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ヒューマノイドとキマイラ  作者: 大竹 和竜
3/3

3話

 運転席で背広姿のジェフがタバコをふかしてぼやく。グレーのネクタイに灰が落ちた。

「もうこれで七日目だぜ?」

「そうだな」

 僕は助手席で缶コーヒーをあおる。ブラックだ。

「取引場所、かわっちまったんじゃねーのか?」

「今日曽根が現れなかったらそういうことだろうな」

 午後四時半も過ぎた。真っ青だった夏空は若干黄色味を帯びてきている。

 ジェフの愛車、水素エンジンのタツダRE-8の中は冷房がきいていた。この時代、ガソリン車はほぼ走っておらず、先進国はほとんど水素エンジンの車に置き換わっている。二〇〇〇年代初頭に隆盛を極めたハイブリッド車は、途上国に中古車として売り払われていった。

 フロントガラスから見える風景は埠頭の倉庫街だった。海岸からは若干離れており、波の音は聞こえない。少し離れたところにある倉庫の事務所前には「蔵倉庫」という看板がかかっている。

 調査の結果、蔵組は準暴力団にしては珍しく、隠れ蓑としての会社を持っていた。そして、その事務所が目の前にある蔵倉庫であった。しかも実際の業務はなく、無人の事務所があるだけの企業であることがわかっている。

 そして現在はお決まりの張り込み。マリは暴力団関係の担当でいない。もうこうして七日目になるが、一向に曽根も、蔵組の人物も現れない。聞き込みによると、この付近に曽根が現れることがあることはわかっているのだが。

「蔵倉庫、か。酷いネーミングだ」

「ん?どういうことだ?」

 ジェフが首をかしげた。

「ああ、蔵ってのは倉庫の意味がある。だから倉庫の意味で名前がダブってる」

「はー、そうなのか。俺はてっきりあの女優かとおもった。ほら、あの、なんでも入る」

「何言ってんだジェフ?」

「AV女優だよ。蔵 草子」

「ああ、このあいだ検索でおまえがひっかけたあの……」

「なんだよその眼は。念のため英語で検索かけたら出てきちまったんだよ」

 さすがにジェフでも仕事中にまでそういうものを調べる人間ではないと思ってはいるが、ひどい検索結果にマリもものすごい表情をしていた。ちなみに隊長はその女優を知っていたのか笑っていた。キャッチフレーズは「この女、収納系」だった。どんな女優だ。

 ジェフがタバコを灰皿に擦り付ける。灰皿は吸殻がぎっしりと詰まっていた。そして彼は声を上げた。

「あーくっそ、タバコが切れた! わりい、ちょっとコンビニ行ってくる」

「さっき行った時に買っておけよ……」

 ジェフは空になったタバコの箱を握りつぶすと、扉を開けて出て行った。くぐもっていた蝉の声が一瞬はっきりと聞こえたが、扉の音とともにまたくぐもった。

「まったく……」

 日中は車以外、ほとんど人通りのない、寂れた倉庫街がこのあたりの印象だ。中・大型のトラックが通り過ぎては蔵倉庫以外の倉庫に入っていき、また出て行く。この七日間はその繰り返しだった。ジェフの言うとおり、大戸が逮捕されたことに警戒し、取引場所が変わった可能性もある。

 僕は首元の赤いネクタイを締め直す。その時、ポケットの中の携帯端末が震えた。同時に視野の隅に赤く着信の表示。コンタクトレンズ型ディスプレイがジェフからの着信を示していた。車のミラーを見るとジェフは曲がり角に消えていくところだったが、どうしたのだろうか。体内通信装置を経由して電話に出てみる。

