31.ホムンクルスたちの存在意義
31話目です。
よろしくお願いします。
リータは初めて夢を見ていた。
それは“お母様”と過ごした短いながらも濃密な時間の記憶でもある。自然と魔術と科学を知り、魔物たちや植物たちの存在と向き合って成長していく時間。
でも、自分の身体だけは成長しない。魔物の子供がいつの間にか大きくなっていて、卵は孵り雛は成鳥になる。
「どうして私は変わらないのですか?」
その質問に対して、“お母様”は多少言い難そうに答えた。
「……貴女はホムンクルスだから、よ。そして私の……」
夢は途絶えた。
唐突に場面はクラウドの全裸の思い出に変わる。
湖のほとりで一糸まとわぬ姿をして仰向けに寝転がる青年。男性は町で何度も見たことがあるが、服を着ていないのは初めてだった。
死体かと思ったが、胸が上下している事から息が有るのはわかる。なにか独り言を言っているようなので、きっと頭が変になった人だと思った。
目が合うといきなり湖に飛び込んで入水自殺を図り、挙句の果てには“お母様”を侮辱したので、つい石を投げてしまった。
思えば、魔物以外に攻撃したのはそれが初めてかも知れない。
結論を言えば、変な人なのは間違い無かった。
やたらと人を疑うし、いつも周りの様子を観察している。強い魔術の使い手で、実は“お母様”の知り合いだったり、とリータの頭が混乱するかと思う程、今まで見た事も無いタイプの人物だった。
そして、彼と旅に出る。
“お母様”との約束を破るのは胸が痛む思いだったが、それでももう一度会いたいという気持ちを抑える事は出来なかった。
用心深すぎる防犯魔術を整えたクラウドから、リータは小さな水晶玉を受け取った。いつかここへ戻った時に必要な物だ。それが“お母様”と……そしてクラウドも一緒であれば尚良いと思った。
だが、旅の記憶は短い。
クラウドが何かをやろうとしているのを楽しみにしながら、嫌な目の神父と戦い、そこで……。
リータは思いだした。
「クラウドさん!」
「ぐおっ!?」
突然身体を起こしたリータの頭が、彼女の様子を見ていたクラウドの顎を横から殴りつけた。
顎を揺らされ、あっという間に気を失ったクラウドの身体が、力なくリータの上に折り重なる。
「あれ? クラウドさん? クラウドさーん!?」
「何事ですか!」
主にクラウドが倒れた音に反応してルーチェが研究室に駆け込んで来たのを見て、リータは咄嗟にクラウドの身体を抱き寄せて庇った。
ルーチェは一瞬、状況が分からずに目を細めた。
赤く顔を腫らしたクラウドを抱き寄せる全裸のリータ。
どうやら治療は無事に完了したらしいが、クラウドは何故ダメージを受けて気絶しているのだろうか。
室内を見回しても敵の姿など無く、リータが自分の方を注意深く見ているのに気付いたルーチェは、なんとなく状況を理解した。
「ひとまず、クラウドさんを治療しましょう」
荷物の中に治療用の道具が多少はあります、とルーチェは言う。
「手伝ってもらえますか、“姉さん”」
「ほえ?」
☺☻☺
クラウドが目を覚ましたのは、一時間程後の事だった。
埃だけが綺麗になくなっている自室の状況にも疑問をもったが、それよりも姉妹で向かい合って真剣に話をしているリータとルーチェの姿の方が気になった。
「クラウドさん!」
駆け寄ってきたリータの顔を見て、クラウドはまだ痛む顎を擦った。奥歯が少しぐらついている。
「ふんっ!」
リータの頭頂部に思い切り拳骨を落としたクラウドは、自分の手がしびれたのを歯を食いしばって我慢した。その分歯の痛みに呻く羽目になるのだが。
「痛いです」
大して痛そうな顔をせずにいうリータに、クラウドは脱力感を感じて寝かされていたソファに背を預けた。
「成功したか……悪いが、疲れた。起きたばかりだがもう少し寝かせて貰う……う?」
長時間の施術により本気で疲れているらしく、クラウドはすぐに目を閉じようとしたが、目の前にルーチェが近づいて来た事にわずかに反応した。
「クラウドさん。これを」
ルーチェが差し出したそれは、エリの記憶と共に残されていた手紙だった。
「いや、だから……って、これはエリからお前とリータ宛ての手紙だろうが」
眠いから後にしてくれと言いかけたクラウドだったが、その文面を自然と読み始めていた。
そして、読み進めているうちにその内容に目を見開き、眠気など吹き飛んでしまった。
「“お母様”が何を望んでいたか……わたしもリータもついさっき知りました。二人で話し合って納得はしています」
「お前ら……いや、それ以上にエリの奴、何を考えてやがった!」
書面には、明人……つまりクラウドと出会ってリータとルーチェも揃った時、エリの記憶物質を彼に託す事。そして……。
「あいつは……リータとルーチェを何のつもりで作ったんだ!」
『あなた達二人のホムンクルスのどちらかを選んでもらって、私の記憶を使い私を復活させてもらいなさい。それがあなた達を作った“お母様”が残す、最後の希望です』
☺☻☺
「公爵閣下が王城へと出仕なさいました」
小さなノックが聞こえて、若いというより幼い少女の声が聞こえた。
「ありがとう」
「いえ。失礼します」
ロザミアの返答を受けて、声に合わない丁寧な答えと共に軽い足音が離れていく。
「しっかりした子ですわね」
