7 真逆なアイツ
一部、「髪を切るとき」と登場人物がリンクしています。
離れて暮らす姉から久しぶりに電話がかかってきたのは、美咲と倉持真吾と三人で会う約束をしている日の前日深夜のことだった。
『ハルカぁ、ドレス持ってない?』
という突然の一言に面食らう。
「ええと……友達の結婚式に着たやつが一着あるけど。なんで?」
『ふぅむ、色は?』
「ターコイズブルー」
『デザインは?』
「ベアトップのシンプルなやつだよ。裾がちょっとピラッとしてるくらいかな。ラインストーンとかはついてない。ええと、光沢のある生地で……なんて言ったかな、シャンタン?」
サーモンピンクよりましか、と電話の向こうでブツクサ言う声が聞こえ、もしかして私のドレスを借りようと思っているんじゃなかろうな、と焦った。
「言っとくけど、久美姉には着れないと思うよ」
『え、何で? そんなに若々しいデザインなの?』
八歳年上の姉、久美子は今年三十三になる。
「そうじゃなくて、サイズ。私と久美姉じゃ違い過ぎるよ。麻姉のなら着れるだろうけど、私のはいくらなんでも無理だと思う」
くはーっと電話の向こうでため息とも何ともつかない変な声が聞こえた。平均より少し低めの私と違い、私の二人の姉はどちらもすらりと身長が高かった。うっかり貸したらとんでもないことになりそうだ。姉は細いので破かれる、という心配はあまりないものの、膝小僧丸出しのミニドレス姿で歩いている姉を想像したくはない。
「久美姉は仕事柄よそ行きの服たくさん持ってるんじゃないの」
二番目の姉・久美子は高垣コーポレーションという会社で秘書をしている。仕事の一環でたまにパーティーにも出ると言っていたから、ドレスはいくつか持っているはずだ。なぜ身長も歳もかけ離れた妹のドレスを借りようなどと思ったのか、全くもって謎だった。
『それがさぁ、髪をバッサリ切っちゃったせいで、持ってたやつがあんまり似合わなくなっちゃったんだよね』
「へぇ。バッサリって、どれくらい?」
姉はもう長いことずっと、腰のあたりまで伸ばした髪の毛にゆるいパーマをかけていた。「男勝りな性格だから見た目くらいは女性らしくね」とか何とか言って。だからまぁ、肩くらいの長さにしたのだろうかと軽い気持ちで尋ねてみて、返ってきた答えに仰天した。
『ベリーショート』
「え?」
『ベリーショート」
「ほんとに?」
『ほんと。男の人みたいな髪型』
「うそでしょ、何で?」
『煩悩を吹き飛ばしたくて』
能天気で豪快なあの姉に煩悩なんてあるのかと、髪の毛の長さ云々よりもそちらに驚いてしまった。
しかし続いて聞こえた小さなため息に、その煩悩の内容が分かったような気がした。
「……眞子さん絡み?」
『うん』
眞子さん。姉の大学時代からの友人で、私が第三の姉と慕う人。優しくて穏やかで、面倒見がいい。小学生の頃から随分と可愛がってもらい、私は彼女のことが大好きだった。
そして彼女こそが、私が御曹司を毛嫌いする理由なのだ。
眞子さんの彼氏(過去形)は姉が働く高垣コーポレーションの専務で、姉はその人の秘書をしている。姉と眞子さんの大学時代の同級生でもあるその男は、高垣家のボンボン。つまり、高垣コーポレーションの跡取りだ。
ボンボンは眞子さんと大学時代からずっと付き合ってきたにも関わらず、親の反対で結婚できず、去年ついに別れてしまった。
だから、「眞子さんの彼氏カッコ過去形」。
相手の男性に直接会ったことはないけど、姉や眞子さんの話を聞く限り、何でもそつなくこなす感じの人だ。それなのに親の説得ひとつまともにできないなんて。情けなくて鼻水が出る。涙じゃないのは、そんな人のために泣くのがもったいないからだ。
「眞子さんの彼氏カッコ過去形が何かまたやらかしたの?」
『あいつがっていうより、眞子がね。まぁ、いいのいいの。とりあえず、ドレスあるかなって思っただけだから』
「ふうん」
姉は、話したがらないときは何をどう尋ねても答えない。死んだ貝みたいになるのだ。これは聞いても何も教えてもらえないなと悟った私は、早々に諦めた。
「眞子さんによろしくね。また、お買い物一緒に行こうって言っといて」
『はいはい。じゃあね』
「あ、久美姉」
ふと思いついて声を掛けた。
『何?』
「倉持真吾って知ってる? 倉持グループの跡取りだと思うんだけど」
『最近常務に就任なさった方ね。知ってるけど』
姉はめんどくさそうに言った。
「どんな人?」
『イケメン・長身・物腰やわらか・やり手の4コンボでモッテモテのプレイボーイ。お世辞がうまくてチャラチャラしてて胡散臭い。以上』
姉のあまりに辛辣な物言いに思わず笑い出してしまった。思っていたとおりのチャラ男だったか。期待を裏切らない。
『で、何でそんなこと聞くの?』
「最近偶然お知り合いになったの」
『そう。毒牙にかからないようにね。あんたあの手の顔好きそうだから』
バレバレだ。顔は大好きだ。でも、顔だけだ。毒牙にはかかる気はない。向こうだって私を毒牙にかけようなんて気は全くないだろうし。
