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accelerando  作者: 奏多悠香


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21 久美姉

 家に帰ると、慌てて脱ぎ散らかした部屋着がそのままの形で転がって冷たくなっていた。

 あの瞬間に自分を突き動かした衝動がそこに見て取れて、何だか笑ってしまった。可笑しさと、ほんの少しの切なさと。中途半端な笑顔を浮かべ、倉持真吾のジャケットをハンガーにかけて窓際につるした。

 自分のより二回りほど大きくて見慣れないサイズのジャケットは微かに奴の香りを纏っていて、非常に心臓に悪いアイテムだった。


『また風邪ひくよ。それ羽織って帰れ』


「んダぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 あの男の言葉を思いだし、一人で大声を上げながらベッドの上をゴロゴロと転った。

 あれは反則だ。あんな手練手管を見せつけられたら、バカな女はすぐに引っかかってしまう。

 そしてここに、バカが一人。


「……とりあえず寝よう。とにかく寝て、起きて、それからいろんなことを考えよう」


 そう自分に言い聞かせて心臓をなだめすかして、何とか眠りについたのは、もう日付もとっくに変わった頃だった。


 翌朝は、東向の窓から差し込む日の光がまぶしくて目が覚めた。

 寝そべったままんーっと思い切り伸びをすると、体がミシっと軋む。

 まだ幼かった頃、朝起きぬけに伸びをすると背が高くなると言われて毎朝毎朝伸びをしていたことを思い出した。だけど投げ出された四肢は相も変わらず短いまま。背が伸びるのが嫌だと言って慎重に体を縮めて生活していた姉は、ぐんぐんと縦に伸びていったというのに。

 やれやれと自分の手足を見てから、昨夜はワンピースのまま眠ってしまったのだと気づいた。皺がひどいし、眠っている間に裾が腹までずり上がってあられもない姿になっている。

 何だかなぁ、とため息が出る。

 あられもない姿だけど、それはただひたすらにだらしなくてみっともないだけで、色気というものをまるで感じさせない。

 二十六歳って女盛りじゃないのか。それなのに色気はなし、か。

 芍薬とは大違いだ。

 そう思ってから、いやいや比べる対象がおかしいんだと自分に言い聞かせた。芍薬は綺麗すぎる。野草(のぐさ)の中だったら、私もそこそこは戦えるはず。そこそこは。

 脳裏にすぐに彼女のことが出てきてしまう理由はもうわかっていて、ただそれが悔しくて切ないので誤魔化そうと躍起になった。

 こういうときは下らないことを考えるのがいい。ああ、そういえば「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」って眠ってる姿が入ってないな。人が最も無防備になる瞬間だから、結構大事なポイントなはずだ。いくら歩く姿が百合の花でも、眠る姿がハエトリソウだったら残念だ。うむうむ。まぁ、伊織さんはきっと寝てても美しいんだろうけど。


 ――あぁ! また! もう!


 すぐに芍薬が思考に侵食してくる。


「やめ、やめぃ!」


 一人でそう叫ぶと、もう一回思いっきり伸びをした。

 ジメジメとかイジイジとかは性に合わない。おセンチな気持ちになったところで現状が変わるわけじゃなし、それなら明るく過ごすが勝ちだ。

 気合いを入れ直そうとしていると、携帯が震えた。


「もしもし」


 出る前から電話の主がわかっているから、思わず探るような声になってしまう。


『あ、もしもし、ハルカちゃん?』


 男はすっかり元通りのようだった。


『あのさ、もしかして昨日――』


 昨日!