「ええ。大きな商家のお嬢さんなんですけれど、行儀見習いの為に通っているのです。二ヶ月くらいになりますが、とても素直な子ですよ」
カップをそっとソーサーへ戻したロザミアは微笑む。
リンは蒼の館に平民の子が集まって教育や教養について手ほどきを受けているのは聞いていたが、それがロザミアの情報収集手段の一つである事を先ほど聞いた。
「国を作っているのは王でも貴族でもありません。食料を生み出す農民たちであり、経済を回す商人たち。そしてその家族が消費をしているから世の中は回っています」
例えば、と一つの小さな木箱を運んできたロザミアは、テーブルの上でその箱を開いた。
「これは……食べ物ですの?」
「ええ。最近町の子供たちが好んで食べるというお菓子です」
小さなクッキーに見える白いそれを、ロザミアが一つ摘み上げて口に運び、リンにも勧めた。
「……美味しいですわ。あまり甘くなくて、口の中でとろっと解ける不思議な食感……」
「卵白と蜜だけで作った焼き菓子だそうです」
紅茶に合いますね、とロザミアはカップを傾ける。
貴族たちは高価な砂糖と大量に蓄えた小麦粉を使って、あまいパンケーキをいくらでも食べられる。だが、町の人たちは一握りの裕福な家庭を別にして、甘いものは高級品だ。
「ですが、彼らは工夫をしてとても良いもの作り出しているのです。知らぬは貴族ばかり。お金をかけて良いものを食べて、使っているつもりでも、世の中には色々な可能性がある事が見えていません」
ロザミアは子供たちとの会話の中でこのお菓子を知り、その商品が作られるきっかけを知った。
「くだらないお話ですわ。卵黄だけを使った濃いプディングが好きな貴族が居て、余った卵白を使う方法を懸命に考えた結果だそうです」
そして、その貴族は公爵の事だった。
「世の中は貴族だけで回っているわけではありません。かと言って、貴族抜きで回っているわけでもありません。どちらも居てこそ、世の中は動いているのです。平民は貴族を無視しては生きていけません。では逆はどうでしょう?」
コロコロとロザミアは笑う。
「彼らを見ようとせず知ろうともしなければ、いつの間にか貴族だけが古臭い料理を食べて、平民たちの方が美味しい物を食べている、そんな世の中になるかも知れませんね」
リンはほろりと口の中で形が崩れていくメレンゲクッキーの感触を味わいながら、貴族という存在についてこれほど考えている人物が他にいるだろうかと考えていた。
魔術学園には、そう多くは無いが平民の生徒もいた。
だが、彼らは貴族たちとはあまり交わろうとせず、その生活や食事に貴族の誰もが興味を示す事など無かった。リンもそれは同様だ。
「お兄様が一人で呟いていた事から知ったのですけれどね」
ロザミアは照れ臭そうに話す。
「お兄様は時折、この世界の奇妙さ。特に貴族がおかしいと呟かれておりました。成長されたお兄様には、魔術のせいで近づけませんから、こうやって……」
と、立ち上がったロザミアはクロゼットを開いた。
そこにはやはり男物の衣服が並んでいたが、リンはもうそれについて触れるつもりは無かった。これ以上踏み入れてはいけない闇があるのだと本能的に気付いている。
だが、闇は近づいた者を逃すつもりは無いらしい。
服の間に腕を刺し入れたロザミアが服を押しのけると、そこには丸い金属管が突き出ている。
「お静かに願いますね」
細い人差し指を唇に当てて悪戯っぽく微笑むと、ロザミアは金属管についていた蓋を開いた。
すると、そこからクラウドの声が響く。
『あいつは……リータとルーチェを何のつもりで作ったんだ!」
「あら。荒れていらっしゃいますわね」
ふふ、と笑みをこぼした。
「これは伝声管といいまして、町の大きな建物で一部取り入れている声を伝えるための管です。貴族というのは、こんな便利な物も知らないのですよ」
どうやら一定以上大きな生き物が近づくとクラウドは感づくらしいと知ったロザミアは、莫大な費用をかけて兄の部屋の壁と蒼の館の間を、地中を渡して伝声管を通したらしい。
「上手くお兄様の部屋に近い場所の土地が押えられたのは行幸でした。あまり遠いと役に立ちませんから」
もう、リンは何も言えなかった。小さく震えながらロザミアのやる事を見ているだけだ。
「お兄様!」
『ひょえっ!?』
伝声管の中から、クラウドの驚く声が聞こえる。
『ろ、ロザミア? どこからだ!?』
「詳しくは後で説明いたしますわ! すぐに合流しますから、お兄様はそこで待っていてくださいね」
クラウドの声が響く管の蓋を閉め、服を元通りにしてクローゼットを閉ざすと、声は全く聞こえなくなった。
振り向いたロザミアは「さあ、行きましょう」と言った。
「お姉様がお連れの護衛は、これ見よがしに館の前で警戒態勢を取っていただきましょう。念のため、私たちがここにいると見せかけるために」
そして、先ほどのクローゼットの横に、もう一つあるクローゼットを開き、同じように服をかき分ける。
その奥に小さな扉が見えた時、リンは既に色々とロザミアについて何が起きても驚かない事を決めた。
「お兄様のお部屋の隣に出られる隠し通路です。これもこっそり工事するのに苦労しました」
覚悟を決めたリンが膝に力を入れて立ち上がるには、メレンゲクッキーが三つ必要だった。
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