30.貴族の生き様
30話目です。
よろしくお願いします。
公爵邸には元々緊急時の脱出路が付いている。
だが設置目的は公爵邸から逃げるためでは無く、危急の際に王城から脱出して逃げ込むためだった。
「だから、地下通路もガチガチに固められていてな。改造ができなくもなかったが、見つかっても面倒だから構造だけ参考にさせてもらった」
クラウドは自作の通用路を通りながら、後ろをついてくるルーチェに説明していた。
「調べる時に少し壊してしまったけどな。この梯子を登れば俺の自室に出られる」
魔術による身体強化を使って、ひょいひょいと梯子を上って行くと、クラウドは暗闇に手を伸ばして手探りで小さな水晶がはめ込まれた扉を見つけ出し、魔力を流し込んだ。
リータの小屋に施したのと同じ、鍵の魔術だ。
「……まあ、そうなるよな」
入った部屋全体が薄く埃でコーティングされていた。
多くの侍女たちが毎日清掃している屋敷の中で、この部屋が一番汚れているのは間違いないだろう。
逆に考えれば誰も立ち入っていない証左でもある。気を取り直して、クラウドは一枚の綺麗なシーツを収納から取り出してソファにかけた。
「リータをそこに。俺は隣の研究室を見て来るから、少し待っていてくれ」
「掃除でもしますか?」
「いらん」
「何かいかがわしい本でも?」
「そ、そういう理由じゃない!」
部屋は自分で片付ける、と言って、荷物を抱えたクラウドはドアを開いて埃を巻き上げながら出て行った。
残されたルーチェは、背負っていたリータの身体をソファに横たえた。
相変わらず眠ったように脱力している“姉”の姿を見て、ルーチェはポーチの上から中に入っている“お母様”の記憶に手を当てた。
「ルーチェ。リータをこっちへ……どうした?」
「いえ。ただ荷物の確認をしていました。すぐに始めるのですか?」
リータを抱え上げ、ルーチェはクラウドへと近付く。
「ああ。早く見積もっても十時間は作業にかかる。いつ家の連中に見つかるかわからないからな……施術の間、生命探知魔術も使えない。その間、この部屋で見張りを頼む」
クラウドの私室を通らないと研究室へは入れない構造になっているのだ。
「最悪、無理やり乗り込んでくる連中がいたら痛い目に遭わせていいからな」
「わかりました」
リータをクラウドに渡したルーチェは背筋を伸ばし、綺麗な施政で頭を下げた。
「どうか、姉をお願いします」
一瞬驚いて動きが止まったクラウドだったが、すぐに苦笑いを浮かべた。
「わかってる。頼まれなくてもしっかり治してやるよ。……そういえばお前、現代日本の記憶があるだろう? リータもそうだが、それ以外の基本的な部分はどうしたんだ? 日本の知識が混じって混乱もあっただろう」
クラウドは自分がしばらく記憶の混濁で苦労した事を思い出して尋ねたが、ルーチェは首を傾げた。
「分かりません。わたしが目覚めた時には、すでに記憶は安定していましたから」
「そうか。ホムンクルスの報告書、記憶に関する部分は飛ばしていたからな。そこ読んでみれば、その辺りも書いてあるかもな」
「見られて、無いのですか?」
「リータを治すのに必要な部分だけを読みこんだ。後は流し読みだ。時間が無かったからな」
記憶の研究者なのにな、と自分で自分が不思議だと言いながら、クラウドは研究室へと入って扉を閉めた。
「なるほど。それだけ姉の事を大事にしてくださっているんですね」
一人ぼっちで森の中にいるというリータの事を、ルーチェは不憫だと考えた事がある。“お母様”も辛く危険な場所で留守をさせて申し訳ない、と心配していた。
だが、クラウドから伝え聞いた限りでは、リータは森の中でも元気に生活して、時には町の人々と交流をしていたらしい。
そして、クラウドという人物と出会い、自分では考える事も無かった「“お母様”を探して旅に出る」という選択肢を選んだ。
「親は無くとも子は育つ……だったでしょうか。お母様、どうやら姉はお母様が願っていたよりもずっと……わたしよりもずっと、人間に近い成長をしているようです」
☺☻☺
「……召喚状だと?」
「はい。国王陛下より今し方届きました書面には、そのように書かれております」
執事が差し出した書面を受け取った公爵は、苦々しい顔で文面を確認した。
「どうなさいますか?」
「行かねばなるまい。政治に参加したがる馬鹿な貴族というのはな、面罵してやって初めて自分の格を知るのだ」
すぐに用意するように、と命じられ、執事は足早に執務室を後にした。
「アーサーの手配だな? 物事を派手にすれば私が大人しくなるとでも思ったなら、大間違いだ」
先に王と話をして、口裏を合わせる必要があると感じた公爵は苛立ちながら部屋を出た。流石に執事の仕事は速く、すでに馬車の用意はできていた。王城の敷地内には公爵の為の別館もあるので、宿泊場所を手配する必要は無い。
「だが、その分王族からの監視もついているという事だ」
窮屈な立場だ、と改めて公爵は思う。
何人も死ねば王に成れたかも知れないが、自ら手繰り寄せるには遠すぎる椅子だった。かと言って、王に近い立場である以上は他の貴族の息子たちのように遊び回る事も許されなかった。
