22、なんかもう、勢いづいちゃいまして
「ニーニャさん・往来にて元カレ(黒獅子)殴打事件」から三日。
夏樹さんが街に帰る日。
ちなみにこの三日間、夏樹さんは千秋さんとずっと外国語みたいな会話をしていた。
チート的能力のおかげでこっちの言葉は分かるはずなのに。
と思ったらどうも学術的専門用語ってやつらしい。
「あの二人、その筋じゃちょっと名の知れた黒獅子兄弟なのヨ」
その筋ってどの筋ですかニーニャさん。
鳥類とトナカイの揚力の原理を転用して飛ばせないかとかも言ってたけど。
「ちーちゃんは素朴な疑問を解明出来たらいいってタイプで、延々机に向かうよりは相手がいる仕事をしたいって接客業を選んだノ。今は気がむいたら発案者とかやってるんじゃないカナ」
閉店後、cafeだんでらいおんのカウンターで何やら真剣な表情で図面を見ながら熱く討論している黒獅子兄弟。
そんな二人をニーニャさんは「困ったもんだ」みたいに見ているけど、その目はこれまで見た事ないくらい穏やかで、それはやっぱり同級生でずっと見てきたからなんだろうなぁ。
でもってそうなると。
ああは言っても、あんな風に迎えに来てもらったらやっぱりニーニャさんも街に帰っちゃうんじゃないかな。
そう寂しくなって、でも覚悟を決めてその日を迎えたというのに、ニーニャさんはいつものカフェエプロン姿でcafeだんでらいおんのテーブルを拭きながら
「ああ、じゃ、気をつけて」
なんてごくごくかるーく、それこそ社交辞令よりもまだひどい、ごくあっさりとした態度でおっしゃった。
夏樹さんは少しだけしゅんと耳を垂れさせ、眉尻も下げて困ったように弱々しく笑う。
ニーニャさんは「仕方ない」とでも言うように小さくため息をついて、体を起こす。
「たまにはこっち、帰って来なさいヨ? ね、センセ」
「そうですね。夏樹くんの生まれ故郷なんですから」
ニーニャさん、マジ女神。
ツチダさん、ナイスフォロー。
そして夏樹さんは一人都会へと列車で帰って行かれた。
「こんなナリしてるけどさ、俺らってものすごいヘタレ兄弟なんだよね。うちのよろしく頼むね」
そんな耳打ちを残して。
春ほどではないけど、気候のいい秋も恋の季節なわけで。
ああ、この秋はものすごい盛り上がりを見せた気がする━━
そして私は朝は納品、夕方にはバスケットとアルミのパン箱を回収にお隣を伺う日々。
千秋さんとニーニャさんの仲を誤解していた頃、ここに来るのが少しつらかった。
それがこれまで通りの、日常に戻ってほっとした。
優しくてかっこいい黒獅子のマスターとの、これまで通りの日常。
そんな中。
「あ、奈々ちゃん。今日、店終わってからちょっと時間いいかな?」
そう千秋さんにお誘いいただいた。
いつもコーヒーをネルドリップで淹れる千秋さん。
挽いた豆にお湯を含ませて蒸らしている間の千秋さんの、何とも言えない優しくて穏やかな目。
「Cafeだんでらいおん」の営業中はなかなかそういう時間が取れないから、閉店後にコーヒーを淹れてくれる時しか見られない貴重なショット。
「今日は淹れ方変えてみようと思うんだけど」
そう言って千秋さんはカウンターに座った私の目の前で、紅茶を淹れるティーサーバーみたいな器具にお湯を入れて温め始めた。
あれだよ、上から押すやつ!
温めるためのお湯を捨てた所に挽いた豆を入れて、少量のお湯を落とす。
蒸らされた粉が膨らむのを愛おし気に優しく見つめる千秋さん。
そんな姿を堪能させてもらっている間にコーヒーのいい香りが漂ってきて━━ああ、この時間、好きだなぁ。
二人分のお湯をガラスの容器に注いでプレス用の蓋を乗せて待つこと4分らしい。
その間にコーヒー色のお湯の中で浮かんだ豆がだんだん落ちて行くのがスノーボールみたい。
「ホントはこっちの方が好きなんだけど、ちょっと粉っぽくなるから店では出してないんだけどね」
お湯の中の豆をプレスして沈めるとマグカップに注ぎ分ける。
カップとソーサーではなく、マグカップで出してくれる時はプライベート。
この淹れ方もお客さん用ではない、なんて。
両手にマグカップを持った千秋さんは、カウンターを出る。
「お待たせ。どうしても粉っぽくなるから、無理だったら言ってね」
うち一つのマグカップを私の前において、隣のスツールに浅く腰を掛けた。
そう言ってもらって初めて口にしたそのコーヒーは。
「全然違いますね! 確かに粉っぽい感じはちょっとしますけど、気にならないです。美味しいです」
千秋さんがこっちの方が好きだと言うのもよく分かる一杯だよ。
「カップの底に粉がたまるから、最後は残してね」
自分は口をつけずに私の様子を見守ってからそんな風に優しく言われたら、これまで数年に及び普通に過ごして来れてたのにちょっと尋常じゃないくらい動悸が激しくなっちゃうんですけど。
長身の千秋さんがスツールに浅く腰を掛け、カウンターに背を預けるその姿はものすごくカッコイイ。
見惚れながら鼓動がおさまるのを持っていたら━━
「奈々ちゃん、もしよかったら一緒に冬ごもりしない?」
「あ、はい。今年もよろしくお願いします」
わーい、今年もご一緒だー、なんてテンションが上がって。
なんか妙に安心しちゃって、その勢いでしでかしました。
「千秋さん、ちょっとお伺いしたいんですけど恋人さんとかいらっしゃいますか?」
「……いないけど」
「もし、本当にもし、良かったらでいいんですが、私とかどうでしょうか」
なるべく軽い感じを心がけてみたんだけど。
「……」
あっ、この間がツラいっ。
プライベート用の淹れ方とマグカップで調子づいたのが失敗だったか。
千秋さんはなんだか困ったような顔をしている。
あああああああ!
すみません!
何か急に言いたくなっちゃいまして!
何かフォローをッ!
冗談です、的なッ!
「えーっと、さっきの話なんだけど……うちで、二人で冬ごもりしようって意味だったんだけど……」
緊張マックスでテンパっていた所にその、一言。
ぐっ。
ついおかしな息の飲み方をしてしまって喉がものすごく可愛くない、おかしな音を立てて鳴った。
ふっと、千秋さんの表情が和らいで緊張が解けたのが分かった。
千秋さんも緊張してたのか。
「じゃあ、いいって事でいいかな」
そう言って、千秋さんはライオンの右掌を見詰めた後こちらを見て柔らかく笑った。