 私は思わず電話をぶっち切った。

 わかっている、わかっているのだ。

 あのひねた意地悪な笑いは、私をからかうのを楽しんでいる顔だった。

 からかわれただけだとわかっているのだ。

 でも、それを突きつけられるのは辛いものがある。

「昨日のあれ……本気にしたりしてないよね?」とでも問われようものなら、脆い乙女心は粉々に砕け散ってしまう。

 逃げ惑ったところで問題を先送りすることにしかならないとわかってはいても、心の準備ってものが必要なのだ。

 呼吸を整えているとまた携帯が震えたのでびっくりして放り投げそうになったが、発信元を見て安堵した。

 久美姉だ。


「はーい」

『あ、もしもし? あんた今どこ?』

「家」

『今日実家帰るけど、あんたも行かない? 正月も帰れてないんでしょ? 電車で行くの面倒だし、レンタカー借りて帰ろうかなと思って。一緒に行くなら拾って行くけど』


 実家は東京近県の田舎にあり、ここからなら車で一時間と少し。気軽に帰れる距離だが電車は乗継も多く、いざ行くとなるとよいしょが要る。だから姉のこの申し出はとてもありがたかった。


「行く行く!」

『じゃあ30分くらいで行けると思うから、準備しといて。着いたら電話するから』


 あーい、と返事をして電話を切ると、私はすぐに起き上がって準備を始めた。久々の実家。何をするわけでもなく、大好きな家族の顔を見て、のんびりと過ごそう。

 シャワーを浴びて着替え、軽く化粧をする。そういえば昨日はすっぴんで飛び出したんだったな。あの男が酔っ払っていて視界がぼんやりしていたことを祈ろう。

 そしてコートを羽織って姉からの連絡を待っていると、すぐに電話がかかってきた。


『マンションの下についたよ』

「あ、はい。今行くね」


 携帯をぽいとベッドに放りだし、ブーツに足を押し込んで家を出た。


「久美姉久しぶ……うわっ」


 姉が髪を切ったことは聞いていたが、それにしても短い。


「へへっびっくりした? 男の人みたいでしょ」

「それ横、刈り上げたの?」


 男の人みたいっていうか、ウニみたいだ。

 こわい姉相手にそんなことを言う勇気はないけども。


「うん。そうだよ。これでも結構伸びてきたんだけどね。切ったばかりの時はもっと短かったんだ」


 ちょっと得意げに言う姉の神経がまったくわからなかった。

 だけどたしかに、これだけ切れば煩悩の一つや二つ、吹き飛んでいきそうではある。


「眞子さんは、どう?」


 姉の煩悩の原因ともなった人物のことを尋ねると、姉はにやりと笑った。


「今最高に楽しい計画を立ててるとこ。エロエロタヌキおやじを成敗してやろうと思って」


 エロエロタヌキおやじが誰だかわからないが、楽しそうで何よりだ。


「ハルカは? 昨日パーティーの会場を聞いてきたあたり、倉持と何かあったの?」


 姉はさりげなく探りを入れたつもりだろうが、全然さりげなくなかった。

 そして彼をいきなり呼び捨てにしてしまう、この潔さが大好きだ。


「まぁね」


 この姉に隠し事をしても絶対にばれるので、あっさりと認めておくことにした。


「毒牙にかかったか。愚か者め」


 姉は軽く言う。

 その軽さに、なんだか自分が一生懸命打ち消そうとしていることが馬鹿馬鹿しく思えた。打ち消したって無駄なんだから、認めちゃえばいい。

 そう思ったら不思議と気が楽になって、私はあっけらかんとうなずいた。


「うん。まぁ」

「えっ嘘でしょっ」


 姉の声が跳ねあがり、厳しい視線が突き刺さる。それと同時に車が大きく蛇行した。


「真吾の方っ? あいつはやめといたほうがいいって言ったのにっ!」


 ただでさえ高速に乗ると制限速度を無視して突っ走る姉が車を蛇行させるなんて恐ろしすぎる。姉の車の最高速度はプロ野球の一流投手のストレートより速いのだ。一度ランディ・ジョンソンを超えたときは死を覚悟した。


「久美姉、前見て、前。こわいから。毒牙にかかったって言っても何もないよ。向こうは私に噛みつこうなんて思ってないんだろうけど、私が勝手に向こうの牙にぶら下がってるの」

