九話
ティナが原因不明の発熱で倒れたのは、叔父からありえない入れ知恵をされて程なくの頃であった。
当初は、根を詰めすぎたせいだろう、と、屋敷のもの皆たかをくくっていた。子供は熱をだすものだと執事夫婦に諭され、柄にもないほどうろたえたマグヴァルンは説得される。ティナ本人もよくあることだと口にし、寝台の上でおとなしくしていた。仕事が忙しいにもかかわらず、あれやこれやと差し入れを持ち込むマグヴァルンに困った笑顔さえ向けていた。だが、きちんとした病人をしているにもかかわらず、熱は一向に下がってはくれない。さらには、それに比例するように小さな体は衰弱していった。
繰り返し様々な医者が呼ばれるものの、依然として原因は不明なままだ。次々と呼ばれる医者、さらには常ならば絶対に信用しない祈祷師なる立場のものまでニラノ家に出入りし、日ごろひっそりとした屋敷が俄かに騒然とし始めた。
「まだわからないのか」
額に血管を浮かせ、鬼人が腕組みをして立っている姿は非常に恐ろしい。
荒事をしそうな人間とは縁遠い訪問者は、その姿だけで恐れ、遠くから彼へとか細い声を振り絞る。
「もうしわけ、ございません。私の力では」
おびえながらも、職務を全うする覚悟だけはある医者はマグヴァルンに伝える。
幾度も聞いた文言に、彼の顔はさらに恐ろしいものへと変化していく。
本人はただあせっているだけなのだが、その表情だけで己が非難されているかのように医者はただ固唾を呑む。
だが、どれだけ畏怖を覚えようが職責を忘れない勇敢な医者は、それでも口を開く。
「私は専門ではないので断定はしかねるのですが」
今までとは異なる見解を述べようとする医者に、マグヴァルンが距離をつめる。
悲鳴をなんとか口の中に押しとどめた医者は、心持ち後ろに下がって彼へと告げる。
「魔術的ななにか、が関与している可能性が・・・・・・」
「魔術?」
医者から零れ落ちた言葉に、マグヴァルンは腕を組む。
プロトアはあまり魔術が盛んな国ではない。
もちろんその技術を要するものが王宮直属に仕えてはいるし、彼も知っている。
だが、マグヴァルン自身は戦において彼らを信用してはいなかったし、現在もしていない。
それは、この土地に戦争に役立つほどの魔力をもつものも、技術をもつものも非常に少なかったからだ。まして、鍛錬されていない脆弱な魔術師など、戦争においてはまったく通用しない。
隣国のローレンシウムや、フェルミであれば、戦果にかかわるほどの能力者がいるが、ここプロトアではお目にかかったことがない。この国では力があるものは、それを利用し魔道具を作る職業についており、そのものたちはどちらかといえば職人に近い。
だから、ここにきて原因不明の発熱を魔術によるものだ、と言い募る医者を胡乱げに見下ろす。
「一度だけ目にしたことがあります」
医者も本心では確定はできてはいない。ただ可能性としてありえそうなことを経験から語ってくれているにすぎない。
だが、こうなってしまえば、この国の既存の医者たちではティナを診ることはできない。
「フェルミに頼めば、このようなものを見立ててくれる医者もおりましょう」
フェルミは三カ国の中で、もっとも魔術に傾倒した国だ。王は代々その能力が高いものが立ち、現在の王も非常に優れた魔術師であると聞いている。もともとの土地柄がそうなのか、それを尊ぶ歴史の長さがそうさせたのか、かの国は優秀な魔術師も多い。また、その副産物なのか、魔力を有する魔石が多く産出されることでも有名である。
「わからぬのか」
「私どもではもはや」
「手紙を書く」
震えながらそう述べる医者を一瞥し、彼は執事へと向き直る。
「叔父どのの伝を頼るしかない」
騎士しかしていなかった彼と違って、政務に携わる義理の叔父は、様々な外交筋をもっている。今、彼がすがるのはそのわずかな可能性だけだ。
