紅曲
おはなし6-4(89)
「どこにも外傷は残っていませんが、内部の損傷が大きいです。特に脳に大きなダメージを受けています。たとえ意識が戻るとしても、時間がかかるでしょうし、その後の後遺症も懸念されます。」
「…そうですか。」
さやなの担当医と話を終えてツムグはお辞儀をして医者の部屋を後にする。
―師匠…。
「あなたが目を覚ますのなら、僕はいつまでも待ってますから。」
さやなの病室、彼女のベッドの横でツムグはそう言って笑う。白い肌の彼女の血色は良く、どこも悪いだなんて信じられないような美しい外見をしている。
「綺麗な顔をしておる。」
―…。
横を見るといつの間にか身長一メートルほどの、グラサンにマスクとキャップ帽をつけた白髪の老人が立っていた。
「…緑森王。」
呟くツムグ。すると老人はびくっとして言う。
「な、何故分かった!?」
―…。
王は変装グッズをとり、長いヒゲとマユを生やした素顔を見せる。
「フム、実に久しぶりじゃな。えーと…、」
「式彩紡です。」
「そうじゃった、ツムグよ。師を思うそなたの心、実にうるわしい。いや、師というよりも、さやのことを…かのぅ。」
―…。
「王様も、時々こうして見舞いに来られるんですか?」
さやなの方を向いたまま言うツムグ。
「ウム。彼女は幼いころからずっと見てきておるからな、ワシにとっては孫も同然じゃ。」
―孫も同然…。
それを聞いて質問が浮かぶツムグ。
「昔の師匠って、どんな感じだったんですか?」
その問いにマユヒゲをさする王様。
「そうじゃなぁ、実に聡明な子じゃった。聡明で謙虚で、それでいて度胸のある優しい子じゃった。…まぁー、ちーと無理をするのが心配じゃったがのぅ。」
―…僕の知ってる師匠も、賢く謙虚で、度胸のある優しい人だ。でも、ちょっと待て、僕の知っている師匠って…。
彼女と出会ったのはお互い十八の時。動いている彼女は一年と半分しか知らない。眠りについてからを含めても四年だけ。22分の4しか知らないのだ。
「王様、僕は…彼女のことを知っている気でいたけど…本当はあまり知らないのかもしれません。」
王はまたフムフムと眉毛をさすっている。
「若いとはそう言うことじゃ。」
―…。
「お主に会うことを推奨する人物がおる。」
王の方をゆっくりと向く。
「彼女のことをよく知る者じゃ。今は黒の国の王をしておる。」
「…栞緒さんですか。」
ウムと頷く王。
「彼女もまたさやなのことを悲しみ、大いなる敵と戦おうとしておる。行って、彼女の力になってあげてほしい。」
「でも、僕は…。」
首を横に振る王。
「今のお主なら出来るはずじゃ。」
―…。
無言のまま考えるツムグ。
「ホッホッホッ。」
笑う王。ツムグは王の見えない目を見る。
「もっと言えば、今のお主にしかできぬ。」
「…。」
顔をしかめるツムグ。
「さやなの弟子であったお主以外、誰が彼女と気持ちを一つにできるという。それに、修業はさんざん行ってきたはずじゃ。」
―…そんな、ことまで…。
「今の、僕しか。」
「そうじゃ。それに、ホホ、悪いがワシはさやなの過去は語ってやらんぞ。知りたくば、黒の王に聞くがよい。」
ホッホッと笑う王。
―さやなさんの過去。今の僕にしかできないこと…。
病室を出たツムグは新緑山へと帰る。ビョービョー吹く山の風。陽は西に傾き、真っ赤に染まっている。ビョービョーと風になびくツムグの髪。
ふぅとため息を吐く。
後ろに誰かの気配を感じ、彼は軽く苦笑する。
「僕が迷っていると、いつも現れますよね。」
うしろを振り向かずに言う。彼の後ろには、真っ赤なお面をつけて腕を組んだ大きな天狗がいた。
「何を言っておる。お主の心はもう決まっているのではないか?」
「…。」
吹きすさぶ風にふっと息を吐き出して…。
強い光の朝日が昇る。それと同時にツムグは山を下り、黒の国へ向けて歩き始める。
一文無しのまま歩き続けるツムグ。村を経由しては民家に泊めてもらい、宿が見つからない時は野宿をした。
光が差せば歩み始め、夜になれば眠る。二年前、サト達と黒の国へ向けて歩いたことを思い出しながら、かつてたどり着けなかった土地を目指す。
朝と夜を幾度か繰り返したある日。
「た、助けてくれぇ!」
村に着くと人々はパニックに陥っていた。村人の一人をつかまえて何があったか尋ねる。
「あ、悪魔が、村に!!」
「!」
「村のマヨセンも殺された!誰も戦えない!!」
ツムグはそれを聞いて村の中へ走っていく。パニックに陥る人々の中、暴れ回る黒い存在を確認する。
「ごgiごba、veanoゾziba。」
悪魔は村人の一人をとっ捕まえる。恐怖に固まる村人。その時、悪魔の頭上が陰る。
上を向く悪魔。そこには爪を生やしたツムグの姿があり…。
ズバァァァァァ!!