「頭痛くなってきた」


 フロントガラスを睨みながら姉が言う。


「あんた、もっとましな相手いないの」

「ああ、課長から告られたよ」


 ましな相手、というより課長はたぶんかなりの優良物件だ。


「課長って?」

「入社以来ずーっとお世話になってる人。うちの課の課長だよ。前に忘年会の写真見せたことあったでしょ。あの時に麻姉とお母さんがイケメンだって騒いでた」

「あんまり顔覚えてないけど、結構年上じゃなかった? 私より上でしょ」


 一番上の姉と母はイケメンに目がないが、二番目のこの姉は全く興味を示さなかった。「顔でご飯は食べていけない」というのがその理由らしい。


「課長は三十七歳だよ」

「げっあんたの一回りも上じゃない」

「そうだよ。でもいい人なんだ。だから私、久美姉と課長が結婚したらいいのにって思ってたんだけど」

「自分が告られちゃったと」


 それにしても激しく余計なお世話なこと考えてんのね、あんた、と付け足してから、姉は言った。


「で、どうすんの?」

「ほかの人の牙にぶら下がってるのに課長と付き合うわけにはいかないでしょう」

「牙にぶら下がってるっていう表現をやめなさいよ。要は片想いってことでしょ」

「その通り。それも、絶対にかなわないやつ」

「チャラい感じだし、付き合ってはくれそうじゃない? まぁ姉として、付き合うのをオススメはしないけど」


 姉のあの人に対する評価は手厳しい。


「いや、あの人本命がいるの。で、そっちが叶わないからチャラついてるんじゃないかな」

「より最低だわ」


 姉は吐き捨てるように言う。


「やっぱりあれだよ、お坊っちゃんだからね」

「言っとくけど、タカはそこまでひどくないよ。眞子のことに関しては情けなくて吐きそうだけど、あいつはチャラついてはいない。倉持真吾よりよっぽどまし。あんたがその手の人種を嫌う最大の理由はタカ眞子のことでしょ。なのに、そのタカよりひどい男の牙にぶら下がってるなんて本当、開いた口がふさがらないわ」

「久美姉の口が閉じてることなんてほとんどないじゃん」

「うるさい」

「でもねぇ、ドキドキするんだよ。本当に。こんなにドキドキするの、中学生以来だよ。久美姉、今ある? 心臓がひっくり返りそうになったり、鼓動が耳の奥で聞こえそうになるくらいドキドキすること」


 そう言いながら少し記憶をさかのぼるだけで、自分の鼓動が痛いほど速くなるのがわかる。昨日の真吾が本気じゃないとわかってはいても、心音は勝手に盛り上がるんだから仕方ない。


「ドキドキなんてないねぇ」

「でしょう? それをね、倉持真吾といると感じられるの」


 姉はすーっと息を吸うと、極大のため息を一つ吐いた。


「いいこと教えてあげる。何かの本で読んだんだけど、一生の鼓動の回数って大体どの動物も同じで、決まってるんだってさ。だから、早く心臓を動かせば動かすほど死に近づくの。びっくりしたときに『ああ、寿命が縮まった』っていうのもあながちウソじゃないんだって。だからあんた、そんな奴と一緒にいたら早死にするよ」

