28.婚約者
28話目です。
よろしくお願いします。
アーサーはルーチェがホムンクルスである事を認めた。
さらには絶賛と言って良い程に褒めている。
「素晴らしい! 彼女ほど完成度の高い思考力を持ち、また力もあるホムンクルスなど他にいないだろう」
「いえ。リータも同程度の能力を持っていると思われます。“お母様”はリータとわたしを姉妹として同時に作られたそうですから」
それは頼もしい、と言いながらアーサーはリンに連れて来られたクラウドを手招きした。
アーサーの顔と悪夢が重なって青い顔をしていたクラウドだったが、自分の頬を叩いて気合を入れると、ガウェインがタライを片付けるために立ち上がって空いた場所に座った。
リンはアーサーの隣へ向かう。
「どうかしたかね? まだ調子が悪いようなら……」
「あんたの顔を見……じゃなかった、悪い夢を見た物でしてね、失礼」
クラウドは咳払いで誤魔化しつつもアーサーとはまっすぐ目を見合わせないように視線を逸らした。
「ルーチェ君から色々と聞いた。ガウェイン……リンについていた我が家の執事からも状況は聞いている」
「まずは、ご迷惑をおかけした事を謝罪いたします。公爵家の騒動に巻き込んでしまって、本当に申し訳ございません」
「驚きました。こんなに素直に頭を下げる人とは思いませんでした」
「お前は本当に……」
茶々を入れるルーチェに青筋を立てながらも、ヒクついた顔のままアーサーに向かってクラウドは頭を下げた。
「あのまま町で倒れていたら、身ぐるみはがされた上に奴隷にでも落とされていた事でしょう。闇市の連中にでも捕まったら、バラバラに切り売りされていたかも……」
「いや、さすがにそこまではしないだろうが……何より、君が無事で良かった。それに魔術の腕も見せて貰ったよ。あの土壁は兵士が総がかりで喪崩すのが大変だったそうだ」
クラウドのネガティヴな未来予想を止めて、アーサーは冗談めかして言う。
アーサーの手勢が捕縛した公爵の兵たちは、公爵がホールデッカー侯爵領内で狼藉を働いた事の証人として扱うらしい。
「と言っても、彼らの言を王が重く扱うかどうかは微妙な所だ。私や味方してくれる貴族多たちからの声は彼らにとって鬱陶しいものではあっても、現状はそこまで影響があるというものでも無い」
だが、アーサーとしては賢者ソーマーの件で公爵を攻撃する隙がある、とクラウドに明かした。
「“攻撃”ですか」
「敢えて強い言葉を使わせてもらった。これは彼と、下手をすれば王国に対するスキャンダルでもある。本来保護すべき有能な人材に暴行を加えただけでなく、その研究成果を悪用した」
これは充分な攻撃材料になる、とアーサーは語る。
「王や王国そのものを揺るがす程ではないが、少なくとも公爵は何らかの責任を取らねばならぬ事態に陥るだろう」
「失礼ながら」
クラウドは理解が追いつかない。
「自分も研究者ですが、高々一人の研究者の成果を盗んだと言っても、国内最高位の貴族がそれほど追い込まれるとは考えにくいのですが……。それに、証拠も何もない」
「クラウド君はまだ社交界を経験していないからわからないんだろうけれど、貴族がやっている政治なんてものは、現実よりも将来予想される事を声高に叫んでどれだけ味方が付くかにかかっているんだよ」
多くの貴族が納得して、公爵を糾弾するに足る説得力さえあれば良い、とアーサーは自虐気味に言う。
「おまけに証拠……というのも失礼な気がするが、ルーチェ君という確たる成果が存在する。“これほどのホムンクルスを生み出せる賢者を公爵は私欲の為に虐待した”……名誉や外聞を気にする貴族たちが気炎をあげて糾弾するには、充分すぎる内容だ」
アーサーは既に王に対して働きかけはしているという。
「恐らく数日のうちに主だった貴族たちに対する収集がかかる。私は協力してくれる貴族たちを引き連れて、公爵を糾弾するつもりだ」
じっと黙ってアーサーの話を聞いていたクラウドは「そういうものなのか」という考えと「それであの父親が大人しくなるだろうか」という疑問があった。
「君の父親に対して、追い詰めるような真似をするのは気が引けるが……」
「ああ、それは気にしなくていいです」
「そ、そうか……」
「それで、お……私はどうすれば?」
「ルーチェ君から、君の目的も聞いている。リンも君に付いて行きたいと言っているようだからね。……だが、どうやって公爵邸に入り込むつもりかね?」
アーサーの質問に、クラウドは「秘密です」と答えた。
「どうやら、私もまだ君の信用を勝ち得ていないようだ」
「軽々と自宅の秘密を公開する方が問題でしょう?」
「間違いない」
アーサーはクラウドを指して笑みを浮かべた。そして、居住まいを正して頭を下げた。
「リンを、頼んだよ」
「お父様……」
父親の腕を掴んだリンの表情は複雑だ。
「貴族としては、貴族家を捨てた君に娘を任せるのは大間違いなのだろうね。しかし、私は娘に甘いのだ。薔薇を一番大切にしていると言われている私だが、何よりも大切なのは娘たちなのだよ」
“薔薇”という言葉が出て、クラウドは少し血の気の引いた顔を見せたが、アーサーもリンもお互いを見ていて気付かなかった。ルーチェだけは不思議そうな顔をしている。
