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accelerando  作者: 奏多悠香
19/39

19 ドレスと伊織と真吾と私

 翌々日、日曜日。

 真吾に連れられて美咲と共にドレスショップを訪れていた。

 課長とのほにゃららを自分の中で消化しきれずに呆然としたまま土曜日を過ごしたらしく、気付いたら日曜の朝になっていた。たしかに二十六にもなってこれは、相当やばいのかもしれない。

 やって来たのは式を挙げるホテルと提携しているドレスショップで、ここのドレスなら持ち込み料がかからない仕組みになっている。そして、真吾と貴俊さんの幼馴染、伊織さんが立ち上げたドレスブランドのショップでもある。


「あなたが美咲さん? 初めまして、(たかむら)伊織です。貴俊と真吾の幼馴染なの。真吾から伺いました。あのパーティーの時に近くにいらっしゃったんですってね。ごめんなさいね、あの時に私がちゃんと気づいていたら、もっと早くにお知り合いになれたのに」


 優雅に微笑む大人の女性を見ながら、白鳥みたいな人だなぁとぼんやりと思った。年齢は久美姉と同じくらいなんだろうけど、真っ白で地模様のあるシンプルなスーツがよく似合っていた。「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」だったか。ちょうどあんな感じの。


「貴俊ね、あのパーティーのとき、あなたの話を少しだけ教えてくれたの。すごく幸せそうないい顔をしていたわよ。あなたのこと、本当に大切なんだと思うわ」


 伊織さんの言葉に、美咲が嬉しそうにはにかんだ。


「最高の結婚式にしましょうね。そのために最高のドレスを選びましょう」


 ドレスのことはまだ何も決まっていなくて、伊織さんのデザインした中に気に入ったものがあればそれにするし、なければフルオーダーにすることも考えているらしい。フルオーダーの場合にも、デザインを練り上げてくれるのは伊織さんだ。


「まだ時間はたっぷりありますから、選択肢もそれだけ広がります。細かいことでもよいですから、気になったことは何でもお伝えくださいね」


 伊織さんは奥からきたアシスタントを美咲に紹介し、諸々の説明をするからとカウンターの前の椅子を美咲にすすめ、自分も優雅に腰かけた。

 うわぁ、座るっていう動作って、あんなに綺麗にできるものなんだなぁ。

 ただ椅子を引いて膝を曲げて尻を椅子に乗せるだけなのに、どこをどうやったらあんなに雰囲気を醸し出せるのか。異次元の美しさに、見とれるしかなかった。


「真吾たちも一緒に聞く?」


 机の向こう側に座る伊織さんに問いかけられた真吾は、無言でゆったりと首を振った。否定の意思はそれで十分に伝わったはずだけど、伊織さんはそんな真吾をじっと見つめている。何か真吾の言葉を待っているような。


「いやいや、新郎じゃねぇんだから。俺は美咲ちゃんのドレス姿を堪能しに来ただけだから説明はいいって」


 伊織さんは目でうなずいた。透き通るような茶色。色素が薄いのだろうか。

 真吾も少し薄めで、なんかおそろいみたいだなぁとぼんやりと思った。私の黒目はまさに真っ黒だから、ちょっとうらやましい。


「そう。少し時間が掛かるから、後ろのベンチにでも座っていてね。ハルカさんもどうぞ座っていらして」


 なんてきれいな日本語を使う女性ひとなんだろう。

 伊織さんはすぐに美咲に視線を戻し、リーフレットを指しながらあれこれと説明を始めた。さらさらと耳に優しい声が美しい言葉を紡いでいく。

 その美しい言葉に耳をくすぐられながら、私は白い大きな柱の周りをぐるりと囲むように丸く設けられたソファに真吾と並んで腰掛け、美咲の後姿を見つめていた。その背中は少し緊張しているけど、わくわく感が伝わってくる。


 ――ドレス選びって一生に一度だもんね。


 そう言おうと思って自分の左に座る男の顔を見上げたとき、私はそこに静かな想いを読み取った。

 視線の先には牡丹の花。座っていてもなお美しい姿勢で、ほんの少し傾げられた首は細くてすんなりと長く、雪のように白かった。

 倉持真吾の「俺」は、私にはいつも「オレ様」と聞こえていた。いつだって自信満々で、輝いて見えた。でも今私の目に映るその人は、小さな少年のようだ。叶わない恋に胸を焦がす、少年。


「あなた、彼女を大事にしないんじゃなくて……」

「何?」

「ううん。なんでもない」


 ――大事な人を、彼女にできなかったんだね。


 とは、言えなかった。

 ふいに、さっき真吾が伊織さんと話しているとき、その言葉づかいがいつもより乱暴だったことを思い出す。いかにもチャラチャラって感じのゆるい口調がデフォルトなのに。その仮面をあっさりと引きはがしてただの少年にしてしまうのが、あの牡丹の花、伊織さんなのだろう。