「あ、倉持貴俊って人は? 知ってる? 倉持真吾のイトコなんだけど」
『もちろん顔は知ってるし何度か会って話したこともあるけど、最近見かけてないよ。その人一年前に結婚式で花嫁に逃げられたらしくて、以来公の場には出てこなくなったんだよね、気の毒に。悪いのは逃げた方とはいえ、やっぱりね……」
言葉を失った。
まさか姉がそんなことを知っているとは。
倉持真吾の言ったことが嘘ではないという、思わぬところからの裏付け情報に黙りこくってしまった。
『どうしたの? それも最近知り合ったの?』
「うん。まぁね」
『なんなの、御曹司との合コンでもやってるわけ』
うぐぅ、わが姉、なかなか鋭い。
「……そっちはどんな人?」
『そんなに長い時間話したことないから何ともだけど、真面目な感じの人だったと思うよ。初対面で話が弾むタイプじゃない。まぁ、付き合うなら倉持真吾よりはなんぼかマシだろうけど』
「付き合いません。ああいう系は眞子さんの彼氏でお腹いっぱいだから」
『元、彼氏ね。まぁ、そりゃそうだ。私も御曹司はちょっとごカンベンって感じ』
そう言って姉は高らかに笑う。
「久美姉、彼氏できた?」
『まさか。それどころじゃない。まぁ、また今度ゆっくり話そ。ちょっと今から行くとこあるから。じゃあね』
「あーい。ばいばい」
姉と電話を切った後、ふうとため息をつく。
姉も知っているということは、貴俊さんの一年前の話はたぶんその界隈では有名な話なんだろう。
貴俊さんとはあの酔っ払った姿以降直接話したことはなく、美咲を通じて話を聞く程度だったから私はよく知らないけど……そんな辛いことを抱えてたなんて思いもしなかった。
――やっと引っ越したんだ。ちゃんと前に進む決意をして。なのに……
倉持真吾の言葉がよみがえった。
知らなかったとはいえ、前に進もうとしているその人の足元をスコップで掘り返してハチャメチャにしたのは私だ。
盛大なため息がこぼれる。
こんなにとんでもないことをしでかしたのは、初めてだ……たぶん。
ブーッブーッ
姉との通話を切った後右手に掴んだままだった携帯が小さく震えたのは、ベッドの上でがっくりとうなだれたときだった。
液晶には「倉持真吾」の文字。
私はあわてて通話ボタンを押した。
「もしもし」
『あ、ハルカちゃん? メールさんきゅ。日程の調整とか、助かった。明日はよろしく』
「いいえ、こちらこそ。お忙しいのに時間を割いていただいて……どうもありがとう」
仕事がものすごく忙しいのだということは、倉持真吾からのメール返信の時刻でなんとなく察していた。〈遅くなってごめん〉なんていうメールが平気で午前二時三時という時刻に送られてくるのだ。それでも朝の六時くらいにはまた次のメールが返ってくるのだから、いつ睡眠をとっているのか不思議でならない。
『いえいえ』
「美咲には、招待状の話とかをちょろっとだけして、詳しい話はしてないから。どう伝えたらいいかわからないし、私も詳しい事情を知らないから真吾さんからお話ししてもらったほうがいいと思って」
『了解』
それで話は終わりだと思ったのに、何か電話の向こうで静かな呼吸が聞こえている。
――なんですかね、この沈黙は。
『……それで、ハルカちゃんは大丈夫?』
「大丈夫って、何が?」
『言っちゃえば、誤解なんて当人同士のコミュニケーション不足だろ。きっかけが何であれ関係ないよ。気にする必要全くナシ』
それは、さっき考えていたことが聞こえていたかのような言葉だった。
「もしかして、それを言うためにわざわざ電話くれたの?」
課長といい、この人といい、私はそんなにわかりやすいのだろうか。
『デキる男だからね。惚れた?』
軽い調子で返ってきた言葉に、急速に心が冷えた。
「案外いい奴じゃない」とか思ってしまった数秒前の私を袋叩きにしたい。
「……ありえないんですけど」
『あれ、俺、ハルカちゃんには結構好かれてると思ってた』
これだからイケメンのチャラ男ってやつは。
女はみんな自分に惚れるとでも思っているに違いない。くわばら、くわばら。
「言っとくけど、真吾さんの家に行ってみたいって言ったのは純粋にDVDを観たかったからで、こまめに連絡をしたのは美咲と貴俊さんのことを知りたかったから。真吾さんに興味があるわけじゃないんで」
『うわっ。ハッキリ言うなぁ』
「真吾さんだって美咲と貴俊さんのことが気になって私と連絡取ってただけでしょう。私に興味なんかないくせに」
『まぁね……でも、ハルカちゃんが俺のことを嫌ってるとは思ってなかったなぁ』
「別に真吾さんが嫌いなわけじゃないけど、ナルシスト系御曹司は私の理想の真逆なの。だから惚れませんのでご心配なく」
『心配じゃなくて期待してたんだけどな。残念。真逆ってことは、なに、ハルカちゃんは卑屈系ビンボーが好みなの』
真逆、と言ってしまうと確かにそうなる。
私は笑いながら「その通り! 見つけたらぜひ紹介してよ」と言ってやった。
ナルシストなんて、嫌いなんだってば。