13 ご挨拶(2)
「え? 覗き?」
真吾の言葉に貴俊さんのお父さんが振り返り、立ち上がっておもむろに窓を開けた。そして、窓の外に声をかける。
「おい、兄さん。お義姉さんも。何してるんだ。あ、父さん母さんまで」
「やっぱりな……」
真吾が隣でつぶやいた。
窓の外でなにやら色々な人の声が飛び交っている。
「今日は来ないって約束だったろ。せっかくの顔合わせなのに。あっちで大人しくしててくれよ」
「あの…どなたですか?」
騒ぎに気付いた美咲が貴俊さんのお母さんに声を掛けた。
「俺の両親とじいさんばあさん」
真吾があきれ返った様子で言った。
「美咲ちゃんが今日来るって聞いて、自分たちも会いたいって大騒ぎだったんだ。でも、家族との顔合わせだから今日は遠慮してくれっていう話になっておとなしくあっちの家にいるはずだったんだけど……気になって覗きに来たみたいだな」
「美咲さん……人が増えても構わない?」
貴俊さんのお母さんがそっとため息をつきながら美咲に問うと、美咲は笑みをこぼしながら「はい」と言った。
それから三十秒後。晴れて入室を許可された四人がどやどやと入ってきた。
「やあやあやあやあ、君が美咲さんか! 真吾の父です。いや、貴俊の伯父の大志です」
「私は伯母の真里子です」
「私は祖父の倉持善次郎です」
「祖母の敏江です」
倉持善次郎って人がたぶん倉持グループの現総帥で、大志って人は次期総帥なんだけど……美咲にデレデレする姿は、ただのおじいさんとおじさんだった。
「困った人たちねぇ。まさか覗きなんて」
「だってあなたたちばっかり会って、ずるいじゃない。私たちだって貴俊のお嫁さんに会いたかったのよ! 貴俊は私の第二の息子なんですからね!」
「あら、それは聞き捨てならないわね!」
「あなたが知らない貴俊を私は知ってるのよ! 4歳児の貴俊を!」
「あー! それを言うのは反則よー!」
再婚してこのお母さんがやって来たのは4歳よりもう少し後だったらしく、それまでは真吾さんのお母さんが貴俊さんのお母さん代わりだったようだ。
貴俊さんのお母さんと真吾さんのお母さんが火花を散らし始め、茜はそれを意に介するそぶりも見せず美咲に話しかけ、二人のおじさまはその美咲をにこにこと眺め、おじい様とおばあ様は結婚式のプランについて熱心に話し合っていた。
「俺はすっかりシカトされてんのな」
真吾が苦笑しながら話しかけてくる。
なんだから私たちだけ異空間にいるみたいだ。
「私も存在を忘れ去られてる自信がある」
でも、ちっとも不愉快じゃない。だって美咲がすごく楽しそうなんだもん。
「まぁ、うちの家族はいつもこんなだから。安心した?」
真吾の問いかけに私は素直にうなずいた。想像していたのと随分違ったけど、きっと美咲を大切にしてくれるだろう。
「素敵なご家族だね」
「うん。ハルカちゃんの想像と全然違ったでしょ?」
真吾の問いかけに私は一瞬固まった。
「なんで……」
「だって、今日明らかに戦闘態勢だったから。戦う気で来たんだろ」
どうしてそれを。
「ヒールもいつもより高いし、服の雰囲気もいつもより固いし、髪型もサムライみたいなひっつめだし? 気合いが全身の毛穴から吹き出してる感じだったから」
私はすっかり恥ずかしくなって俯いた。
この人、本当に嫌い。
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「んで? 今日は何で戦闘モードだったの?」
貴俊さんのお家からの帰り道、美咲を先に家に送り届けた後の車内で真吾に尋ねられた。
「美咲が反対されて嫌な思いをしたら戦おうと思ってたから」
「それこないだも言ってたけど、反対ってなに」
「……だって、お金持ちって往々にしてそういうものでしょ?」
家柄とか学歴とかそういうことに兎角こだわり、それこそが子どもの幸せなのだと信じて疑わない親。そして、何だかんだと言いつつも結局は親の言いなりになる子。その権力を傘に、持たざる者を踏みつけにする人たち。
「車にしろその話にしろ、俺たちを何かとザ・御曹司の枠にはめたがるよね。なんで?」
「だってそういうの、嫌いなんだもん」
「ずいぶん広いくくりで人を捉えるね。俺と貴俊の二人をとってみたってこんなに違うのに。ひとくくりにするなんて無理だろ」
痛いところをつかれて黙り込む。
「誰か特定の人が嫌いで、その人が偶然金持ちの子だったってだけだろ」
うぐぅ。もう、本当に言葉にならない。
「だって、人の気持ちを踏みにじるから」
「踏みにじられたことがあるの?」
「私じゃなくて、大切な人が」
「そう。でもそれ、俺たちじゃないよね?」
「違う。でもたぶん、同じ」
「どういうこと?」
「今まで、他の人ほど努力せずに手に入れたものって、ない?」
