量の車のの列が、道を塞いでいた。
「あの二台の間を通ります」
ハンドル部にセットしたスマホから、『メティス』の声が流れる。際どい車間を怖気つくことなくスルスルと進んで行く。
「時間は、どのくらいかかる?」
「おそらく、15分あれば着くでしょう」
予想以上の速さに、僕は言葉を失った。
「プランとしては、5分で商業区域を、抜けて8分加速、2分減速して中央行政機関に到着します。」
「2分も減速に使うのか」
「はい、最高速度はおよそ280キロ毎時になりますので2分ほど止まるのに時間がかかります。」
と言いながらふと気づくと目の前の車輌が次々と道を譲り始めた。
「これは?」
「自動運転の車輌には、操作系に干渉して道をを開けるよう指示しました。」
「すごいな」
このバイクにこんな潜在能力があるとは知らなかった。
ある種の畏怖をこの知能に抱いた。『メティス』を使うときはいつもそうだ。圧倒的な知能に、人類はただ「お願い」をしているだけだ。
メーターは、110キロメートル毎時を指していた。風が轟音となって耳に響く。流星のように、ビルの窓の光が流れる。スーツが破れるんじゃないかと思うほど空気が、押し寄せてくる。僕は、バイクを操作するというより、しがみついて振り落とされないようにするのが精一杯だった。
経路検索といっても、そこらのカーナビとは比にならない。最短最速のルートは混雑状況や、天候で常に変化する。『メティス』はネットワーク上の情報を全て使い、それを割り出しバイクを動かす。つまりは自動運転だ。
そのルートは世界の中で『メティス』だけが知っている。
さっき見たゲートが猛スピードで迫って来ている。轟音の中で、ただ何かを祈っていた気がする。