25.もう一マス
25話目です。
よろしくお願いします。
カルアイックが先を急いだこともあって、ロザミアの方がクラウドよりも早く屋敷に到着した。
ほぼ一日程度の差が付いている。
「ようやく戻ったか……」
と、これで多少は妻が落ち着けば面倒事がひとつ減る、と公爵は息を吐いた。
大した心配はしていない。ロザミアの方も帰着の挨拶にすら来ないのだから、親子関係がどのようなものか知れる。
代わりに公爵の執務室へやって来たのは、カルアイックだった。
「ロザミアを連れ帰ったようだな。優秀な事だ」
「はっ。ロザミア様も私の説得を素直に聞き届けていただきましたので……」
カルアイックは発見時の状況を説明した。もちろん宿の者への暴行については伏せている。彼の中では些細な事であり、公爵にとっても同様だろう。
「侯爵家の令嬢と執事か……」
もはや破談も同然の状況である兄の婚約者との接触。ロザミアが何を考えてそれを行ったのかが気になったが、その思考に入る前にカルアイックがさらに衝撃的な言葉を吐いた。
「ロザミア様を通じた又聞きの情報になりますが、クラウド様は賢者ソーマーとかいう女と共に、隣国へ向かったと……」
「ソーマーだと!?」
公爵が突然声を上げた事にカルアイックは驚いた。普段から寡黙で大声を出す事自体が珍しいのだ。
「その情報は確かなのか?」
「ロザミア様からの発言のみですので、裏は取れておりません。ご許可頂ければ、すぐにでも捜索に出たいと思うのですが、いかがでしょうか」
カルアイックの進言を受けて、公爵はしばし考えに耽った。
大勢の兵を付けてホールデッカー侯爵領へ送ったガランドも戻らず、報告も上がっていない。
アルーテンの件についても含めてロザミアから話を聞き出さねばならない。余計な仕事が増えるばかりだ、と公爵は内心で舌打ちをする。
「……わかった。お前に任せよう。お前が宿の者から聞き出した人数と合わない男女は、恐らくクラウドとソーマーだろう。ロザミアめ、下手な隠し事を……」
「は。では、失礼いたします」
「ん、少し待て」
退室しようとするカルアイックを止めて、公爵は一つの質問を口にした。
「ロザミアは、賢者ソーマーについて何か話していたか?」
「いえ、名前だけですが……閣下はソーマーをご存じなのですか?」
カルアイックの問いに、公爵は恐ろしい目で睨みつけた。だが、言葉は穏やかに押えている。
「……知らぬ。単なるホムンクルスの研究者として、一度だけ名を耳にした事があるだけだ。もういい、行け」
執務室を辞したカルアイックは、口の中で「娘に負けず劣らず貴方も隠し事が下手だ」と呟いた。
狙い通りに仕事をやるついでに、ソーマーとやらの事を調べれば何か別の褒美もあるか、とカルアイックはほくそ笑む。
「あるいは、公爵の弱みがそこにあるかもな……」
カルアイックが部屋を離れていく頃、公爵は酒を煽りながら鼻を鳴らした。
「ふん、これでカルアイックはソーマーを探すだろう。報告次第ではあいつは処分せねばならんが……まあ、貧乏騎士の子せがれにしては役に立ったな」
酒で焼けた熱い息を吐く。
「……ソーマーめ、死んでいなかったか」
公爵はロザミアを詰問する為に部屋を後にした。
☺☻☺
ロザミアに遅れる事まる一日。公爵領までたどり着いたクラウドは、完全に疲労の極みだった。
「ふぅ、ふぅ……」
侯爵領を抜けて公爵領へ入る際に、目立たないように馬車を処分した。それからは最低限の荷物だけを荷車に乗せて、ルーチェやリータと共に馬に乗っての長旅だ。
速度は速まったが、その分体力は格段に使う。
「随分と軟弱なのですね」
「うるさいな。俺だって魔物狩り以外は研究室に籠るのが本来のあり方なんだ。それに、お前みたいに無尽蔵の体力を持っているホムンクルスと比べるな……」
ルーチェの方が馬の扱いに慣れており、彼女の馬が小さな荷車を引いている。リータもそこに寝かされていた。
「間もなく公爵領の中心地でしょう。そんな調子でリータを治せるのですか?」
「当然だ。俺以外にそれが可能な奴はいない。だが、俺も人間だ。体力には限界があるし、長時間馬に乗っていれば尻も限界だ」
クラウドの正直な感想だった。馬車の中で下から突き上げられ続けるのもしんどいと思っていたが、馬でのそれは想像以上に苦痛を伴う旅になった。
「塗り薬ならありますよ。塗ってあげましょうか? あまり痛いならちゃんと状態を確認しないといけません」
「お願いだから勘弁してくれ……」