「ジェフ、どうした?」

「ああ、なんか買うものあるかなーって思ってな」

「あ? ああ、コーヒーと、今のうちに晩飯買っとくかな。唐揚げ弁当で」

「またコーヒー? トイレ大丈夫かよ」

「うるさいな、お前のタバコと一緒だよ」

「あいよ了解」

 電話を切るとポケットに戻す。

 コーヒーについては、あいつがタバコを吸いすぎてるのと変わりがないとは思うが、確かに少し飲みすぎているとは思う。

 視線を蔵倉庫の出入り口に戻す。相変わらず動きはない。一台だけ大型のトレーラーが通っていったが、隣の倉庫への納品だろうか、蔵倉庫の前は素通りしていった。

 一向に曽根は現れない。携帯端末を起動して、少し資料を見返しておくことにした。キメラ症関連の事件のデータベースからダウンロードしてきた曽根の資料と蔵倉庫の図面を呼び出すと、視野にそれらが映し出された。彼には万引きでの補導歴があったため、顔はすぐに割れた。本名、曽根 そら。灰色の毛をした、絵に書いたようなネズミのキメラ症だ。身長は一六五センチ。大きくも小さくもない。現在はまっとうになったのかそうでないのか、国立大の化学部にいるようだ。他にも暴行事件の被害者としての記録もあった。

 倉庫は、道路側に駐車場があり、すぐ隣接して体育館ほどの大きさの倉庫本体と、その奥、海岸側に小さい事務所がある構造になっていた。脇には小さい運河が流れている。僕もジェフも何度も確認しているが、念のための確認だ。

 資料を閉じ、視界が戻ると、車のフロントガラスに黒い異物があった。一点の曇りもなく真っ黒い羽根だった。カラスの風切り羽根だろうか。空の方に目をやってみるが、カラスは見当たらない。飛び去ってしまったのだろう。

 しばらくそうして時間がすぎる。

 再び携帯端末が震えた。またジェフからだ。

「今度は何だ?」

「いたぞ。ホシだ」

「なっ!?」

「弁当買ってたらコンビニのトイレから出てきた。ちょっとタバコ吸いながら様子見するわ」

「わかった、電話はそのままで。防弾装備は?」

「後ろの席に置いてある」

「わかった。銃は?」

「俺は持ってる。背広が暑くてキツい」

「それは僕もだ」

 電話の向こうでジェフのライターの音がした。こちらは後部座席を確認する。防弾用の薄型ベストが置いてあった。今出すと存在を気取られかねないので確認だけにとどめておく。

 続いて人目がないことを確認して、懐のホルスターから銃を出し、チェックする。オーストリア製の樹脂製フレームの機関拳銃、グロック48Jだ。キメラ症の犯罪も凶悪化の傾向があり、大火力の火器が特別に許可された。弾倉を引き出し、全一九発の弾丸が弾倉に入っているのを確認する。再度弾倉を入れ、遊底を引いて初弾を薬室に送り込み、安全装置をかけた。

 今回は準暴力団、しかも麻薬関係の事件の捜査ということで発砲許可も降りている。つららが伸びていくかのように、体に芯ができていくような緊張感が芽生える。

 電話のむこうではコンビニの入店音がかすかに聞こえた。ジェフの呼吸音が声に変わる。

「今からそっちに向かう。どうやらアタリみたいだぜ」

「わかった」

 どうやら曽根が出てきたらしい。電話のむこうでジェフが歩く気配がした。

 しばらくミラーを見ながら待つ。

 曲がり角から、花柄の襟付きシャツに軍用ズボンを模したものを着た、サンダル履きのネズミ頭が現れた。間違いなく曽根だった。写真で見るのとは若干違い、頭部の毛を健常者の髪の毛さながら整髪料で整えているのか、尖ったように見えた。曽根は反対側の歩道へ渡ると、こちらに向かってくる。少し遅れて、ジェフもビニール袋を手に下げて現れた。曽根は特に警戒する様子もなく、そのまま通り過ぎていき、蔵倉庫に入っていった。ジェフは車に戻ってきた。コンビニのビニール袋を後部座席に放る。

