32.御前にて
32話目です。
よろしくお願いします。
王宮で行われる査問や貴族に対する糾弾などは、多くの場合貴族に対しては公開される形で行われる。他の貴族たちに対して隠し事など無いという意思を示すためだ。
場所は謁見の間である。城内でダンスホールの次に広い場所であり、また歴代の王の肖像が並ぶ部屋でもあるので、偉大なる王たちの前で潔白を証明せよという意味もあるらしい。
「つまらぬ形式だ」
と、ギヨーム・ファルジ・ロンバルド公爵は城内の通路を歩きながら呟いた。共としてついて来ている兵士の耳には届かない程度の小さな言葉だ。
歴代の王は要するに親戚でもあるのだが、逆に考えれば連中のせいで自分は中途半端な地位に抑え込まれたともいえる。
「公爵閣下、ご無沙汰しておりますな。すでに皆様おそろいです」
謁見の間を通り過ぎて王の執務室へと向かおうとした公爵の前に、一人の老人が進み出た。
「……カギス宰相殿か。皆というのは?」
「ホールデッカー侯爵を始めとした、公爵閣下を糾弾したいと待ち構えている御仁たちでございますよ」
小柄な老人が大きな宝石がついた指輪を振るわせて笑うのを、公爵は苦々しく見ていた。
「アーサーたちは随分と早かったようだな」
「そのようで。ささ、皆が公爵閣下をお待ちですぞ」
理由はわかるだろう、と言わんばかりの宰相カギスにロンバルド公爵はあからさまに嫌な顔をして見せた。
カギス宰相は決してホールデッカー侯爵の派閥に与する人物では無い。ただ単にこういった『揉め事』を見物するのが好きなのだ。
嫌な爺だ、と思っているのはロンバルド公爵だけでは無い。王ですら遠ざけ気味にはしているのだが、先代の王からの重鎮でもあるため、あまり邪険にはできないという事もあって、肩書だけの宰相として城内で飼い殺しにしているのだ。
カギスと長く話したところで得るものなど何もない、と公爵は王とのすり合わせを行う事を諦めて謁見の間へと踏み込んだ。
「ギヨーム・ロンバルド公爵のご入室です!」
と、扉の内側にいた儀仗兵が良く通る声で報告すると、場内にいた人々の視線が集まる。
いくつかは公爵にも見覚えのある顔だったが、単なる見物客として来ているのだろう、爵位の低いらしい顔に覚えのない者たちも多い。彼らは用意された弱い酒を注いだグラスを手に、小さなグループに分かれてヒソヒソと話している。
「趣味の悪い事だな」
おそらくは高位の貴族が散々に言い立てられるのを見に来たのだろうと考えたロンバルトは、真顔のままで緋毛氈が敷かれた部屋の中央を進み出る。
「これはこれは。随分と早いお越しだね」
「お前の方が早かった。アーサー・ホールデッカー侯爵」
「自分より爵位が上の公爵閣下をお待たせするわけにはいかないからね」
アーサーとギヨームの二人は、領地が隣り合っていて幼少から近しい間柄ではあった。だが、友人という程プライベートな付き合いがある訳でもなく、クラウドとリンの婚約についても、見合う相手が他にいなかったからに過ぎない。
「先日、蒼薔薇姫にお会いしたよ。私の薔薇園とローズティーを褒めてくれた。外見だけでなく、心も美を理解する美しい女性に育ったようだね。母親に似たようで良かった」
つまり、父親であるギヨームに似なくて良かったと言いたいのだが、その程度の事で腹を立てていてはこの後の“話し合い”を切り抜ける事は不可能だ。
「ああ。どうせ外に嫁に出す娘だからな。アーサーにわかるレベルに育っているというのであれば充分だな」
「ふふ……まあ、いいさ」
アーサーは離れていき、他の貴族たちとの話し合いを始めた。
使用人が運んできた酒を断り、アーサーを横目で見ながらただ立っているギヨーム・ロンバルド公爵へ近づく者はいない。
誰もが、今回の集まりが公爵に対する糾弾を主な話題としている事を知っているのだ。内容次第では近しい者も火の粉を浴びる可能性がある。
「それにしても……遅いな」
公爵が入場してからすでに半時間ほど経過しているが、まだ王は姿を見せない。
どうやらこれはアーサーにとっても想定外の事態であるようで、周囲もどういう事かと話し合っている。
そんな中で一人、悠然と立っている公爵は周りの貴族から見たら不気味であっただろう。彼が何か手を回したのではないかという話も聞こえてくる。
「王のご入場です」
玉座が有る壇上脇から姿を見せた儀仗兵が大声を出すと、貴族たちは静まり返り、グラスをテーブルへ戻すと本来の立ち位置である緋毛氈の外へと出て行く。
部屋の両脇にずらりと並んだ貴族たちは爵位の順番に並んでおり、アーサーとロンバルドは向かい合う形になる。
「皆、楽にせよ」
王は年の頃六十二歳。祖父である先代の王から地位を引き継いで約二十年となる。
この世界では老齢と言って良い年齢であるが、健康面は問題も無く、武断的な性質は一切ないようにすら思える程穏やかな治政を行う人物であり、良くも悪くも「事無かれ」と「前例に従う」ことを良しとする性質があった。
「ホールデッカー侯爵。今日の集まりはお前の訴えから始まった事だ。改めて皆に説明せよ」
「はっ!」
王の呼びかけに対して、アーサーは一歩前に進み出た。
王に対して一礼し、一つ一つの言葉を噛みしめるようにアーサーは話始める。
語られた内容は丁寧かつ整理されており、しっかりと準備された原稿を読み上げているかのようだ。
