9.蠢動するは妹なり
9話目です。
よろしくお願いします。
8日18時に前話を公開しておりますので、ご注意ください。
ノーラ王国は国のほぼ中央に都市がある。ウグァール湖という巨大な湖を水源とする豊かな都市であり、遷都からまだ五十年と経っていないため、比較てき新しい都市と言える。
巨大な国土は細分化されて多くの貴族によってそれぞれ管理されているが、土地の基本的な持ち主は王であるとされ、貴族は王より預かった土地の管理者とされている。
王の意向や賞罰による貴族の配置換えである転封もしばしば行われる。そのため、一部の地域では領主とその侍従たちが地元採用の兵士達と文化的な諍いを起こす事も珍しくない。
元来海沿いにあった王都が移転する際は大きな転封があり、現在唯一の公爵家でありクラウドの実家であるロンバルド家はもちろん、五家の侯爵の内二家は王都を中心とした王家直轄地の隣へと移された。
その二家のうちの一つが、クラウドの婚約者であったリンの家、ホールデッカー侯爵家だ。
「……リンはどうしている?」
「今も自室に籠っておいででして……」
ホールデッカー侯爵家当主のアーサーが、朝食後のコーヒーを書斎まで運んできた侍女に尋ねると、彼女は顔を曇らせて答えた。
「そうか……」
短く答えたアーサーに一礼すると、侍女は盆を抱えて書斎を出て行った。
魔術学園の卒業式典での騒動については、詳しい内容は高位の貴族にしか伝わっていない。国王に害は無かったものの、国家が運営する学園の式典で騒動を起こしたとして、娘の婚約者はお尋ね者となり、父親であるロンバルド公爵は王によってしばらくは謹慎させられる事となった。
「殴られた被害者でもあるのだがな、ギヨーム殿も災難な事だ」
と、出席していたアーサーの目の前で殴られた公爵に同情する気持ちが無くも無いのだが、それ以上に婚約者であったリンに対して、ひいてはホールデッカー侯爵家に対してどう対応するのかが気になっていた。
家格は当然ながらロンバルドの方が上だが、だからと言って事件を起こして一方的に婚約を破棄するような真似をして、放っておいて良いという話は無い。
当主が謹慎中という事も考え、また王国の紳士として取り乱すような真似は慎まねばならない。五日程度は待って、動かないようであれば抗議の手紙でも送ろう、とアーサーは考えていた。
「リンの嫁ぎ先を別に探さねばならんな。まったく、人との関わり合いを極力避けている節もあったからな。天才とはいえ多少変わり者だとは思ったが、ここまでとは」
学生の身分で実績もある青年であるし、公爵家を継ぐ事もあって将来は安泰だと安心していたのだが、とアーサーは落胆した気持ちを隠す事は出来なかった。
貴族間のやり取りはこれからの公爵家の動き次第だが、問題はリンの事である。
卒業式典での騒動から二日が過ぎたが、強いショックを受けた彼女は寮を引き上げてアーサーと共に実家に戻ってきてから、ずっと自室に籠っている。
食欲も無いようで、侍女に頼まれてようやくスープを半分ほど飲んだ、とアーサーは報告を受けていた。
父親の呼びかけにも「少し放っておいてくださいませ」と力ない返事があるだけであり、抱きしめて慰めるべき娘であるのに、それすら許されない事にアーサーは歯がゆい気持ちを抱えている。
妻を早くに亡くしたアーサーは、女親が居れば違ったのだろうかとも思った。
「このままにしておくわけにはいかん。医者を呼ぶべきか……うん?」
建物の二階にある書斎の窓は、貴族の家らしくガラスが使われている。
そこからは前庭が大きく見える。デザインに拘った正面の門や、プロムナードの周囲を飾る色鮮やかな花壇が一望できる、アーサーお気に入りの景色だ。花壇の三分の一を占める薔薇は、彼自身が手をかけて育てた宝石よりも大切な宝物だった。
その窓から、大きな馬車がやってきて、門の前に停まったのが見える。
「……直接来るとはな。だが、謹慎中のはずだが……」
馬車に大きく掲げられたエンブレムは間違いなくロンバルド公爵家のものであり、それは門から番兵の一人が大慌てて屋敷へ向かって走ってくる様子からも、決して偽物では無いらしい事が分かる。
