カフェ
「というか、あったな」
「、、、うん。正直私もあるとは思わなかった。」
それは、寂れた路地裏にあった。高層ビル群に押しつぶされそうになりながら、ポツリと灯りをともしていた。
カフェ、"pleasure"と看板に一昔前っぽい字で書かれている。
「入るぞ」「うん」木製のドアを開ける瞬間、朝日が僕の背中に隠れる。
カフェみたいなところがいい、朝日はそう言ったがこれは喫茶店だな。僕は思った。
赤を基調として、茶色のテーブルが並んでいる。壁には大きめの鏡が貼ってあり、狭い空間を意識させないレイアウトだ。
カウンターに立っていたおじさんが手を止めた。やはり客が来ることを想定してなかったようだ。
「すみません二人です」
寂れた店内に、僕たち以外に客はいない。
赤い長袖のシャツに茶色いエプロンをしたおじさんは少しぽかんとしてから、それでも「どうぞお好きな席へ」と柔らかい微笑みを欠かさなかった。
頭では忘れていても、身体に染み付いていたのだろう。しかし、僕の後ろに隠れた朝日が目に入った途端、また目を見開いて驚いた。
朝日は、少しばつの悪そうな顔をして「座ろう」と歩き始めた。驚いたことに、おじさんの方に歩み寄って、カウンター席に向かっているようだ。声をかけようとして、戸惑った。朝日の後ろ姿に鬼気迫るものを感じた。
二人並んで、高めの椅子に座る。目の前には店のカラーをそのまま纏ったおじさんが不思議そうに洗いかけの皿を手に動きを止めている。
「おじさん、メニューありますか」
白い彼女が店に入っただけで、劇的に店の中の色彩が変化したように感じた。極限まで濃縮した絵の具を、透明な水に一滴垂らしたかのように。
朝日はまっすぐに、店長を見上げる。それは何か見えないものに対抗しているようであった。
「ああ、ハイ」
店長は朝日とは違い、いたって普通に対応する。
朝日は渡されたメニューを開いて、
「ホットココアと、プリンください」即答。
ほらショウも早く選びなさいと催促して来る。そんなこと言われても困る。状況を整理しようとするのを中断して、必死に目を走らせる。
「いや待て朝日、君の夕食がそれか?」
「早く」
「じゃあ、コーヒーと、プリンください」
カウンター越しに、おじさんと目があった。何か今まで見てきた誰ともちがう感じの人だと思った。
「了解しました」
そういって作りにかかる。「お湯を沸かすところからですので、少々お待ちください」
くるりと、おじさんは僕たちに背を向けた。
そうすることで僕たちが雑談をすることを認めたみたいに。
「あ、おい、朝日。」
「は」
「パソコン返してくれ」
「だめっ」朝日が目を見開く。
朝日が肩にかけているバッグを両手で胸の前で抱える。
「何かあったら困る。」
「こんな時期にそんな物騒なことない、今までだってなかった」
「それはこれから先、起こらないという証拠にはならない」
「こんなところまで来て仕事するの?」
赤い目で、訴えてくる。
うんざりするほど頑固だ。自分が、譲れないところは地球が滅びようが、絶対譲らない。嫌われたり、信用を失ったりするリスクがあるとしてもだ。むしろ、そうすることによって関係性を試すような意味合いがある。
それに付き合い続けたからこそ、今もこうやって二人でいるわけだし。つまり、それが嫌なら僕の方から切ればいい。、、、つまり朝日と一緒にいる限りは、勝てない。
僕は朝日というよりかは自分を説得してさっさとパソコンのことなんか忘れなくてはいけなかった。
「うん、1900年代のオマージュだね」朝日は内装が気になるようだ。
「懐かしいな、って僕たちまだ生まれてないけど」
そうだね、と言いながら朝日は赤い目で店長らしきおじさんの背中を見つめる。容赦なく、真面目に調理している赤いチェックのシャツに視線が突き刺さる。本人に突き刺すつもりは毛頭ないと思うけど。