フェルミとプロトアは戦争が終結したとはいえ、その関係は芳しくはない。
魔術を道具とみなす国と、どこか神聖視している国では、根本的な何かがあわないせいなのかもしれない。王族同士のわずかなやりとりと、魔石を主にした商業的流通が行われているのみだ。
これが、もう一つの隣国ローレンシウムであれば、物理的、精神的交流も盛んであった。ただの武官であるマグヴァルンですら、一人二人、かの国の関係者が浮かぶ程に。
早馬に乗せ、マグヴァルンの手紙は叔父へと届けられ、使者が返答を携えて数刻後にはニラノ家へと到着した。
もたらされた情報に安堵はした。
だが、結局のところ現在はティナの容態を見守ることしかできないことには代わりがない。
引き裂かれるような思いで、マグヴァルンは初めて神に祈った。
「魔力の溜まりすぎですね」
「魔力?」
どういう手段を使ったのか、三日後にはニラノ家へやってきたフェルミの民は、あっけなくそう言い放つ。
どちらかというと商人のような格好をしている貧弱そうな男は、自らをフェルミの宮廷魔術師であると名乗った。
そのような大物がどうして隣国の、たかが中級貴族の屋敷へやってきたのかを勘ぐれば疑問には思う。だが、原因がわかりさえすればいい、と、余計なことを詮索せず迎え入れた。その男は、寝台に横たわったままのティナを一瞥し、まったく触りもせず断言する。
「どうしましょう。思ったより魔力が多い」
ぶつぶつと寝台の横を歩き回る魔術師に、執事とマグヴァルンが胡乱な目を向ける。
もともと、プロトアでは魔術師への信頼度が低い。技師としての彼らならば、生活に便利な道具を作り出す有益な人間、という認識をもってはいる。しかし、そうではない魔術師は一般的ではないゆえに、マグヴァルンと執事が取る態度は大抵のプロトアの人間がとる態度と重なるだろう。
そんな空気は全く気にせず、魔術師はなにやら石をとりだしティナの額へそれを触れさせる。
「それは」
「魔力を吸着する石です。これほどとは予想していなかったので、あまり良い石をもってきませんでしたが、とりあえずの対処にはなると思います」
「いや、それに似たものを彼女が持っていたので」
「ああ、やっぱりそうですか。そうでなければ、このお子さんはとっくに死んでいるはずです」
物騒なことを言う魔術師を無意識で睨みつける。
「申し訳ありません、ですが、一般的なことを申しただけです」
丁寧な言葉とを裏腹に、大して気にも留めてない風に、男が語りだす。
「こういう体質のこどもは、フェルミでは良く生まれます。ですが、彼女は特に器が大きいようですね」
「器が大きい?」
「将軍のように、背が高いとか、筋肉が立派であるとか、そういう個体差のように、溜められる魔力の大小も体質によって異なります。彼女ほど魔力が多く溜められる素材というのは、フェルミでもとても珍しい」
徐々にではあるものの、ティナの呼吸が穏やかになり、魔術師がかざした石を、目前へと引き寄せる。
「立派な魔石になりましたねぇ。あ、今回のお代はこれで十分ですので、気になさらないでください」
魔石は高価なものである、という知識はマグヴァルンすら持っている。
だが、その価格は当然魔石の効果や能力によって様々である。
魔術師が手にしている石はずいぶんと小さなものに思える。それが隣国の宮廷魔術師が直接治療した代金と等価となるほどの品質の魔石となった、という事実に素直に驚く。
マグヴァルンはティナと魔術師を交互に見つめる。
「ご説明しましょうか?」
「できれば」
「面倒な仕事を押し付けられたと思いましたが、思った以上に割が良かったですからね。無料でお教えします」
どこまでも丁寧だが軽い印象を与える彼を半眼で見つめながら、マグヴァルンは執事に茶の用意を申し付けた。