5-唄習い
快晴の前にうず高く本が積まれた。
「何だよコレ……」
快晴は訝しげに那由他を見上げる。
「唄本。舞手はな、舞うだけじゃねーの。他に唄の掛合いを舞の間に挟むんだ」
本を開き、快晴は唖然とつぶやいた。
「ーー古語?」
そこには伏字の羅列、ところどころ振られた数字、記号。リズムを刻んだような線……一見、何かの暗号みたいだ。
「唄本と言っても歌詞が書いてあるわけじゃない。これは代々の舞手が残したあんちょこさ」
那由他はどかっとその場に座り、本をぱらぱらとめくりだす。
「今見ても意味不明だが、そのうち参考になるぜ。特に俺のやつは」
那由他は本を置き、両手でぱんと自分の腿をはたいた。
「いいか?肝心の内容は自分の耳で覚えるしかない。笛に楽譜がないようにな」
快晴はげんなりと積まれた本の上に頬杖をついた。
「めんどくさ……」
「そう言うなって。物覚えはいいんだろ?」
那由他はにっと笑う。
「唄は形に残せない。文字を介して伝える唄は別物になっちまう。……言霊って聞くだろ。言葉は本来生き物で、文字になった瞬間から死んでく。口で奏でてこそ唄に呪力が宿るし、神も呼べる。……千久楽が長らく口承文化だったのはそういうわけだ」
快晴は頬杖をついたまま、目だけを那由他に向ける。
「で、肝心の内容は?」
那由他は首を振った。
「分からん」
「は?」
快晴は思わず顔を上げた。
「古い言葉は唄の中にしか残らない。まともに喋れるやつなんていねえし、意味だってもう分からないのさ」
快晴は溜息をついて、うつむいた。
「そんなんで演じられるのかよ……」
那由他は腕を組む。
「そこが俺らの見せどころだ。筋立は自分たちで考える。アドリブだってありだ。それを観客は毎年楽しみにしてるんだぜ」
「適当……」
「ま……大体の想像はつくぜ。呼び唄は風を招く内容だろうし、舞手が掛け合うのは恋の唄に決まってる」
「恋…って……」
快晴が固まりかけている。
「お、まだ概要言ってなかったか。やべーやべー。今回の祭はいちお春の奉納祭、風花祭だ」
「カザハナマツリ……」
「風花の降る季節に風の神を迎え、今年の豊穣を祈る、って行事さ。実らせるってことは〜つまり、そこに神と娘の交接があるわけで……」
「コウセツ?」
快晴は眉を寄せる。
「こういうことさ」
快晴は突然両肩を掴まれ、床に倒された。その上から那由他が覆いかぶさる。体の重みで身動きが取れない。
「離せっっ、……」
大きな手が胴を伝い、腰に届く。
「ちょっ………ふふ、」
快晴は思わず表情を崩した。
「あ〜〜〜やめろって、もう!」
快晴はくすぐったそうに体を折り曲げる。那由他は手を離し、代わりに小さな頬を包んだ。
「ほら、笑えばかわいいじゃねえか」
快晴は一瞬きょとんとし、やがてみるみる赤くなった。その変化に那由他は吹き出して、隣で苦しそうに伏せっている。快晴は腕で顔を隠す。
「…っくしょう……」
那由他は悶えたまま、快晴を指差している。
「お前、ほんと、最高……」
快晴は怒り心頭に立ち上がった。
「帰る!」
「おっと、話は最後まで聞けって……」
那由他は笑いをかみ殺す。
「風花祭で舞うのは剣舞。よって、舞、唄、剣さばき3つを同時にこなす。これは簡単じゃない。それなりの素質がなければ無理だ。その点、お前は俺のお眼鏡にかなった。…………いや、違うか」
那由他はよっと体を起こすと、快晴を見据える。確信に満ちた眼差しで。
「風がお前を導いた。よって舞は必ず成功させる。お前も中途半端なためらいは捨てろ。俺は小学生だろうと容赦はしない」
「……」
快晴は黙したまま、那由他の前に不本意そうに座った。
「では唄の練習を始める。耳の穴かっぽじってよく聴けよ」