「ゾguベboooooooo!!」
悪魔は断末魔を上げて蒸発してしまった。フワリと白手を人間の手に戻すツムグ。悪魔に掴まれていた人がオロオロとツムグに頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!何と言ってお礼を言っていいのやら。本当にありがたい。」
「今晩、宿を…。」
礼を言う男にそれだけ言うツムグ。男は喜んで了承してくれた。
その夜。
「いやぁ、あなた、強いですね。マヨセンをさててるのですか?」
男の家で彼に尋ねられる。ツムグは首を振らずに答える。
「いいえ。」
「では、何の仕事を?」
「…何も。」
「ナニモ?ナニモなんて仕事、聞いたことが無いですが、さぞ立派な仕事なのでしょうねぇ!。」
男は皮肉ではなく素直に尊敬の目で言う。ツムグは苦笑する。
「この勢いで七晦冥の奴らもぶっ倒して下さいよ、お兄さん!」
男は楽しそうにくいっと酒を飲んで言う。ツムグは「はぁ。」と答えてまた苦笑した。
ちゃぽんと温かい風呂につかりながら、ツムグはぼうっとする。
―七晦冥を倒す…か。無責任に言ってくれるな。言うのは簡単でも、それを実行するのは難しい。…難しい…。
ふっと笑うツムグ。
―戦ったこともないのに、難しいなんて。
すぅと息を吸って、どぷっとお湯にもぐった。
巨大なステンドグラスから差し込む虹色の光が光のプリズムを作り、真っ白な空間に形容しがたい豊かな色彩を与えて満ちている。広大な部屋の床や壁は、真っ白のタイルが鏡のように滑やかにしきつめられ、異様に高い天井には豪勢な水晶質のシャンデリアがいくつもかかっている。
そんな白く輝く高貴な間の最奥、ど真ん中には立派な彫刻の施された白の大王座がある。王座に上に白のサテン地のドレスを着た若い女性が退屈気に座っている。女は綺麗な艶のある灰の髪に、深い紫紺の瞳、耳には目の色と同じ色をした雪結晶型のイヤリングをつけている。
王座から遥かに離れた王の間の入口に、一人の人間が入ってくる。それはカツカツと押し音を鳴らして女王の元へと時間をかけて歩み寄る。王の前で跪いたそれは、人間のような姿をしているが、人間ではなかった。
顔はツヤのある黒色で、狐の様に細長く、ハート型のように曲線に曲がった黒い角を持っている。体は立体的な凹凸のある幾何学的ねデザインの鎧を纏っていて、腕や腰、足は極端に細長い。背丈は二メートルほどで大の大人よりやや大きく、それが立っても地面を擦るほどの長い黒のマントを羽織っている。
「面を上げて。」
女の声に、上級悪魔は顔を上げる。
「結愛様、準備が整いました。」
悪魔はテノール歌手の様な低い良い声を出す。
「ふーん。で、エドは今、何してるっけ。」
結愛は問う。
「玩具作りに励んでおります。」
「うんうん。ね、ベリアル、エドの二の前にはならないでね。」
「承知しております。」
結愛はニコッと笑う。
「ならいい。」
「結愛様も、お気をつけて。」
「そうね、お互い頑張りましょ。」
ふふふと笑う女。クルクルと灰髪をもてあそぶ。
「楽しみよねぇ~。」
ニヤッと綺麗な紅を曲げる女で…。