「入ったな」

「ああ、あとは取引相手が現れたら突入だな。本部に連絡しとく」

「おう」

 本部に連絡を入れる。顎の付け根のスイッチを押す。ぐねり、と蠢くような感触とともに無線が開く。

「こちらキメラ機動隊第一分隊小田原。【ヒューマノイド】関連事件のホシを発見。取引間近と思われるため応援を要請します。どうぞ」

「了解、第一分隊と周辺の警官を動員します」

 無線が切れる。同時に後部座席から防弾ベストを引っ張り出す。銃のチェックをしていたジェフにそれを渡した。

「お、サンキュ」

「応援も入れたし、しばらくしたら突入だな」

 そうして装備を整えていく。背広を脱ぎ、肩がけのホルスターを外し、腰用のホルスターを着け、銃を移す。そして防弾ベストをすぐ着用できる位置に置いておく。

「あ、トランク開けといてくれ。アレすぐ出せるように」

「ああ、そうだな」

 ジェフに催促し、トランクを開けさせる。車の後方でトランクのドアが軽く跳ねるのが見えた。

 再び時間が経つ。三分、五分、七分。遅い。取引相手はまだか。

 その時だった。微かだが、蔵倉庫の方から怒声が聞こえた。

 ジェフもそのようで、頭頂部の耳が跳ねた。

「しまった、先に入っていたのか!」

「にしたっていつだよ!?」

「くそっ、こちら小田原。すでに現場で取引が始まっているもよう! 先行して突入します!」

 無線で、先行して突入する旨を伝える。もともとキメラ機動隊には支援は少なく、先日の事件の時も実は応援を断られていた。急いでも待っても変わりがないのはいつものことだ。ジェフの疑問もそのとおりだが、急いで突入の準備を整える。僕は防弾ベストを着け、車から飛び出すと、トランクから透明で大柄な物を取り出した。暑さ4センチほどあり、高さ一四〇センチある透明な樹脂製の防弾盾だ。

 ジェフは運転席も運転席から飛び出し、蔵倉庫の方へ駆けていった。僕もそれを追う。

 門の前で僕がジェフの前に立ち、施設に突入する。

 蔵倉庫の入口は無人のがら空きで、かつて使われていたであろう守衛所も無人だった。奥には小型の体育館ほどの大きさの倉庫があり、金属製の扉が少し空いている。

 速やかに扉の前に移動した。反対側にジェフが立ち、取っ手を掴む。

中の様子を軽く伺うと、奥にうず高く、林のように荷物が積まれている以外、確認できない。しかし人影が二つあった。一人はこちらに背を向けた曽根と、そのさらに奥に、着崩したスーツ姿の健常者の男。茶髪だ。幸いどちらも口論しており、こちらには気づいていないようだ。主に怒声を上げているのは曽根だ。

 盾を構え直し、ジェフとアイコンタクトを取った。ホルスターから銃を抜き、安全装置を解除する。ジェフが引きちぎらん限りの力で扉を開く。扉が錆び付いた悲鳴を上げると同時に僕が突入し、銃を構える。

「動くな!警察だ!手を挙げて伏せるんだ!薬物乱用防止条例違犯の現行犯で逮捕する!」

 扉から一歩入ったところで声を上げた。同時にジェフが後ろで左右を警戒する。

 手前にいた曽根は背筋を凍らせるような動きをして、こちらに振り向き手を挙げた。奥の茶髪は特に反応もなく、こちらを見ると、悠然と両手を上げた。足元にはやや大ぶりなトランクと、くたびれたポーチが置いてある。

