32 プロポーズ
九月十五日。
美咲と貴俊さんの結婚式の日。
私は眞子さんにまたあの誕生日のドレスを借りて、美咲の横に立っていた。
美咲は花嫁姿のまま緊張でガチガチになっていた。
「貴俊さん……来るかな」
美咲の歯ががちがちと音を立てている。
普通なら、この子が主役で輝いているはずの日なのに。
「絶対に来るよ」
私はその背中を優しくさすった。
真吾が来るって言ったから、絶対に来るのだ。
インカムを入れた耳を押さえてじっと黙っていた真吾がゆっくりと笑った。仮初の花婿を演じる真吾は白いタキシードに身を包んでいる。
「片瀬からのお知らせだ。貴俊が走ってここに向かってるって」
貴俊さんの元・花嫁を連れ去った男、片瀬。
その人も今日は協力者の一人に名を連ねている。
真吾が「片瀬も巻き込む」と言い出した時は「何言ってんだこの男」と思ったけど、その片瀬さんに貴俊さんから連絡が入るくらいだから、きっと巻き込んで正解だったのだろう。
真吾は「そうでもしなきゃ、あの夫婦を許せそうにない」と言っていた。
「罪滅ぼしに働いてもらう」とも。
美咲の震えが少しずつおさまってきたところで、サイレントモードにしていた真吾の携帯が光って着信を知らせた。
「おっビンゴ。貴俊だ。たぶんあいつ、走りながらかけてるな」
「出ないの?」
「出ないよ。あいつはたぶん止めて欲しいんだよ。結婚式に乱入するなんていう暴挙をね。たぶんほかの家族にも必死でかけてるはずだ」
その家族は、今私の目の前にいる。みんな携帯の電源なんて切っている。だって、結婚式の会場だもん。真吾が電源を入れているのは、この馬鹿げた計画のために必須だから。
馬鹿げていて、とんでもなく酔狂で。
でも、そこにはたくさんの人の愛情が詰まっている。
「ホテルのスタッフから。いま全速力でホテルに駆け込んできたって。エレベータに乗ったらしい」
「エレベーターを飛び出したそうだ」
「式場のスタッフから。いま、ちょっと軽く足止めしてくれてる」
矢継ぎ早にもたらされる情報を受け止めながら、私はぐっとおへその下に力を入れた。
「美咲ちゃん、心の準備はいい?」
「はい」美咲が深呼吸をする。
「それじゃあ、そろそろスタンバイですかね。神父さん、すみません」
「イイでーすよ」
真吾は美咲のベールをめくり、その肩にそっと手を置く。それから、神父さんにむかって軽くうなずいた。
「それでは、誓いのキスを――」
神父さんが朗々と述べたその時、チャペルの観音扉がバーンッと音を立てて開いた。
差し込む太陽の光を背に、黒いシルエットがそこに浮かび上がった。
まぶしさに一瞬目がちかちかして、それから細く開いた目がとらえたのは……
よれっよれのスーツをきたよれっよれの貴俊さんだった。
――ああ、なるほど。
ドラマとかで爽やかに連れ去っていくのは、あれは嘘か。
まぁ、必死で走って来たらこんな感じになるわな。
それにしても……ひどい。
貴俊さんは激しく息を切らしたままよろよろと美咲の方にやってくる。足元もおぼつかないし、顔は真っ赤で、髪の毛がびしょ濡れになるほど汗をかいている。美咲の手を取ってヨレヨレと連れ出そうとした貴俊さんの肩を真吾ががっちりと掴む。
「おい、花嫁をどこに連れて行く気だ」
手を振りほどけないと思って観念したのか、貴俊さんが崩れるように床に跪いた。その声が自分の従兄弟のものだってことに気づく余裕もないくらい、必死らしい。
「美咲。勝手なことをしているのはわかってる。
でも、僕の話を聞いてくれないか。
10分でいい。5分でもいい。
この1年、僕は美咲を忘れられなかった。
