おまじない
「ねえ、どこ行く?」
目を怖いぐらいに輝かせながら朝日が言う。
「なるべく家にいなきゃいけないんだけど」
しかし彼女は「今日、非番でしょ」と即答。なんで僕のスケジュールまで知ってるんだ。
「寝てる間に、見ちゃったっ」
「見ちゃったっ、じゃない!」
「ごめんなさーい」
舌をちょっと出して、白い前髪をぴろっとめくる。あきれるぐらいに、すまなそうじゃない。
「非番と、休日は違うんだぞ」
首筋を掻きながら、僕は言った。建前上、そう反論しなきゃいけない立場だ。しかし実際は、食欲に負けそうになっていた。
「パソコン持っていけばいいよね」
と言いながら、僕の腕をまげて、無理やりショルダーバッグを持たせる。重い。本当にパソコンが入ってやがる。
「家のとじゃ性能が違う、そもそもネットに繋がる環境かわからないし」
「へえー、プロフェッショナルなのに環境に文句言うんだ?」
僕の肩に、ロープがなんかみたいに乱暴にコートを引っ掛ける。
「プロフェッショナルだからこそ、環境にこだわるんがふ」
彼女が帽子を頭に被せようとしたのを、完全に外して僕の顔面になすりつけられた。
ぽとりと音がして、帽子が落ちる。
唖然とした顔で、腕を投球後のピッチャーみたいに構えた朝日と目が合った。
「被せるならちゃんと狙えって」
「はい、並んで」
玄関の鏡の前に二人で並んで、立つ。
「ちょっと、色がうるさいなあ」朝日が、背伸びして僕の頭に乗った帽子を外した。
さっきから、ずっとこんなことばかり言っている。二人で並んで歩くんだから、独りよがりのファッションはやめろ、と言いたいらしい。
僕のいでたちといえば、上下揃ったスーツだ。オーダーメイドで、結構高かった。といっても今の時期は、スーツなんて『終末インフレ』でもういいやつは買えない。スーツなんて作っている場合じゃない。今、出回っているのはオートメーションで作られた人件費がかからないものがほとんどだ。
僕の着ているやつは、ゆるすぎないで家に仕事の人が来た時も着れるから、重宝している。
「どうかな、このメガネ」
黒縁の大きめのメガネだ。小顔の朝日にはバランスが取れてないような気がするが、漫画のキャラクターのようなコミカルでかわいい印象がある。
白が基調だから、やはり黒が映える。赤い目もアクセントだ。
たとえ見栄えがどうであろうとも彼女の内面が、推し量れるわけではないのだけれども。
「似合ってるんじゃない?」僕は少しだけ鏡を見て言った。
「そお?」
鏡の中の朝日が、鏡の中の僕を見上げる。
嬉しそうにほおを染めて、フレームの位置をむずむずと両手で調整している。
「じゃあそろそろ行こう」
鏡から離れようとした途端、腕を掴まれた。
「笑顔になれるおまじない」
「はあ?」
何を突然言いだすんだ?
「前を向いて、」
すると、朝日がゆっくりと腕を鏡に向けて伸ばした。
「こう」
拳を鏡にゆっくりと合わせた。それから、一番美しい顔で、彼女は微笑んだ。
その瞬間、腕を動かしてそうするまでのわずかな時間が堰を切ったように流れ出した。
僕はその手慣れた動きと、彼女に圧倒されてしばらく動けないでいた。
「ほら、真似してごらん」
パンパンと朝日が背中を叩いてくる。
いや、実際恥ずかしいぞこれ!
文句千万ながらも仕方なく、鏡の中の自分と、グータッチをすることになった。
しかし、やって見ると毎日見ているばずの自分の顔が、意外なほど自然に微笑んだ。
効果ありか、、、?