「よし、その場で伏せろ!」

「ひ、ひいぃ!」

 曽根はこちらの銃に怯えたのか、その場で情けない悲鳴を上げると伏せた。茶髪の方は伏せようとしない。

「聞こえないのか! 伏せろ!」

 ジェフが後方からさらに一喝すると、男は「やれやれ」とつぶやき、ゆっくりと膝をつき、伏せた。ジェフがゆっくりと曽根に近づいていく。十メートルは離れている。

僕はその間、茶髪に銃を向けつつ、左右を警戒する。薄暗い倉庫内の左右にもドラム缶やダンボール箱、コンテナ等が、はたして中身はわからないが、高く積み上げられていた。それなりの数が並んでいる。高いところにある採光窓からは、傾きかけた夏の日差しが注いでいる。

 ジェフが曽根に手錠を掛けた。

「いてっ……」

 曽根の細い腕に生えた毛にまたしても手錠が絡まったのか、彼は声を上げた。

「ああ、わりぃ……」

 ジェフは、やってしまった、というような声を発した。

次に伏せた茶髪の方に向かおうとしたとき、ハッとしたような表情を見せた。

「ケイシン、変だ。もう一人いる匂いがする」

 茶髪の方に銃を向けながら、ジェフはそう言った。

「本当か?」

「何かクセぇ。香水の匂いじゃないんだが……思い出せねえ。なんの匂いだこりゃ」

 ジェフはシベリアン・ハスキーのキメラ症で、見たとおり頭部の骨格が犬のようになっている。鼻腔の奥にある嗅上皮の面積はヒトの三~四平方センチに比べて非常に大きい一四〇平方センチほどある。さらにジェフは犬の骨格を形成する遺伝子のみならず、匂い分子を嗅上皮で受け取るための嗅覚受容体遺伝子を持っているそうだ。その数ヒトの四〇〇種を大きく超える七〇〇種。犬の八〇〇種全てではないが、通常の嗅覚に近い僕では嗅ぎ取ることのできない匂いを感じることができる。

 ジェフは鼻を鳴らして警戒するが、正体がつかめないようだ。知らない匂いなら、表現しようがないだろう。

「どっちからきてる?」

「わかんねえ。キツい匂いでどっちかも……とりあえずこっちも捕縛、っと」

 ジェフは茶髪の男のほうにさらに近寄ろうとした。

 その瞬間、僕の右上方から熱のような違和感。僕はとっさに盾をそちらに向けた。見えたのは大きい、黒い影。同時に盾に衝撃が来た。

 樹脂製の盾とそれは硬質な音を立てて拮抗した。真っ黒い漆塗りの、細い円筒形の杖だった。かなりの重量がある!

「ケイシン!」

 ジェフが声を上げて銃をこちらに向けた時には既に遅かった。鍔迫り合いのような形で影と向かい合う。距離もあり、これではジェフは撃てない。盾のむこうのその正体に目を凝らす。革手袋をはめた両手で杖を振り下ろしてきたそいつの顔には、漆黒の太いくちばし。その後方には黒い草原のような羽毛に、丸い頭、黒い玉のような目。カラス頭だった。ジーンズを履き、長袖のゆったりとしたジャケットを羽織っており、茶髪と対照的な服装だ。体格からすると男のようだ。

 全体重をのせてくるカラス頭は、僕より明らかに身長が低い。しかし一歩も引くことなく僕を睨みつけてくる。

 あまりの力と奇襲で銃を構えられない。おそらくコンテナの上にでも潜んでおり、そこから飛び込んできたのだろう。

同時に倉庫の各所から空き缶が落ちるような音。続いて灰色の煙。どこからだろうか、いつの間にか煙幕が張られたようだ。手が込んでいる。カラスと押し合いをしているうちに煙はみるみる倉庫を包んでいく。