ずっと君のことばかり考えていた。
もっと早くに言うべきだったのに、こんなにギリギリになってしまった。
だがまだ手遅れじゃないのなら、どうか話を聞いてくれないか。
僕の話を聞いてから、結婚するかどうかを決めてくれないか。
僕は君が好きだ。
こんなことをしたのは初めてだ。
だけど、君のためなら何度だってできる。
君のためなら、何だってしよう。
必ず幸せにする。
だから……この手を取って、ついて来てくれないか。
美咲……あひひへふ」
最後の言葉はよくわかんなかったけど、たぶん「愛してる」って言ったんだろう。その言葉に美咲がほっとしたように息を吐き出した。
いい笑顔だった。
「はい」
ほとんど泣きそうな美咲がそう言って、計画は大成功。
そのあとすぐに執り行われた貴俊さんと美咲の結婚式は完璧だった。
貴俊さんからはモワーンと汗と熱気が漂っていたけど、それを差し引いても、やっぱり素敵な結婚式だった。
新郎と新婦が幸せそうに見つめ合う姿って、いいなぁ。
「それで? 初めての白いタキシードの着心地はどうだった?」
式から披露宴までの間に、真吾は白いタキシードを脱ぎ捨ててスーツに着替える。私はそれをそばで見守りながら問いかけた。
「最高」
「そうでしょうね。本当によかったね。美咲が幸せそうで、私もほっとした」
「おう」
次の瞬間、突然真吾が床にふっと跪いたので、私はよろけて倒れたのかと思って思わず手を差し出してしまった。
「大丈夫?」
真吾は首を軽く横に振る。
そしてその姿勢のまま私を見上げ、深呼吸をした。
「次にあれを着るときは隣にいてくれないか」
あれ、つまり、白いタキシード。
あまりにも唐突なその言葉は意外にも、驚きではなく安堵をもたらした。
不思議だけど、心にすとんって落ちる感じ。
だから私は笑って答える。
「幸せにしてよね?」
感動して泣くとか、そういう可愛い反応ができたらいいんだけど。私の心は本当に静かに静かに、ただその幸せを受け止めていて。湧き上がる喜びは涙ではなくて笑顔になった。
「まかせろ」
そうニヤリと笑ってから、真吾は額にこぶしを当てて少し考え込むようなしぐさをした。どこかで見たことのある彫刻のようなその姿に、私は思わず笑ってしまう。
「『考える人』だ」
彫刻だけに。
私がつぶやくと、真吾は「こんなに真面目な話をしてるときによくそんなことが言えるな」とあきれ返った表情で言ってから、急に瞳に真剣な光を宿した。
口元がきゅっと小さくなり、いつものひねた笑みが鳴りを潜める。
真吾は一度、深く息を吸った。
「これを誰かに言うのは初めてだ」
えっ? と聞き返そうとした私の耳に、次の一言が注ぎ込まれた。
「愛してる」
初めて?
いや、まさかまさか。
こんな男が、そんなの一言や二言くらい。
言ったことあるでしょうに。
なんたって稀代のモテ男で、愛情表現はラテンとまではいかないまでもわりかし濃厚な方だし、何だったらちょっと濃厚すぎてついていけないときもあるくらいで、特にスイッチが入ったときのねちっこさときたらほんと――
妙な照れくささからか、私の頭は必死に現実逃避の方向へと走り始めていた。そんな私に気づいたらしく、真吾が少し不機嫌な顔をして私の手を取った。
「考え事か? 余裕だな」
そして掬い上げた私の手の甲にそっと、口づけを――
「うをぉああああああああああっっ!」
「一世一代の告白に風呂場覗きと同じリアクションを返してくれて、マジ感無量だわ」
真吾は呆れた表情でそう言いながらゆっくりと立ち上がり、その蠱惑的な美貌にとろけるような笑みを付け加えた。
し、ししし心臓が、
もちません。




