10.淑女たちは手を取り合って
10話目です。
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「ありがとうございます、お姉様」
ロザミアはリンの手を取ってしっかりと握りしめると、小さな声で謝意を伝えた。
「お礼など言わないでください。わたくしはクラウド様を信じます。あの方は理由も無く暴力を振るわれるような人ではありませんから」
リンはようやく、生来の気丈さを表すようなはきはきとした言葉を紡ぎ始めた。
「今の今まで部屋に籠ってふさぎ込んでいたなんて、思えばわたくしらしくありませんでしたわ。クラウド様がお困りなら、力になってさしあげなくては!」
「兄の事をそんなに想って下さっていたなんて……」
口元を押えて目を潤ませ、ロザミアが「感動しました!」と嬉しそうに声を弾ませる。
軽くハンカチを当てて涙を押えたロザミアは、はしゃいでいた事を恥ずかしがる仕草を見せた。
「失礼いたしました。リンお姉様のお気持ちが嬉しくて……でも、これから先の事は本当に危険ですから……」
「いいえ。聞かせていただきますわ。わたくしはまだクラウド様の婚約者です。あの方の事を知る権利があります」
ロザミアがアーサーへと目を向けると、彼も頷く。
「……では、お話しいたします」
アーサーに向かって居住まいを正したロザミアは、隣で同じように背筋を伸ばして耳を傾けているリンを見遣ってから、口を開いた。
「お二人は、賢者ソーマーという人物をご存知でしょうか?」
リンは知らないらしく首を傾げていたが、アーサーは知っていると答えた。
「知っていると言っても、噂程度のものですがね。田舎の村々を回っては農業や灌漑に関する指導を行って回り、その知識もさることながらホムンクルスに関しては随一だという話を聞いた事があります」
だが、貴族との交流はほぼ皆無であり、一体の傑作ホムンクルスを連れて辺境ばかりを回っている人物としか知られていない。
「彼……彼女かも知れませんが、賢者ソーマーにはもう一つの奇妙で恐ろしい噂があります」
冷めてしまった紅茶で口を湿らせ、ロザミアは続ける。
「ソーマーは人の魂を抜き出し、ホムンクルスへ移し替える技術を持っている、と言われています」
「魂を……」
魔術に詳しいリンは、自然現象を扱う事は容易であっても精神やまして魂という目に見えないものを扱う方法など存在しない事を知っている。もしそれを可能としたならば、ソーマーは天才であり、同時に禁忌に触れる恐ろしい人物だ。
「表だって確認された事はありませんが、ソーマーは人の魂を液体に変えて“秘薬”と呼び、それをホムンクルスに移し替える事によって、まるで人間のように感情や判断力を持つホムンクルスを作り出していると言われています」
ソーマーこと相馬エリが連れていたホムンクルスであるリータが、単純な受け答えだけでなく意見を言ったり自己判断で行動を行う事から、彼女を見た人々はまるで魂が宿っているようだと評した。
その技術を、知識の無い村人たちが納得できるレベルまで落としこんだ結果から生まれた噂話だが、偶然にもその秘薬として記憶物質が実在したために、王国が納得する裏付けとなってしまった。
「王国はその秘薬を密かに手に入れました。……恐らくは非合法に」
事実、ソーマーの存在はクラウドの生後数年経ったあたりから確認されていない。ロザミアは密かに人を使って調べたが、現在の所在は掴めなかった。
「賢者ソーマーが最後に確認されたのは、我が国の王都です。密かに町へ入ったソーマーは、そこで足取りが途絶えています」
クラウドが卒業して家に戻ったところで相談を持ちかけるつもりであったロザミアだったが、彼は家に帰る事無く出奔してしまった。
「頼りになるお兄様が居なくなって、重大な秘密を抱えて悩んでおりました……このような事に巻き込む形になって、お二人にはどう謝って良いか……」
また涙を浮かべているロザミアの肩に、リンの手がそっと添えられた。
「では……ロザミア様はその“秘薬”が、クラウド様に使われた……と?」
果たして、ロンバルド公爵が我が子にそのような真似をするだろうか、とアーサーは感情的には理解が追いつかない。
だが、その秘薬が効果を発揮して、人形のようであった少年が天才へと変わったとすれば、長男の存在が突然世に出てきた事も納得がいくのも事実だった。
「……ですから、わたくしはクラウドお兄様とお会いして、真実を知りたいと思っているのです。そして、被害者であるお兄様がどうお考えになられるか、それ次第で……」
よしましょう、とロザミアは言葉を切った。
「これ以上のお話は、お二人が危険です」
アーサーもリンも、彼女が言う“危険”の意味を理解していた。王国に敵対する事にもなりかねないのだ。
「すでに旅立ちの準備は済ませておりまして……今日ご訪問させていただきましたのも、そのご挨拶を兼ねております」