 真吾は視線を伊織さんから引きはがすように床に落とした。座ったまま膝に手を置いて頭を落としたその姿勢では、表情をうかがい知ることはできない。

 真吾がぽつりと言葉をこぼす。

 本当に、ぽつりと。


「……言ったろ? 貴俊には恩があるって。」

「うん?」


 ああ、あの、土下座の時の。


「……あいつだけはずっと前から気づいて、俺が辛いときにいつも何も言わずに連れ出してくれるんだ。そんでずっと、俺の味方でいてくれた」


 だから美咲の誤解を解いたあの時、真吾は『貴俊が伊織のことを好きっていうのだけは、絶対にないから』と強く言い切ったんだ。

 真吾さんの想い人を貴俊さんが好きなることはあり得ないから。

 なぜだか鼻の奥がつんとした。それをごまかすように、私はからかうような口調で言う。


「貴俊さんが物分かりよすぎるって言っといて、自分だって物分りいいじゃない」


 鼻に突っかかったような声がでた。


「俺と貴俊は違う」


 掠れた声が弱々しく言った。


「同じじゃん。好きな人を見送って」


 真吾が一度顔を上げて牡丹の花を見た。そしてまた、床を見つめる。私に語りかけていながら、本当は言葉を届けたい相手が他にいるかのように。


「俺が指をくわえて見てたと思う? 伊織のご両親に頭を下げて娘さんをくださいって言ったし、自分の親にも、じいさんばあさんにも頭下げて伊織と結婚させてくれって頼んで、相手の男……今の伊織の旦那のところにも行ってどうか伊織を渡してくれって言ったよ」


 そこで真吾はいったん言葉を切った。

 ダメだ、と言われたということだろうか。


「答えはみんな同じだった」


 ――伊織がそれを、望むなら


 声が掠れて、音にならない。


「俺と貴俊は違う。美咲ちゃんと貴俊は互いに結婚を望んでるから。俺のは一方通行だった。赤ん坊のときから一緒にいるんだ、それくらいずっと知ってたよ。伊織が俺のことをそういう対象として見たことはない。今だって、伊織はあいつの旦那に本気で惚れてる」


 低い声は湖みたいだった。どこまでも深くて、どこまでも静かで、悲しい碧。


「あいつが……俺よりずっと恵まれてるはずの貴俊がモタモタいじいじしてるのがムカつくんだよ、つまるところ」


 強い口調で言おうとしたのだろうけど、その声はやっぱり碧くて、言葉とは裏腹の穏やかな静けさが広がる。


「そう」


 私には他に言葉が見つからなかった。


 ――伊織がそれを、望むなら


 当然のこと。

 でも残酷なこと。

 だからこんなに必死なのか。

 貴俊さんがそれを望むから。

 美咲がそれを望むから。

 届かなかった自分の望みも重ねて、この人は貴俊さんの望みを叶えてあげたいんだ。

 美咲もそれを、望んでいるから。

 下を向いた倉持真吾の足元にポトリと落ちた一粒の水滴に、私は気付かないふりをした。

 ひどく胸が痛かった。

 その痛みをごまかすように、私は明るい声を出した。


「あとで抱きしめてあげようかな」

「かっこわりぃなぁ俺。慰められんのか」


 その「俺」には自分を嘲笑うような響きが籠っていて、私は大嫌いだったはずの「オレ様」に戻ってきてほしくなった。


「違う違う。慰めるんじゃないよ。そんなつもりで言ったんじゃない」


 ただ、叶わない想いに身を焦がす小さな少年が無性に愛しかったのだ。


「家族以外で気づいたのはハルカちゃんだけだよ」

「そっか。わたし鋭いからね」


 無駄に、ね。

 気づきたくもない真吾の気持ちには気づいて、

 気づかなきゃいけない課長の気持ちには気づかない。

 どうしてこんなにうまくいかないんだろう。


 美咲が試着したドレスはどれもとてもきれいだった。

 シンプルで、それでいて華やかで。

 伊織さんの作るドレスはまるで伊織さんみたいだ。

 飾らない。

 でも美しい。

 そして見る者を魅了する。


「これがすごく気に入ったから、これに決めちゃおうかなぁ」


 背中に小さなくるみボタンがたくさん並ぶシンプルなデザインで、レースやオーガンジーの飾りはほとんどあしらわれていない。でもスカートのドレープは独創的で、たっぷりとした布が美咲を包み込んでいた。


「うん、これだな。決まりっ」


 美咲が鏡の前でくるりと回ってからそう言って嬉しそうに破顔したとき、つられたように笑う倉持真吾が見えた。

 美咲と貴俊さんの結婚式が、どうか最高のものになりますように。

 どうか、真吾のその願いだけは叶いますように。

 それは祈りにも似た感情だったと思う。




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