「やれやれ、目上の人物に苦情を言うのも頭を下げられるのも苦手だが、リンの為にもしっかり話を付けねばなるまい」
アーサーが書斎からでたところで、丁度執事のガウェインが近くまで来ていた。太い眉をした三十歳にしては随分老けて見える顔に、焦りの表情が張り付いている。
「旦那様、よろしいでしょうか。お約束の無いお客様がおいでなのですが……」
「ああ、馬車が来るのを見ていた。ロンバルド公爵が来られたのだろう?」
「ロンバルド公爵家の方なのは間違いないのですが……」
二メートルを超える長身で、分厚い胸板を見せつけるかのように堂々とした動きを見せるのが常であるガウェインに似合わず、歯切れが悪い。
「落ち着け、みっともない。公爵自身でなければ、誰が来たと言うのだ。まさか飛んで逃げたクラウドが来たわけでもあるまい」
「ええ、クラウド様でもございません」
白いハンカチを取り出し、ガウェインは額の汗を拭った。太い指には似つかわしくない可愛らしいそれは、リンが幼少時にプレゼントしたものだ。
「御来訪されたのはロンバルド公爵家の長女、ロザミア様です」
☺☻☺
「ホールデッカー侯爵閣下。ご無沙汰しております」
中庭へ入り、玄関前まで乗りつけた馬車から降りた少女の顔を、アーサーは見知っている。
ロザミア・ドゥヌー・ロンバルドは当年とって十五歳。二年ほど前に社交界デビューを果たしてすぐに“蒼薔薇姫”と呼ばれ称賛される程の美姫で、異名の元となった鮮やかな青い髪を豊かに揺らしながらステップを降りてくる姿すら、名画から抜け出してきたかの様に美しい。
同行者のうち護衛の騎士は最低限の二名だけであり、年齢の近い可愛らしい少女たちを四人ほど連れている。
これは噂によるとロザミアの趣味であり、少女でありながら可愛らしいものに目が無いらしく、貴族や平民に関わらず気に入った少女は雇い入れる。他にも可愛らしいアクセサリーや小型のペットなども集めているとの話もアーサーは耳にしたことがある。
「こちらこそ、ご無沙汰しております。有名な“蒼薔薇姫”にわざわざお越しいただけるとは」
日差しが強い事を考えて、四阿がある案内しようとしたアーサーだったが、ロザミアは断った。
「今日はお兄様の件で伺いましたが、お話したいお相手はリンお姉様なのです」
何を言っているのか、とアーサーは内心怒りすら覚えた。
謝りに来たかと思えば、傷心の娘をさらに追い詰めるような真似でもするつもりか、とアーサーは断りの言葉を探す。
「申し訳ないのですが、リンは今、少々疲れておりまして……」
「お父様」
アーサーの言葉を遮ったのは、娘本人だった。
「リン。お前……」
急いで身支度を整えたのだろう。シンプルなドレスに身を包んだリンは、少しだけ髪型が崩れている。
彼女の後ろに立っている大男を見て、アーサーは状況を知った。ガウェインがロザミアの訪問を伝えに行ったのだろう。
余計な事をした、と言いたいところだがロザミアの前では笑顔を保ち、自分も同席して良いかと確認した。
何か問題があれば、すぐに引き離さなければならない。
周囲に人を寄せ付けないせいで、その人となりについてはあれこれと審議の怪しい噂があったクラウドと違い、アーサーが知る限りロザミアは本物の変人だ。
可愛いもの好きが行き過ぎている事も問題だが、アーサーが恐れるのは趣味そのものでは無い。変わった趣味を持つ貴族は数多くいる。
ロザミアが恐るべき少女だと評されるのは、兄クラウドとは真逆の交際力ともいうべき“人たらし”の手際だ。
ロザミアに付き従う少女たちは皆、無理やり連れて来られたというわけではない。ロザミアが勧誘して本人たちが納得し、さらにはその親たちですらロザミア自身が口説き落として雇い入れたのだ。
平民にすら直接家まで訪れて交渉を行い、話が終わる頃にはすっかりロザミアの信奉者とも言える程心酔しているとも言われる。
「もちろん、侯爵閣下もご同席いただきたいと思います。わたしのお願いと情報は、きっとリンお姉様がお一人で受け止めるには重すぎますもの」
何を吹きこむつもりだ、とアーサーはさらに警戒を強くする。
