赤い目と
電話があったのは朝だが、彼女が訪れて来たのは夕方だった。
インターホンの呼び出しを受けてドアを開ける。
もう日は沈んですっかり暗くなった景色に、彼女の人影が浮かんでいる。
絹のような純白のショートヘア。
「よっ、元気にしてる?」
お邪魔しますとも言わずに家にズカズカと乗り込んで来る。
宝石のような赤い目が、夕闇の中、その美しさを持て余すように笑う。
いつも彼女に会うとしばらくは圧倒されて怯んでしまう。
「今日もすごかったなぁー」
子供みたいにはしゃぐ彼女に生返事してやっと調子を取り戻した。
「君のことを見ていると、地球が滅びるのが嘘なんじゃないかと思ってくる。」
「ふーん」
ようやく口をでた軽口は、あまり響かなかった。
私はどうだっていいけどね。と全てを見透かしたように、うっすらと口角をあげて、僕を見つめてくる。真紅の目から発される眼力になれるのに少々苦労した。
でも、今はもう立派な友達だ。切っても切れないだろう。そんな表現がしっくりくるような関係だ。
「今日はなんだか色がきれいだ」
空を見上げながら内波朝日は呟いた。
いつも同じ服を着ている。
いつかの彼女の誕生日にあげたカーキ色のジャケット。そのの下に黒いミニスカートを組み合わせている。
男物だが、彼女いわく「フェミニンとマスキュリンを組み渡せたら可愛いし、お洒落でクール。それはつまり、いっつあベリーぐっど」らしい。
もともと捨てるつもりだったのだが、偶然彼女の目に入って「ちょーだい!」
と思いっきり迫られた。
首の部分にちょっとクッションが入っているから、空を見上げるときに枕になって楽なのだそうだ。そのためにクッションが入っているわけじゃないと思うのだけど、その使い方が彼女らしくてとても気に入っている。持ち主として少し誇りに思う。
二人で二階に上がって「星を見る部屋」に入る。
薄暗い部屋の中央には、巨大な大砲みたいな白い望遠鏡がある。
ホワイトボードの壁には、彼女の書いた素人にはわけのわからない数式が書かれている。
そして、物を書くための勉強机と、その棚に並べられた何冊もの本。全て彼女のものだ。
一年ほど前、星が地球に近づいてきた時に彼女が僕に猛プッシュして作らせた部屋だ。
「おねがいおねがいおねがい!」
真っ赤な目に涙を浮かべながら、手を合わせる姿を思い出す。
「今は世界中がパニックになってるから、だめだ」
「おねがい」
両腕を痛いほど掴んでゆすってくる。
いや、、、強請ってくる。
「お金はあるの!」
生涯の仇を見るような目で、僕を上目遣いで睨みつけてくる。
「でも僕の家だ」
「一生のおねがいだから!」
地球が滅びるとわかった瞬間、あからさまに一生のおねがいを使う彼女が、半分呆れて、半分哀れで。
でもその「お願い」が、真に迫っていて仕方なく、許した。
幸い彼女のように星を見たいという少数だが、確かにある需要に応えてくれる業者もいた。
彼女が、桃色がかかった白い手でゆっくりと部屋の入り口のすぐ近くにあったボタンを押した。
鈍い音がして、薄暗い部屋にほのかな星明かりが差し込む。
全面ガラス張りの天井を覆うシャッターがゆっくりと開いてゆく。
そして露わになる巨大な惑星。
その面積の約半分くらいを占める海が、ゆらりと波打っている。地球の周りを自転しながら公転しているので、月のように満ち欠けをする。
今日は、半分だ。影になった部分はまるでそこに世界の真理を隠しているかのようだ。そこに何があるのか知ってみたい。
身を滅ぼすような、危険な好奇心が僕から、言葉というものを奪ってしまう。ただ、馬鹿みたいに上を向くだけだ。
そんな、ちっぽけな人間の思考なんて気にせずその星は何よりも静かに雄大にたたずんでいる。広い宇宙のどこからか漂ってきて、偶然地球のすぐそばまでやってきたのだ。
その計り知れないほどの偶然、それは神と近似している。
「すごいね、」
嘆息する、彼女の声が空気に溶けて消えた。
何かを言おうとすることが、無意味であるかのように。それでも、深く感動した心からは漏れ出てしまう。
思い出したように、もう1つのボタンを彼女が押した。
ガラス張りの天井が中心にある銀色の線を中心に3メートルほど開いた。冷やされた外の空気が部屋に流れ込んでくる。
これで、望遠鏡が使いやすくなるらしい。間に何もなくなるから。
もう慣れきってしまった光景だけど、まだ僕の中の何かが後ろ髪を引かれたようにざわめく。
星を見ることに関して、彼女は本気だ。