ホムンクルスというのはわかっているものの、クラウドとしては女性に対して尻を見せて薬を塗られるのは流石に勘弁して欲しかった。
ただ、自分の尻を確認するのも難しい。適当に薬を塗ってそれでも治らなければ診てもらうも已む無しか、と覚悟の前段階程度の気持ちを固めていると、ルーチェが声を上げた。
「街道の先に町が見えてきました」
「ああ……ダラシュという町だ。ここを抜ければ家がある公爵領の中心地まであと一日だ」
クラウドはギリギリまで迷っていたが、町の中に入る事にした。
門を抜けられるとは思っていないので、いつものように塀を越える。魔術で町の人々の位置を把握し、飛び越える場所を確認するのは手慣れたものだ。
「他の町でもそうでしたが、随分前かこういう事をされていたのですか?」
「……上級貴族の息子となると、護衛という名の監視も付く。逃げたり隠れたりする技術が無いと自由なんてないんだよ」
魔術学園での研究中も、門限のせいで夜間の魔物についての調査など普通は不可能だったが、学園の門などクラウドにかかればちょっとした柵と同じだ。
荷物を物陰に隠し、クラウドに続いてリータを背負ったルーチェも飛び降りる。
「町で何をするのですか?」
「食い物がもう無い。後は公爵家での動きがわかれば……」
魔術に反応して人が集まる場所へと向かう。遠くから観察して市場だと確認できれば、ルーチェを買い物に行かせるのだ。
「がに股になるほど痛いなら、やはり薬を……」
「お前が買い物している間に自分で塗る。とりあえず干し肉と果物の食事は飽きたから、何か新鮮な肉と野菜が欲しいな」
言いながら、建物の蔭から顔を出したクラウドは硬直した。
店が並ぶ大通りのはずが、そこにいたのは兵士達。そして、その中央にいたのは川底に沈んだはずのガランドだった。
「マジか……!」
生きていた事も驚きで、町が占拠されたような状況である事も驚きだったが、ばっちりガランドと目が合った事が一番の衝撃だった。
「居たぞ! そこだ!」
足に添え木をして包帯でぐるぐる巻きにしているあたり、ダメージを負ってはいるようだが、その声量は陰りが見えない。
「ちいっ! ルーチェ、逃げるぞ!」
すぐに踵を返したが、走り込みを強制的にやらされているだけあって、ガランドの部下は足が速い。背後にも手勢が来ていた。
「くそっ!」
「くく……女が一人増えたが、まあどうでも良いな」
左足を引き摺りながら、クラウドを囲む兵士たちを押しのけてガランドがやってきた。
クラウドは周囲を見回したが、塀までは少し遠い。建物の屋根に乗るくらいしか逃げ道は無いと踏んだが、兵士達が持っているのは剣だけでは無い。
下手をすると、弓で撃ち落とされる可能性がある。
クラウドだけならば魔術障壁を張りながら飛ぶ事で回避できるが、ルーチェやその背にいるリータまでそうはいかない。
「クラウドさん。どうしますか?」
「切り抜けるしかないだろう……壁に背を付けて、リータを守ってくれ」
一つだけになってしまったラウンドシールドを左手に固定し、クラウドは覚悟を決めた。
「死にぞこないめ。川の魚もお前を食う気にはならなかったか」
「ここは陸上だ。前のような水の魔術は使えんぞ? お前に勝ち目は無い」
分厚い刃を持つ大剣を抜き、ガランドはクラウドの前に立った。
周囲はクラウドを逃がさないように剣や槍、弓を構えて取り囲んでいる。
「クラウドさん。わたしとリータは心配いりません」
ルーチェはショットガンを抜き、周囲の兵士を睨みつけている。
だが、クラウドはわかっていた。単発のショットガンでは誰かを撃った直後に別方向からの攻撃にさらされる。リロードの余裕など無いだろう。
彼の脳裏に、リータが神父の攻撃に倒れた時の光景が浮かんだ。
「仕方ない……リータの治療中に襲われるよりはよっぽどマシだと思うか」
戦う覚悟を決めたクラウドは、まず最初にルーチェとリータを纏めて障壁に閉じ込めた。
「クラウドさん?」
「そこで見てろ。……俺は、もう後悔したくは無い」
シールドの前方から、ショートソードのような刃が飛び出す。
「待ってろ。腐っても魔術学園主席で、天才と呼ばれた男だ。これくらいは切り抜けないとな」
ニヤニヤと笑いながら剣を振り回しているガランドに向かって、クラウドはゆっくりと距離を詰め始めた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