「うそっっっ」


 早死に。恋にはそんなリスクがあったのか。


「だからやめときなって。死にたくないでしょ?」


 よくもまぁ、恋の話から生きるか死ぬかの話にさっさとシフトチェンジできるもんだ。Dead or Aliveて。ドキドキ感が台無しだ。


「その課長とやらにしときなよ。心臓の平穏と長寿のために。私あんたには老後の面倒見てもらおうと思ってるから、長生きしてもらわないと困るんだ」


 何て自分勝手な理由なんだ。


「老後の面倒なんて子供に見てもらってよ」

「いないもん」

「それは知ってるけど。あ、課長と結婚する? オススメだよ。優しいし面白いし、おいしいお店いっぱい知ってる」

「あんたそれ、その課長とやらに言っちゃだめだよ。残酷にもほどがあるから」


 姉は痛ましそうに顔をゆがめる。


「そう? 本心なんだけどなぁ」


 あと、前にちょっとそれっぽいことを言ってしまっている。

 残酷だったか、ごめんなさい課長。


「私だって、妹のこと好きだった男と結婚なんて嫌だよ」

「そっか。ああ、そういえば小さい子が好きだって言ってたかも」

「それじゃあ私はアウトじゃん。どう見たってデカいでしょ」

「私はうらやましいけどなぁ、久美姉のその背。顔の大きさは私と同じか小さいくらいじゃない。だから体とのバランスは絶対久美姉の方がいいんだよ」

「あんた、この肩幅いる? あげるよ、いつでも」


 姉が肩をぐるりと回した。ハンドルを握ったままそんなことをするのは本気でやめて欲しい。


「ほしいけど、もらえないからね。このなで肩で似合わないTシャツを着てますよ」

「あんた、どうしたの」

「何が」

「すごい卑屈になってない? 私と比べるなんて」


 姉妹で能力や容姿を比較するのはたぶん珍しいことではないのだろうが、年が離れていることや「もらわれっ子か」と疑うほど似ていない姉妹だったこともあって、自分と姉を比べたことなんて一度もなかった。成績がずば抜けて優秀だった姉と比べられるのが嫌でピアノに逃げていたという面も無きにしもあらずではあるけど。


「卑屈……たしかに、そうかも」

「どうしたの」

「倉持真吾が好きな相手、すごく素敵なんだもん」

「へぇ」

「久美姉みたいに背高くて、スタイルよくて、ものすごい美人なの」

「『久美姉みたいに』っていうのはどこまでかかってるの、それ」

「『背高くて』、までかな」

「……せめて『スタイルよくて』までって言っときなさいよ」

「嘘はよくないって久美姉が小さい時から言ってたから……」


 姉は背が高くて細身なのでスラリとしているが、決して足は長くない。尻の位置が低い。膝の位置も。そのあたりに共通する遺伝子の存在を感じて多少安心するくらいだ。


「……」


 沈黙は結構こわかった。だからちょっと焦って言った。


「あ、その相手って篁伊織さんて言うんだけど。知ってる? もしかして」

「篁伊織さん? あぁ、あの別嬪さんのドレスのデザイナーでしょ。グランドホテル・タカムラの社長の奥さん」

「よく知ってるね」

「パーティーで顔合わせたことのある人の名前とバックグラウンドは覚えとかないといけないの、一応仕事ですから。で、人妻なわけだ。敵は」


 敵、と言うべきなのだろうか。


「伊織さんは全然相手にしてないの。だから、倉持真吾の片想い。そんな真吾さんに片想いする私。そしてその私に片想いする課長。課長に片想いするお局から新人までのその他大勢。もう、人生ってうまくいかなすぎて泣ける」


 姉は少しの間押し黙ってから、すらすらと話し出した。


「グランドホテルの篁社長は大学卒業後実家のホテルに入社した後、身分を隠して一社員として修行してたの。数年間浮いた噂ひとつなく、その後当時ウエディング部門で働いていた女性と運命的な恋に落ちて交際、婚約」

「え?」

「奥さんの伊織もいいところの御嬢さんだけど、篁社長は何も知らなかったの。そして奥さんの方も、相手が跡継ぎだなんて知らなかった。開けてびっくり玉手箱。政略結婚でもなんでもなく、完璧な恋愛結婚。最高にロマンチックな話でしょ?」

「そりゃ、入る隙なんてどこにもないね」


 それでも、その相手の男の所へ行って伊織さんをくれって言うほど、真吾は伊織さんのことが好きだったのだ。伊織さんと旦那さんの間にも隙はないし、倉持真吾の伊織さんへの気持ちにも隙はない。


「だから、やめときなって」


 姉の呟きはさりげなかったけどその奥に私を心配する気持ちが詰まっているのを感じて、返事をすることができなかった。

 どうするのがいいかなんて、言われなくたってわかってるのだ。




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