ソーマー・エリーという素晴らしいホムンクルスを製造する天才の存在と、彼女が作り出したホムンクルスの話題から始まり、“秘薬”と呼ばれる薬品の存在へと続く。
そして話題は、公爵が彼女から秘薬を奪い取り、自らの息子に対して実験的に投与した件にも言及していく。
「それが結果として、クラウド君という稀代の魔術的、社会的な天才をして父親に対する反抗を決意させるに至ったのです」
ロンバルド公爵は黙って聞いていたが、周囲の貴族たちは始め懐疑的な態度をする者もいたものの、概ねアーサーの言葉を信じるような流れになっている。
皆が疑問視していたクラウドの出奔についても納得がいった、としたり顔で頷く貴族も多かった。
王はどうか、とロンバルドがちらりとその顔を見遣ると、目が合った。なんと、王はアーサーでは無くロンバルドを見ていたのだ。
その瞳が示す感情は読み取れなかったが、ロンバルドは直感した。
王は決して、彼の味方では無い。
だが、王家を守るための動きは期待できる。公爵はそう考えた。
「それで」
アーサーの主張に区切りが訪れた事に合わせ、王は口を開いた。
「ホールデッカー侯爵は何を希望しているのか。公爵に責任を取って勇退しろとでも言うのかね」
「は。私としては公爵閣下の進退に際して言及すべき立場ではございません。その辺りは陛下のご意向次第かと……」
アーサーのこの言葉に「立場を弁えられたご見識」と誉めそやす言葉が聞こえ、公爵は罵倒の言葉を押えるのに多少の精神力を要した。
「どこが見識ある言葉なものか。要するに王に対して“公爵を罰する事で一件を落着させた”という逃げ道を用意したに過ぎないではないか」
と、ロンバルドの喉まで出かかった。
だが、ここで取り乱せばアーサーの言葉を完全に認めたも同然となってしまう。
「それはありがたい話だな」
ロンバルド公爵として堂々とした声を上げる。
「なんら根拠も無い誹謗で陛下が私に罰を与えるとは思えないからな。良くできた創作で貴族を陥れる事ができるのであれば、戯曲作家程儲かる職業は無いという事になる」
笑い声がどこからか聞こえた。恐らくは宰相だろう。
「では、公爵については後にしよう。それでは、侯爵は何も望まず、ただ主張するだけの為に余を担ぎ出したという事か?」
王の言葉に、ロンバルドは疑問を感じた。
王家へのダメージを最大限に小さくするならば、ここでアーサーの言葉を一蹴するのが得策なのだ。それが判らぬ人物では無い。
「いえ。陛下にはこの場をお借りして一つお願いしたい事がございます。先ほどまで長々とお話にお付き合いいただきましたのも、娘の婚約者である彼の窮状を想えばこそ」
黙って言葉を聞いている王に対し、アーサーは咳払いして続ける。
「彼が直面した危機をご理解のうえ、魔術学園卒業式典における彼の非礼をお許しいただき、また新たにご提案させていただく役職に彼を就けていただければ。それが私の願いです」
アーサーはなおも語り続けた。
公爵の手勢がホールデッカー侯爵領内でクラウドとソーマーを探しまわり、行き先で町や村の人々に対する暴行を働いた事。そして彼らはクラウドを見つけ次第殺害する事を命じられていた事を。
「根拠の無い中傷だ。侯爵領内の出来事など、アーサー次第でどうとでも記録が作れる」
「これは異な事を」
アーサーは大仰に首を振って見せた。
「公爵閣下が我が領地に入れた兵士達を幾人も捕縛していますよ。正確には、クラウド君を襲って返り討ちにあった者たちをね」
人数からして圧倒的な劣勢の中、ホムンクルスの少女を守って勇敢に戦い、見事な魔術の同時行使によって多くの兵士を一度に戦闘不能にしたクラウドの技量を聞いて、貴族たちからは驚嘆の声が上がる。
噂に聞こえる天才の魔術による具体的な戦果が初めて公となったのだ。褒め称える声があちこちから聞こえる。
「だが、兵士など平民の集まりだ。捕まえたと言っても素性の怪しい、我が領の兵士ともわからぬ者たちではないか」
「……公爵閣下。貴方の考え方をあれこれ言うつもりは無いが、少なくとも領地や貴方の為に戦う兵士に対して、もう少し考えを巡らすべきでしょうな」
「なんと言われようと、貴族で無い者が我々や陛下のお考えに影響を与えるべきでは無い。貴族で無い者を証人とするのは問題だ。まずここに入る事すら許されぬ」
「なるほど……」
どうやら、侯爵に捕まった兵士たちを見捨てることで保身を図ろうとしているらしいロンバルドに対し、アーサーは少しだけ考える姿勢を見せた。
「では、陛下。貴族のとある人物を、ここに証人として呼びたいと思うのですが、如何でしょう?」
「証人か……許そう」
アーサーが大声で呼ぶと、アーサーの部下に両脇を押えられた騎士カルアイックが姿を現した。
「さて……ここに居並ぶ諸君であれば、彼の顔を見覚えの方も多いかと思われる」
歯噛みする公爵の前で、貴族たちは見覚えのある人物の登場に驚いていた。カルアイックの顔が知られているのも当然で、彼は公爵の護衛として公の場に姿を現す事が多かったのだ。
「彼は“賢者ソーマー”を探して我が領に入りましてね。それ以前にも我が領に遊びに来ておられた蒼薔薇姫を連れ帰る為に訪れた際、とある宿の従業員に暴行を加えております」
彼の言葉なら、如何ですか?
ソーマーの言葉に、ロンバルドは言葉を口にする事無く侯爵とカルアイックを交互に睨みつけていた。
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