「ジェフ! そっちを急げ!」

「お、おう!」

 僕は叫んでジェフに促した。一瞬目を向けると、茶髪はマスクのような物を着け、煙幕の中を逃げ始めていた。手には小汚いポーチとトランクが握られていた。

「くそっ! 逃がすかよっ!」

 ジェフは悪態をついて煙の中を駆けていった。

「こっちは、任せろ!」

 踏ん張って相手を押し返す――と見せかけて相手がそれに合わせて押し返す力に乗って跳び、間合いを取る。

 着地と同時に、盾を構えたままその脇から銃を構え、引き金を引いた。乾いた音とともに非殺傷性の硬質ゴム弾が発射される。ゴムとはいえこの距離で当たればプロボクサーのパンチ並の衝撃を与える。頑健なキメラ症といえども無力化できるだろう。

 その瞬間、カラスの手元から銀の光条。硬い音とともに弾丸は扉と天井に激突し、轟音を上げた。

 カラスの右手には漆の漆黒。さらにその先には銀の刀身。ごく緩く反り、ほぼ直線にも近い片刃のそれは窓からの光をうけ、濡れたような輝きを放っていた。日本刀だった。左手には杖の一部が握られている。仕込み杖だ。彼は居合の動作で弾丸を切り飛ばしたのだ。

「なっ……」

 僕が驚いていると、カラスの右手が閃いた。裂帛れっぱくの踏み込みとともに刃が戻ってくる。盾で受けると、先ほどとは比べ物にならない衝撃が襲ってきた。鈍い音がすると、樹脂製の盾が白く筋状に曇る。刃が通った跡だった。尋常ならざる速さで二の太刀、三の太刀が次々と閃き、盾にはさらに跡が刻まれていく。

 その切り返しの隙を見つけると、そこに向けて盾を振るった。振り始めは勢いがないはずだ。実際そのとおりで、刃を止められた。好機だ。親指で銃側面のセレクター・レバーを切り替えると、すかさず胸に向けて銃を構え、引き金を引いた。乾いた音が三連続。速度にして分間一二〇〇発の三点バースト射撃をお見舞いする!

 しかし引き金を引いた瞬間を見切られた。カラスは膝をつき、そこから折れるように上体を反らして避けた。弾丸はカラスの顎、もとい嘴をかすめ、消えていく。なんて反応だ。ついでと言わんばかりに、逆手に持った左手の杖の一部、鞘を僕の顎めがけて振ってきた。間一髪でこれをよけるが、こちらも体勢を崩す。

 カラスは膝をついた状態から素早い足さばきで煙の中へと消えた。

「待てっ!」

 僕も体勢を立て直し、三点バースト射撃を加えるが、外した。

「くそっ!」

奴を追って煙の中へと入った。

 早足の足音は聞こえるが、当然姿は見えない。奴は内部構造を熟知しているのだろう。急いで追跡せねば。先程から何度か別の銃声も聞こえている。

僕はジェフのように鼻は効かないし、効いたとしてもこの煙の中ではわからないだろう。幸い、濃い煙を吸わない限り、呼吸には影響しない煙のようだ。

 ではどうするか。赤外線なら、僕にはわかる。

 蛇のなかでもクサリヘビ、ニシキヘビ、ボアの仲間は、ピット器官とよばれる顔面の小さい穴で、赤外線を感じ取ることができる。この機能の根幹を担う遺伝子がTRPA1遺伝子だ。これは人間の痛覚受容体に似た構造の蛋白質を作る遺伝子で、視覚とは別の感覚を通じて熱を知覚させる。僕も隊長同様、何の因果か、トカゲの遺伝子以外にも蛇の仲間のこの遺伝子が入っているらしい。ピット器官こそ僕にはないが、頭部の皮膚全体にこの遺伝子が発現しているようで、触れるかのように熱を感じ取ることができる。

集中して、煙の中を「触れる」。上方にはまだ煙を発する何かが熱を出している。おそらく発煙装置だろう。側面は冷たい感触が続く。コンテナや壁、ドラム缶などだ。感触と奴の足音を頼りに奴を追う。

