20、え、やりっぱなし!?
や、ヤバい。
顔が、耳が熱い。
ものすごく熱い。
どこに視線を持って行けばいいのか分からず、何も言えない中、またニーニャさんが口を開く。
「ちゃんと別れてもないのに他の男とどうこうしたりしなイッテ。誰かサンと違ってサ」
「俺だって浮気とかしてないって! ちょっと待って、ニーニャ、出てったのってそれなの!?」」
「冗談ヨ。でもアンタが1年近くしてないとか、ちょっと考えらんないんだケド」
なんか、ものすごい赤裸々な話になってるんじゃ、と思ったらそんな二人との間に立つようにして、千秋さんが私をドアへと誘導してくれた。
うん、ここらで退席した方が良さそうだ。
……そういやライオンさんって発情期がないとか、ウソかホントか1日に300回とか聞いた事があるような、っていやいや、動物のライオンさんと一緒だと考えるのはさすがに失礼だしマズいよなー
「奈々ちゃん」
本当にろくでもない事を考えていたので「ひぇっ」とも「ひゃ」とも表現しづらい声を上げてしまった。
「今日はありがとう」
外に出るなり、千秋さんはそう言った。
それから顔を寄せて続ける。
「もう少しで流血沙汰の殴り合いになるとこだったから。助かった」
熱を持ったままの熱い耳にそっと囁かれた。
「いえ、こちらこそ」
秋に水かけてすみません、ってなんか近いですからッ。
「どっちにしろ兄貴とは揉めただろうから、気にしないで。こっちが巻きこんだようなもんだし。……怖くは、なかった?」
ためらいがちに聞かれ、何が、と思った瞬間、思わず首を振った。
あまりにも千秋さんの目が不安そうで、いつの間にか垂れてしまった耳。
全力で、誤解ないよう否定しなければと思った。
「今日の千秋さんは怖かったというよりも凛々しくて、本当にカッコ良かったです」
恥ずかしいくらいリキんで言えば、つらそうに細めていた目を一瞬見張ってから、もう一度目を細めたけど、それはいつものように穏やかな表情に戻ったから。
「次からは俺を呼んで欲しいんだけど」
……?
言われた言葉が思わず怪訝な表情を浮かべてしまう。
「いや、ワシザキ呼んだからさ。隣にいるんだから頼ってくれたんでいいのにな、と思って」
咄嗟にワシザキさんを呼んだのは、日本人だからだと思う。
やっぱりこういう時はお巡りさんに助けを求めるものかと。
これまでもワシザキさんやイナバさんから「何かあったら呼ぶように」と散々指導されてるし。
「頼りないかもしれないけど、隣だし、すぐに行けると思うし」
今日の姿を見て、頼りないなんて思わない。
ただ、好きな人を呼ぶとか、マンガだけだと思うんだよ。
一般人を呼んでもあんまり解決しないし、好きな人に来てもらっても危険な目に遭わせる可能性を考えたらこれまた微妙じゃないかと。
ましてやニーニャさんという彼女さんがいると思っていた千秋さんを、呼べるわけないじゃないですか。
「あの、皆さんは三角関係というやつではないんですよね……?」
その瞬間の、千秋さんの顔!
しかめた表情は、ものすごく嫌そうだった。
「それ、すごく嫌」
「あ、すみません。いや、このまま修羅場になるんじゃないかとか思って」
「……もしかしてそれで最近よそよそしかった?」
そんなつもりはなかった。
なかったのに!
「……挙動不審でした?」
「少しね」
そう言って目を細めて笑って、一瞬何か考えるように首を傾げる。
「今日はありがとう」
またそう言ってヒトの左手を差し出された。
感謝の握手って、そんなに感謝するくらい流血沙汰になるところだったのか。
ガッツリ握手も気恥ずかしくて千秋さんの長い指の部分を握って照れ笑いで誤魔化す。
手を下ろすと今度は何か試すようにライオンの右手を差し出される。
握手を交互にする文化なんてあったっけ?
それともいきなり何かの心理テスト?
何が正解かと千秋さんを見上げれば。
うわ、確実に観察されてるよ。
えー
じゃぁ……
右手を遠慮なく握って上下に振る。
まさにシェイクハンド。
ヒトの手だと自分の手汗とか気になるけど、ライオンの手だと指は毛に埋もれてるしガッツリつかむしかない。
で、これで何が分かるんですか?
聞こうと思ったのに千秋さんはなにやら嬉しそうな顔をして「じゃあ明日」と言った。
え、なんだったんですか。
答えは!?
えぇー、なんかすごい気になるー
すっきりしないー
ニーニャさんに聞いてみようかなー、なんか千秋さん教えてくれない気がするし。
ていうか。
そっか、二人は付き合ってなかったのか。
「CLOSE」の札になっている家に戻り、両親を見てふと思い出す。
「ねぇ、保護条例って知ってた? 習ったっけ?」
「悪質なのは去勢の刑ってやつでしょ」
打てば響く、なレベルであっさりと母は言ったけど。
……きょ━━!?
え、ま、マジで?
法律が変わるけど対象年齢じゃなかったり、手続き不要・生活も変わらないといった案件を気にしないのと一緒で、イナバさんに「しっぽのないお客さんを守る法律がありますから、身の安全は保証されていますからね」と言われて「守ってくれるんなら覚えなくても大丈夫かー」的にスルーしたらしい。
しっぽのないお客さんが義務違反をした場合、下手したら一生軟禁ってのが衝撃的過ぎたのもあるんだろうけど。
「抑止力目的の法律だから、執行された事はないらしいけどねー」
レジを締めながら言う母。
ああ、そうなのか。
あーびっくりした。
「それにしても夏樹さんもなぁ。仕事に励んでたら離婚される日本のサラリーマンみたいだねぇ」
父は商品棚の陳列用のカゴを集めながらのほほんとそう言った。
「そういう時ってどうするもの?」
入口にあるピックアップ用のトレイを拭きながら年長者の意見を求めれば。
「そこまで行ったらどうしようもないだろうなぁ。『ああ、そういう事か』って己を省みるくらい? いなくなって気付くってやつだよ」
まぁ夏樹くんは甘え過ぎたんだろうね、と肩をすくめながら父は奥の厨房にトレイを運んで行った。
うーん、やっぱそうなるよねぇ。
ってお父さん、さっきの言ってから恥ずかしくなったでしょ。
ちなみに両親に聞いてみたけど左右交互に握手するという文化も、心理テストも知らないと言われた。




