落語「鯖の目」
『タモリ倶楽部』で紹介されていた情報なんですが、鯖という魚にはヒスタミンという成分が含まれているそうでして、そのヒスタミンというのはアレルギーを引き起こすそうですな。春先になると見かけるようになる花粉症の薬に入っている抗ヒスタミン剤というのは、このヒスタミンの反応を抑えるとか。こう聞きますとヒスタミンというのは悪い奴のように思えますが、江戸時代にはこのアレルギー反応の仕組みを利用して、便秘の際にお通じを良くする薬として用いていたとか。中には、肛門に鯖の目玉を直接入れてしまう猛者もいたというビックリするような情報まで紹介しておりましたが。
これはそんな江戸時代のお話になりますが、八丁堀の外れに三味線のお師匠が住んでおりまして。このお師匠さん、大層美人なうえにとても若い。そんな別嬪さんがお女中とふたり、小さいながらも洒落た一軒家に暮らしているとなると、これはもうお決まりのように大店のお妾さんでございまして、柳橋あたりで芸者をしていたところを日本橋の呉服屋の旦那に見初められ、こうして家をあてがわれ囲われておりました。
「はなや。はな、いないのかい。おおい、はな」
「お呼びですかい、奥様」
「ああ、きたきた。お前ねえ、何度も言うけれど奥様はやめとくれよ。私は一応ひとり身なんだから」
「それは済まんこってす。ところで何か御用でお呼びになったんじゃ」
「そうそう、頼みがあるんだよ。これからちょっと河岸まで行って鯖を買ってきておくれよ」
「鯖かい。構わねえけど、うめえ具合にしめたのが手に入るかねえ」
「違うんだよ、生のが欲しいんだよ」
「生のって、奥様。そんなの食っちまったら腹壊すだよ。悪いことは言わねえから止めとけ」
「それでいいんだよ」
「へえ、それは一体」
「実はね……ここんとこないんだよ」
「ない。なにが」
「もう鈍い子だねえ。お通じがないんだよ」
「あれま、それは難儀なこって」
「ここ数日全然出なくってさ。お腹が張っちゃって苦しいんだよ」
「なるほど。それで鯖を召し上がって腹を下そうって腹だね」
「洒落のつもりかい、めんどくさいねえ。とにかくそういうことだから、ささっと行って買ってきておくれ」
「へい、それじゃ行ってまいりやす」
そう言うとお女中のはなさん、ざるを小脇に抱えると表に飛び出して、そのままぴゅーっと河岸に向かって駆けて行きました。一刻ほどすると。
「ただいま戻りやしたあ」
「ご苦労さん、ずいぶん遅かったね」
「奥様、そら酷いな。あっちこっち駆けずり回ってやっとこさ見つけてきただよ」
「あら、それはごめんなさい。ということは見つかったんだね。生の鯖」
「おらを誰だと思ってるんだ。ちゃんとここに、ほれ」
差し出したざるの中には立派な鯖が一本。だが鼻をつくようなきつい臭いが漂って、お師匠さん思わず顔をしかめる。
「うっ。ちょっとこれ……」
「どうだい、いい具合に仕上がってんだろ。これなら間違いなく腹を下すこと請け合いだ。すぐに刺身にして持ってくるから待ってろ」
お師匠が鯖を突いてみると、ぶよぶよとして凹んだまま戻ってこない。よく見ると目やえら、そして尻の辺りから汁が染み出して、ざるを通して畳の上にぽたぽたと垂れている。触った指先を鼻の先に持ってくるってえと臭いを嗅ぐ前におえっと吐き気がこみ上げてきた。
「うぷっ。これはいけないよ。こんなのを食べたら腹を下すどころか死んじまうよ。おえっ」
「あれまあ、買って来いというから探し回って買ってきたのに。我儘な奥様だねえ」
「たしかに頼んだけれどさあ、腐った魚を持ってくるとは思わないじゃないか」
「このお江戸で生の鯖といったら活きのいいのが手に入るわけねえだろ」
はなは真っ赤なほっぺをぷうと膨らませました。
「でも困ったな。これを食えないとなるとお腹は治らんよ」
「弱ったねえ」
ふたりして考え込んでいましたが、しばらくすると、はながぽんと手を叩きまして。
「いいことを思い出しただよ。尻の穴に鯖の目玉を入れてやるとお通じが良くなるって、ばっちゃが言ってた」
「え、鯖の目玉をなんだって」
「尻の穴っこに入れるだよ」
「そんな……無理だよう」
「じゃあ刺身を食うか」
「それは……」
背に腹は代えられぬと、嫌々ながらお師匠さんは四つん這いになって裾を捲るとまっ白なお尻をぺろん。
「あれまあ、奥様きれいな尻だこと」
「ばかな事言ってないで、早くしておくれよう」
「はいはい、ちょっとお待ちを」
はなさん、鯖の目玉を指先でもってくりっと器用に取り出すと、そのままお師匠の尻の穴にぐいっ。
「ん……あん」
「なに色っぺえ声だしてんだ。……よしっと、終わったぞ」
「ふう、ありがとう。なんだかぬるぬる、むずむずして変な感じだねえ」
「これでお通じが来るとええな」
やれやれと、乱れた裾を直し身だしなみを整えておりました。そこへ。
「おーい、居るかい」
がらりと戸を開けて入ってきたのはお師匠のいい人、ようするに呉服屋の旦那。相当酔っぱらっているようで、真っ赤な顔をしてふらふらと部屋に上がって参りました。
「あら、あなた。今日いらっしゃるなんておっしゃってなかったのに、どうしたんです」
「この近くで寄合があってな。帰りにちょっと寄ってみたんだよ」
酒臭い息をふうと吐き出します。
「さいですか。それじゃあお茶でも淹れますね」
「そんなことより」
立ち上がろうとするお妾の肩をぐいと掴むと、そのまま押し倒し。
「もっと良いことをしようじゃないか」
「あらまあ」
「さあ、まずはじっくりと見せておくれ」
お妾を四つん這いの形にしまして、着物の裾を捲りますと、ふたたび綺麗なお尻がぺろん。旦那が両手のひらでなでなでしますってえと。
「あ……ああん。あんた……」
思わず力が抜けてしまったんでしょうな、尻の穴が緩んで中から目玉がぎょろりと顔を出したから旦那は驚いたのなんの。
「ひいっ。壁に耳あり障子に目ありとは言うが……尻の穴から覗いているとは」
両手を合わせ一心に尻を拝みながら。
「あいつの嫉妬心がこれほどだったとは。勘弁しておくれ、くわばらくわばら。お願いだからその恐ろしいのを下げておくれ」
その様子を隣りの部屋からこっそりと覗いていたはなさん、腹を抱えてくすくすと笑いながら。
「旦那のすけべえも仕方ねえな。これがほんとの目尻を下げるだ」
お後が宜しいようで。