しばらくしてから眼鏡を外してコトンと、音を立ててテーブルに置いた。それから太ももの上に手を置いて、目を閉じ、深呼吸する。ゆっくりと胸が上下する。
ようやく落ち着いてきたみたいだ。
僕の方はというと、地球が終わるかどうかの瀬戸際(ほぼ終わるのだけど)にいちいち他人を見定める心の余裕がないのと朝日のせいで、人間不信気味である。
ふと、朝日の方を見ると肘をついて顔の前で、指を組んでぼんやりしている。何言わずにこちらを向いて微笑む。
長い指も、蛍光灯の光を溜めて金に光るまつげも、純白の髪の毛も芸術的に様になっていて、下手したら何時間でも見惚れてしまいそうだった。自らブレーキを踏まなければ制御できないような危うい魔力がある。しかし本人は、そうやって褒められるのが嫌いだ。だから、口に出しては言わない。
「あっ店長、」朝日がキッチンの物音に反応して嬉しそうにはしゃぐ。「もしかしてプリンも、卵を割るところから?」
おじさんは、振り返ってそうでございます、とささやかな嬉しさを、表した。手にはかきまぜ機。なぜか最新型だ。
胸の前で手を合わせて、感嘆の声をあげる。
「なあショウ、焼きたてのプリンって食べたことある?」
「いや、ない」
というと、あらかさまに朝日がため息をついて「これだから現代人は、、、。」
とがっかりされた。
「君は現代人じゃないのか?」
「焼きたてのプリンより美味しいものはないのよ」
「話が噛み合わないんだが」
「今コンビニに売ってる奴は冷たいでしょ、あれなんかプリンとは言わない」
「へえー」
「プリンは焼きたてに限る!それが私の持論。いい?」
朝日がぎゅっと胸の前でこぶしをつくる。
「ああ、焼きたてのプリンを食べずにショウは死ぬなんてありえない」
「そんなに美味しいのか?」
「うん、もうホントに。自分で作ろうとした時は失敗したけど、それでも美味しかった。」
でもそれって結構時間かかるんじゃないのか?痛いほどお腹が空いた。
まあいい、しばらくは朝日の雑談の相手をすることにしよう。
そう思った瞬間、胸ポケットに入れた携帯のバイブレーションが振動した。緩んだ気持ちが急激に張り詰めて、心臓が動き出す。
朝日の足の動きが止まる。僕の動きから、何かを勘付かれたか。
「ごめん」
席を立って外に向かう。
この時間、この状況。語らずとも朝日にはわかってしまっているだろう。
「もしもし」
「もしもし、雲星君?今、外だよね」
一番痛いところを突かれた。
「単刀直入に言うわ。急いで、中央行政機関に来なさい。話はそれからよ」
そこで、一旦息をついた。空には、不気味に星が、瞬きもせずゆっくりと蠢いている。その存在を見せつけるように。ジワリと背中が熱いような冷たいような異質な、感覚が走る。そんなものを味わうのは後にも先にもこれが初めてだった。
「どうしたの、まさかガールフレンドも一緒?」
口ごもる僕の様子が気に障ったのかもしれない。
僕の人間関係を勝手に決めつけられるのは、気持ちよくないが、口答えしている暇はない。
認めると、あえて聞かせるような、ため息がクリアな音質で耳元に響いた。
「めんどくさいのよね、あの子。こんな時に」
反論できないでいた。自然と携帯を持つ手に力がこもる。
「とにかく、時間はどれだけある?」
「言葉の通りよ。私は『急いで』って言ったのだけど」
「了解、」
ならば、全力で急ぐだけだ。いくら気張ったって相手の鼻を明かせないのが悔しい。それなのに、体が短絡的に行動することを求めてしまう。
「言い忘れたけど」耳から外そうとした携帯から、冷たい声。
店の方を振り向く。
逆光に照らされた朝日が立っている。
白い髪の輪郭が金に輝く。赤い目が、闇に紛れてもなお、生々しく血をたぎらせてぼくを見つめる。
「あなたの『メティス』、解放してもいいわ」