だが、対するロザミアは涼しい顔でアーサーの案内に応じて四阿へと歩いていく。その所作は洗練された貴族令嬢の鑑と言えるほどに見事だ。
椅子を引いたアーサーに微笑みを向けて「まあ、ありがとうございます」と丁寧にお礼を言ってからそっと座る。
「さあ、リンお姉様はどうぞお隣に」
とアーサーが椅子の背もたれから手を放す前にロザミアが声をかけ、リンは素直に礼を言って座った。
止めそびれたアーサーは、悔しさを心に隠しながらロザミアの正面へと座る。
「すぐに紅茶を持ってこさせましょう。それとも、蒼薔薇姫はコーヒーの方がお好みだったかな?」
「どちらでも好きですけれど、侯爵閣下はお庭で立派な薔薇を育てられ、見事な香りのローズティーを作られていると伺いましたわ」
自慢の薔薇を知っているのか、とアーサーはつい上機嫌になり、侍女にローズティーを持ってくるように命じて、緩みそうな顔に力を入れた。
「では、お話を……」
「その前に、まずは謝罪をさせていただきます」
立ち上がったロザミアは、貴族令嬢がまずやらないほどにしっかりと頭を下げた。
「ろ、ロザミア様!?」
「そこまでする必要は無いのでは……」
驚く父娘に向けて顔を上げたロザミアは、そっと涙を流していた。
「お父様は謹慎中。お兄様が行方不明の今、わたしがやらねばならぬ事です。当家の非礼をお詫びいたします。それに、リンお姉様の胸中を思うと……」
慌てて立ち上がったリンに肩を抱かれて椅子に戻ったロザミアは、運ばれてきたローズティーを進められ、おずおずと口をつけた。
「美味しい……それに、素晴らしい香りですね」
涙の後をつけたまま、ぎこちなく笑って見せたロザミアに、アーサーも落ち着くと共に、改めて自らの薔薇を褒められて喜んだ。
「謝罪は充分に受け取りました。でも、わたくしに持ち込まれたお話というのは……?」
「お兄様が置かれていた状況についてです。……これをご覧ください」
スカートにポケットでもあったのか、折り畳まれた一枚の紙を取り出したロザミアは、細い指で広げてテーブルに置いた。
そこには、この世界の言葉と日本語が並べて書かれている。
「これは……文字なのですか? 見たことがない程に複雑で、まるで模様だ」
「お兄様が残していたメモです」
天才はどこか遠い国の言葉でも学んでいたのか、とアーサーは片眉をあげた。だが、それがクラウドの失踪とどう関係あるのだろうか。
「お兄様の中には、一時期二つの人間が入っていたようです。他家へは秘密となっている事ですが、お兄様は誕生から数年間、自ら動くことすらできない人形のような状態でした」
ロザミアは、幼いころにまだ記憶を移植される前のクラウドを見たことがあった。その頃には、ほとんど接触を許されていなかったので、片手で数える程度の回数だが。
「……どういうことでしょうか?」
リンが問う。
アーサーは、とてつもなく危険な話が持ち込まれている予感に心臓が高鳴るのを感じていた。
「つい最近になって調べがついた事ですが……お兄様は、お父様や国王様の命令で密かに進められていた研究の、実験台とされたようです」
「じ、実験台……」
両手で口を押えて目を見開き、リンは絶句している。父親のアーサーも同様だ。
アーサーは慌てて周囲を見回し、近くにいた侍女に慌てて中庭から全員出ていくように命じた。
「失礼ながらロザミア様にお聞きしたい。証拠があるか否かはこの際後にしますが、その話をここへ持ち込んだ理由はなんでしょう?」
汗が流れるのを頬に感じながら、アーサーは早口に問うた。
「……お兄様を探して連れ戻すのにご協力いただきたいのです。お父様や国王様が動けば、お兄様は消されてしまう可能性があります」
アーサーやリンが再び口を開くまで、たっぷり二分はかかった。
「……詳しく、聞かせていただけますか。リン、お前は少し席を外しておきなさい」
「いいえ、お父様。わたくしもお話を窺いますわ」
親が決めた婚約者だと言うのに、リンはクラウドを心から想っているのだ、とアーサーは初めて知った。そして、今もまだ気持ちは消えていないのだ。
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