 冷たい感触が迫ってくる、壁だ。同時に左に強い熱。低い位置で動いている。奴だ。

 足音で気づいたのか、素早くこちらに飛びかかってきた。煙の中から奴の刀が殺到してくる。だが狙いが不正確で、盾で受け流すのは簡単だった。狙いを熱に触れつつ定め、バースト射撃を叩き込む。しかし、奴の熱は激しく左右に動き、避けた。どうやら相当勘がいいやつらしい。厄介だ。

熱は濃い煙とコンテナの密林の中を奥へ奥へと逃げていく。僕もそれを追う。熱でしか相手を判別できない以上、うかつな発砲はできない。

 煙が濃くなってきた、息をすると不快感にむせる。この煙の濃い足元を、あいつはどう動いているのだ? とにかく急がなくては。

 熱は冷たい感触のあいだにある穴のなかに入った。どうやら奥の事務所のようだ。発砲音がそこからする。ジェフが危ない。

 急いでそこに突入すると、比較的薄い煙の中、ジェフがカラスと対峙しているところだった。茶髪は、窓際、カラスの後ろからジェフににび色の拳銃を向けていた。顔には簡素なボンベ付きのガスマスクをつけていた。用意がいい。ジェフの眼前には刀の切っ先。

「間に合ったみたいだねぇ、助かったよ、君」

 茶髪はカラスに声をかけたようだった。マスクで声はくぐもっている。目付きはいやらしくにやけている。

 カラスは肩で息を切っているが、それに応えてひとつ、うなずいた。

「ほら、トカゲくん。君の相棒の命が惜しかったら見逃してくれないか?」

 続いて茶髪は僕に向けて語りかけてきた。余裕のある、腹立たしい声だ。

「ケイシン、すまねえ、ドジった。煙をモロに吸っちまって……」

 ジェフは激しくむせた。この状況はまずい。

 だが、ようやくのタイミングでそれは聞こえた。サイレンの音だ。応援がようやく来たらしい。

「お前たちこそ、怪我する前に投降したほうがいいぞ。諦めろ」

 僕は茶髪に銃を向けた。

 その時、カラスが身を翻し、男を抱えあげ、窓ガラスを割って飛び出した。器用なことに既に刀は鞘に収まって杖になっていた。逃げる気だ。

「逃げ足の早いっ!」

 さらにバースト射撃で動きを止めようとしたが、既に視界の外。急いで追う。

 外に出た瞬間、大きな水音。

 図面を思い出す。工場の隣には、流れの速い運河があった。

「まさか、飛び込んだのか!?」

 運河に敷かれたフェンスには不自然な通用口があり、それが開いていた。

 運河を覗き込むと、大きな波紋があった。茶髪はボンベをつけていたが、カラスのほうはそうではないはず。すぐ浮上してくるだろう。

「ジェフ、先回りするぞ」

「おう」

 河口側に向かって走るが、一向にカラスも茶髪も浮上してこない。カラスの方はどういう呼吸をしている!?

「くそっ、気嚢か!」

 今更になって気づいた。鳥類は呼吸をするのに肺と気嚢という器官を使う。肺は人間同様ガス交換を行うが、空気をためる機能はない。そのかわりに気嚢を使って空気をため、その収縮で肺に空気を送り出し、酸素を得る。つまり、体の中にボンベを抱えているようなものだ。高高度を飛ぶ渡り鳥はこの仕組みで薄い空気の中を飛ぶ。カラス頭も同様に気嚢を備え、一度深く吸った息を徐々に吐き出して酸素を確保しているのだろう。

「逃げられたか……」

 運河の流れはかなり早い。海に出られれば捜索は困難だろう。

「あ、さっきのネズミ!」

 ジェフが声を上げた。

「あっ、曽根! 大丈夫か!」

 曽根には手錠をはめたので遠くには逃げられないはずだがあの煙の中は危険だ。

 倉庫の入口に戻ってみると、応援部隊が入ってくるところだったが、同時に曽根が倉庫から這い出てくるところだった。


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