「なに、我が家は長男が継ぐのだから、せめてリンとその姉にはできるだけ希望の相手と一緒になってもらいたいという我が儘さ。まだ君の信頼を勝ち得ていないかも知れないが……機会をやってくれるかね?」
クラウドはここでイエスと答える事がどれほど自分を追い詰める事かを考えていた。
貴族の強引さは自分の父親を筆頭に良く理解しているつもりだ。
だが、ここでアーサーの協力を得ておくに越した事は無い。公爵家から一時的にでも父親が不在になる事はプラスになりはしてもマイナスにはならない。
リンに対するスタンスはあくまで保留の状態ではあるが、エリに対して感じた後悔を繰り返す事になるような気もして、突き放す気にも慣れなかった。
「……わかりました。彼女は自分の身を守るだけの腕もあるのでしょう。可能な限り、お守りします」
「クラウド君、ありがとう!」
“可能な限り”と逃げの文句も付け足してはいるが、クラウドとしては現状これが精いっぱいだった。
それでも、リンにとっては初めてクラウドが自分を迎え入れる言葉を発したのだ。声も出せずに感動している。
「では、作戦会議と行こう。その前に腹は減っていないかね? 若い君たちはしっかりと食事を採らねば。食後には自慢のローズティーをご馳走しようじゃないか」
「あ。薔薇は遠慮します」
クラウドにキッパリと断られたアーサーは、その日の夜まで少し元気が無かったという。
☺☻☺
魔術学園にいる間、直接会話を交わす事がほとんど無かった侯爵家次女リン・マーシュ・ホールデッカーが、これほどまでクラウドという人物に拘っているには理由があった。
まだちゃんと目を合わせてはくれないうえ、ルーチェに対する程の会話も成立していないが、彼と自宅で食卓を囲んでいる状況に、リンは魔術学園時代の事を思い出していた。
リンはクラウドとは別のクラスであったが、彼の姿を見るために隣のクラスへと日参していた。
それは当然の好意であると思っていたし、周りの生徒たちも、彼女とクラウドの関係を知っている者たちからは「尽くしている」と称され、知らぬ者たちは「片思い」だと思われていた。
そう、片思いと勘違いされる程、クラウドはリンを相手にしなかったのだ。
「クラウド様っ!」
と、勢い込んで教室に入った瞬間、クラウドの姿が窓の向こうに飛び降りていく後ろ姿が見えたり、時には研究室から出て来ずに授業に来てすらいなかったりした。
研究所は学舎内にあるものの、しっかりと施錠されてノックをしても基本的に無反応だ。
こうして入学から三か月で、リンは一度クラウドを見限った。
「あの方はきっと、研究以外に目が向かない朴念仁なのですわ……」
絶望の表情で気落ちするリンを、クラスの仲間たちは励ましたが、大した言葉をかける事は出来なかった。
貴族同士の結婚は、お互いの相性など一顧だにされないからだ。
不幸な結婚が目に見えているという悲しさは理解できても、公爵家と侯爵家の間柄のことである。王家でも無ければ介入どころか口を挟む事すら不可能だ。
「天才と呼ばれる程の御方ですから、何かしら実績を残して有名になられるのでしょう。それだけが救いですわね」
自分に言い聞かせながら、とぼとぼと学舎の廊下を歩いている時だった。
それは偶然に過ぎない出来事。
たまたまクラウドがいる教室の前を通りがかった時だ。開いたままのドアから何気なく目を向けた瞬間、呼吸が止まった。
「クラウド様……?」
教室内に一人座って何かを真剣に書きつけながらも、穏やかな微笑みを浮かべたその表情は、唯でさえ珠に瑕の眼つきをさらに厳しくしている表情とはまるで違う優しさがあった。
ハッと気づいて顔を上げたクラウドは、リンの存在を確認するとすぐに頬を赤らめて窓から飛び出して行った。
三階だったが、リンは彼の魔術があれば問題無いと知っている。
それよりも、先ほどの微笑みを浮かべた時の凛々しい顔と、リンに気付いた時に赤らめた顔が、はっきりと彼女の脳裏に焼きついた。
その後、クラウドが“人間不信”だという話が学園中に広まる事になる。リンが婚約者である事も同時に広まっていくのだが、心配する学友に対してリンは平然としていた。
だが、その理由を彼女は隠していた。
一部の口さがない者たちはリンの事を「彼の才能と成果だけが目当て」だと陰口をたたいていたが、それは全くの見当違いだ。
「どう言われても、良くってよ。あの方は人間不信でも決して悪い方では無いみたいだもの。あんなに素敵な笑顔ができて、あんなに正直に顔に出る方が、悪い方なわけないものね」
だとすれば、問題はリンが彼に受け入れられるように努力して、近くにいても良いと認めて貰えば良いのだ。
その時から、学年でも中ほどであったリンの成績はどんどんと上昇する事になる。
「在学中には届きませんでしたけれど、何とか機会は掴みましたわ」
厨房から運ばれてくる料理を、他の者たちが手を付けるのを確認してから食べ始めるクラウドを見て、リンは改めて気合を入れる。
「これもロザミア様のお蔭ですわね! 必ずお助けいたしますわ!」
将来の義妹を救うため、リンは在学中に磨き上げた魔術の腕をいかんなく発揮するつもりだった。
そして、翌日から彼らの行動は開始される。
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