彼女はこの後、信頼できる供回りだけを連れてクラウドを探す旅に出るつもりだ、と語った。
目立たない馬車へと乗り換え、護衛と一人の侍女だけを連れての探索行である。
残された少女たちは、ロザミアが侯爵領内で物見遊山を楽しんでいるように見せるために領内を移動する手筈になっている。
「……私が戻らぬ場合を考え、この事を誰かに知っておいていただきたいと思いまして、不躾ながら参上いたしました次第です」
「そのような事を言わないでくださいな、ロザミア様!」
リンは立ち上がり、ロザミアの両手を掴んだ。
「その旅にわたくしも同行いたしますわ!」
「おい、リン……」
突然の同行宣言に驚いたのはアーサーだ。ロザミアは密かに調べるつもりのようだが、馬車や供回り以前に、本人が非常に目立つ人物なのだ。それにリンも加われば嫌でも目を引く。
注目され、その結果彼女たちの目的が知られれば危険はいや増す。
「お父様。わたくしは決めましたわ。待っているだけでは何も得られないのです。魔術学園次席の実力をもってすれば、危険など早々ありませんわ」
ヒールの音を鳴らし、リンは胸を張って父親を見た。
「御心配でしたら、ガウェインを連れて行きます。彼は有能ですし、いざという時は護衛にもなりますわ」
「ううむ……」
腕を組み、悩む侯爵であったが、結局は二人の少女から言い負かされてしまう事になる。
☺☻☺
「本当にお世話になりました」
「いいえ。お元気で!」
村に残っていた馬車を使い、騎士たちが連れてきた馬を連れてぞろぞろと近くの町まで丸一日かけて移動したクラウドたちは、そこで馬を売却し、騎士たちが持っていた金も合わせて二人の女性へと渡した。
憔悴していた二人だったが、一晩眠って少しは落ち着いたようだ。
クラウドはこれで被害者が一人だったら、精神的にも危なかったかも知れないと冷静に考えていた。同じ被害を受けた仲間がおり、共に手を取り合って生活するための基盤がある事は大きな心の支えになる。
そんな仲間がいないクラウドは、悔しさもあって言葉にはしなかったが。
手を取りあって別れを惜しむリータと二人の女性からクラウドは目を逸らした。
一日とはいえ、知らない相手でしかも異性である彼女たちとの旅は、彼に精神的な疲労を強いた。
「衣服などの荷物は自分たちでまとめてくれ。変な目で見たとか言われても困る。身体を洗うなら湯も出す。覗きをしただのと言われたくないから、リータを見張りに立てる」
あれこれと言いつつも、女性に対する気遣いとしての清潔な環境と衣服について気を使うクラウドに、リータは首を傾げた。
「なんだか慣れていますね」
「……家族に女性がいたからな。同じ家に住んでいる時は、なるべく近づかないようにしたが、それなりに気を遣っておけばそれ以上に接してくる事は無いからな」
これも生活の知恵と言うやつだ、と妙な自信を見せるクラウドは、リータが理解できないと言う顔をしている事に気付かなかった。
離れて聞いていた女性たちが、憐憫の目を向けていた事にも。
「では、クラウドさん。行きましょう!」
馬車と二頭の馬は譲り受ける事になったのでこれから先は旅が楽になる、馬車の扱いはリータもできるがクラウドも得意だった。
研究の為に集めた資材を人に運ばせるのは嫌だった彼は、何を買い付けるにも自ら行って吟味したし、誰の手にも預ける事無く自分で台車や小型の馬車を使って運んだのだ。
「思えば、最初に身体強化魔術を覚えようと思ったのも、それが原因だったな……」
必要は発明の母とは良く言ったものだ、と魔術学園時代を思い出す。
「お二人とも、喜んでましたよ! クラウドさんにもお礼を言われてました!」
狭い馭者席でなぜか隣に座っているリータが、嬉しそうに話しかけた。
「口では何とでも言える。あまり社交辞令を真に受けると、後で痛い目に遭うぞ」
「大丈夫です!」
リータはふふん、と笑顔を見せた。
「クラウドさんは良い事をされましたから、あの方たちの言葉はきっと本物ですよ!」
「お前な……」
単純な奴だとは思いつつも、リータの堂々とした言葉は、彼の耳には暖かく聞こえた。
「これからどこに行くんですか?」
「馬車で二日も走れば、かなり大きな町に着く。そこで王都へ入る準備をするぞ。移動の手段も変える」
馬車で移動すればその町から王都まで十日はかかる。さすがにそこまで時間をかけるわけにはいかない。
「そんなに速く移動できるんですか……? あ、走るんですね!」
「馬鹿言え。もう俺はあんなのは嫌だ!」
手綱を握りしめて、クラウドは魔術で緩和するまで筋肉痛に苦しんだのを思い出した。森の中をリータと共に駆け抜けた翌朝の事だ。
「俺はお前の“お母様”の師匠だぞ。任せておけ」
揺れる馬車の中には、運び出した記憶物質や研究資料の他に、町の鍛冶屋で買いつけた金属のインゴットが一抱えほど積み込まれていた。
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