「その結果がこれだ。王家から嫁を取れば木偶が生まれ、せめてもの役に立てようとすれば私に余計な苦労をさせる……」
自室へと立ち寄り、身支度を手伝おうとする侍女を追い出して一人、部屋の中でクローゼットに並ぶジャケットを見て奥歯を噛みしめた。そこに並んだものは贈られた物も自分で金を出した物も多いが……何一つとして、自分で選んだ物は存在しない。
「金も物もあるが……あるだけだ」
公爵は乱暴に一つのジャケットを無造作に掴み取った。
「護衛はどうした?」
「カルアイック様は侯爵領へ向かわれましたので、別の者が急ぎ用意しております」
こうなるならば、あの小僧を自由にするのでは無かった。公爵は自分が一つ失策をしたと考えた。
そして思う。最初の失策はどこだったか。
クラウドを卒業式典で逃がした時か。入学させたことか、果ては自由な研究を許した時が、その前に秘薬を投与した時が分岐点だったのかも知れない。
考えたからと言って、どうなるものでも無いのだが、馬車に向かって早足で歩いている間にも考えは止まらない。
子供を作った事か? だがそれは貴族としての勤めでもある。血統を残す事が貴族として最も重要視される事だ。
「血統か……それを残すために命を奪うという矛盾までやるのだ。血に縛られて血を流す。くだらんな。全く、くだらん」
だが、貴族に生まれて貴族として育ってしまった以上は、それに従わねばならない。ギヨーム・ファルジ・ロンバルドは他の生き方など知らないし、知る機会も無かった。
「あるいは、クラウドのような生き方もあったのかも知れないが……あそこまで無軌道にはなれんな」
馬車へと乗り込みながら、公爵は元の仏頂面を取り戻していた。
「余計な事は考えるだけ無駄だな。如何にうるさい貴族たちを黙らせるか、王としっかり打ち合わせをしておかねばならん」
見覚えがあるような無いような、公爵には名前が思い出せない兵士が十人ほど護衛として馬を並べると、馬車はゆっくりと進み始めた。
☺☻☺
「ロザミア様……よくぞご無事で」
「不思議な事をおっしゃいますね。私は自宅に戻っただけですもの。無事に決まっています」
公爵が出発する少し前、蒼の館を訪れたリンを迎え入れたロザミアは朗らかな笑みを見せた。
周囲にいる少女たちも、同じようににこやかにリンに向けて会釈をしている。
「ロザミア様。お父様が王宮に働きかけて公爵に対する糾弾を行う予定です。これでクラウド様を公然と攻撃する事はできなくなりますわ」
クラウドが生きている事、そして今まさに公爵邸に侵入している事を伝えたリンは、ロザミアがあまり喜んでいない事に疑問を感じた。
「ロザミア様……?」
ロザミアはリンを伴って「秘密のお部屋に案内します」と言って蒼の館の最上階へと向かった。
「ここは私以外には誰も入れないお部屋なんです。この館を作った理由の半分はこのお部屋を作る為なのですよ」
「これは……」
貴族の私室としては小さい部屋だったが、リンが絶句したのはそこに綺麗に並べられた衣服の数々だった。
十歳程度の子供が着るような物から、成人サイズのものまで揃っている。
どれも新品では無く、充分に着古されたものばかりだ。
嬉しそうに部屋を見回すロザミアを見て、リンにはそれが何なのか、誰の者なのかが想像できた。
「あの、ロザミア様。この衣服は……?」
「まずは座ってくださいな。すぐに紅茶をお入れしますわ」
質問をはぐらかし、ロザミアは室内に置かれたシンプルだが可愛らしい純白のテーブルセットへとリンを案内した。
小さな魔術コンロでお湯を沸かしながら、ロザミアは真剣な表情で話を始めた。
「お話を聞く限り、公爵閣下が今お持ちの情報ではお父様や王を言い負かすには根拠が弱いんじゃないかと思うのです」
振り向いて、座っているリンに向けて首を横に振る。
「何かしら、言い逃れができないような証拠が必要です」
「証拠、ですか」
ティーカップを揃え、ポットの隣に茶葉を用意する。
「必要なのは二つ。ソーマーという賢者がどれだけ優秀だったのか。そしてそのソーマーに対してどれほどの非道を働いたのか」
沸騰する少し前、沸騰した直後を見計らって、ロザミアはケトルを持ち上げた。
「貴族は根拠なく理論で言い負かせる事を至上と考える方が多いのが事実です。実際に、領民たちにはそれで押し通せますからね。貴族同士ならそこに家柄と横のつながりが加わる」
アーサーはその辺りに自信があるのだろう、とロザミアは予想した。
リンもその事には反論できない。
「ですが」
ポットとカップへお湯を注ぎ、充分に温まったところでお湯を捨て、茶葉を入れていく。
再びお湯を注いだポットに蒸らしのためのティーコジーを被せると、カップと一緒にトレイへと乗せた。
「領民はあくまで権力に従っているだけであって、そんな理屈など聞いていません。納得させたと貴族の側が勝手に思っているだけです」
トレイをテーブルへと運び、ポットの横に置いた砂時計を逆さまにする。
「お父様が出かけたのを見計らって、お兄様にお会いしましょう。何か決定的な物が見つかるかも知れません」
失礼ながら侯爵には援護が必要です、とロザミアは言い切った。
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