真吾は片眉を上げた。
「わたし、音楽大学だったの。ピアノ科」
「そうなんだ」
「わたしの友だちがね、ピアノ科で成績が一番よかった。テクニックも音の綺麗さも群を抜いてた。外部のコンクールでも何度も入賞してたし、ずっと自分で語学の勉強もしてて、留学も決まってた。でも、お家のことで留学できなくなったの。だから卒業後は家でピアノの先生するって。誰もが惜しんでた」
「うん」
「最後の春に卒業生代表の選抜コンサートっていうのがあってね、ピアノ科は当然その子だと誰もが思ってた。ピアニストの夢は叶わないけど、その子にとっては最後の晴れ舞台になるはずだった。なのに、わたしよりも下手な子が代表になったの」
真吾は「あぁ」と言った。
「選抜の理由をみんな『神の見えざる手』って言ってた」
「……金か」
「うん。選ばれた子の実家は有名な資産家だった。莫大な寄付金を積んで、コンサートの椅子を買ったの。大した努力もしてなくて、音大生っていうブランドでバイトばっかりして、理論の授業なんてサボってばっかり。それでも、代表になれるの。その日のためだけに誂えた煌びやかなドレスを着てるあの子を、わたしは今でも許せてない」
「そりゃ俺が同じ立場でも許せないな」
思い出すだけで、あの子の無念を思って涙が出る。鼻声になったのがわかったらしく、ハンカチを差し出された。ブランドもののハンカチからはいい匂い。
「踏みにじられた人は、ほかにもいる」
「まだあるのか」
「真吾さんだって、今は遊んでるけど、時期が来たら親の決めた人と結婚するんじゃないの。政略結婚とかそういうの、今でもあるんでしょう。あなたたちには守らないといけないものがあって、そのために必要なんでしょう?」
私はまくしたてるように言った。眞子さん――姉の親友の、優しい笑顔が浮かんだ。
「私の大好きな人が、家柄を理由に相手のご両親に結婚を反対されてずっと苦しんできたの。十年も。だから嫌いなの。そういう考え方も、そういう世界も」
歳の離れた姉の親友には、私が小学生のころから可愛がってもらった。
その眞子さんが不意に見せる切ない表情が、不思議だった。その理由がわかったのは、ずっとあとのこと。
――眞子さんって、あのずっと付き合ってる人と結婚しないの?
随分前に何気ない気持ちで姉に問うたとき、姉は小さなため息をついた。
――タカのご両親がね。てこでも動かないから。タカにしょっちゅうお見合いの話持ってくるし、タカと眞子を別れさせようと必死なの。
当時の私にはまったく理解ができなかった。
結婚したい人がいるって言ってるのに、別の人とお見合いをさせる親なんて。
だけど大人になるにつれて、結婚というものの重みを感じるにつけ、その気持ちは少しずつ変わっていった。
大切なものを守りたいだけ。家柄とか、格とか、プライドとか、名誉とか、会社とか。それはきっとおかしなことじゃない。
だから。
「その生き方を否定する気はない。守るものがたくさんある人もいるから。ただ、関わりたくない」
真吾は黙って私の言葉を待っている。
「彼の方はいいよ。親の決めた人と結婚しないといけなくても、誰かとは結婚できるんだから。それにお金だってあるんだから。結局は困らないじゃない。でも、女の人は違う。結婚したいと思えるくらい好きな人に出会ったのに、そして相手も自分を好きなのに、自分の家柄が足りないから結婚はできない。叶いもしない恋愛のためにたくさんの時間と心をつぎ込んで、残るのは思い出だけ。親が決めてくれる結婚相手なんていない、ひとりぼっちで耐えなきゃいけないの。どっちの方が苦しむと思う? 相手が自分にふさわしくないから別れざるを得なかった方と、自分が相手にふさわしくないから別れざるを得なかった方。どっちがみじめかなんて考えるまでもないでしょ」
言い終わると、真吾はふっと笑った。
「貴俊の親は違ったろ? ついでに俺も結婚についてとやかく言われたことはないし、きっとこの先も言われないよ。俺がずっとフラフラしてるんで心配はしてるだろうけど」
真吾は静かに言った。
私は頷くしかなかった。
「そう……そりゃあ、そういう人もいるよね」
「いろんな人がいるよ。親が結婚に反対する理由なんかそれぞれだろ」
「そうだよね。勝手に決めつけてごめんなさい。別に真吾さんが……」
私ははっとして言葉を止めた。
――真吾さんが嫌いなわけじゃない。
そう言いそうだった。
だめだ。
本能的に、ダメだと思った。
今その言葉を口にしてはいけない、そんな気がした。
――ハルカちゃんは俺たちを何かとザ・ボンボンの枠にはめたがるよね。なんで?
だってそれは、そういう世界を毛嫌いする私が、あなたを嫌う唯一の理由だから。
御曹司なんて大っ嫌い。
だからあなたも大っ嫌い。
その枠にはまっておいてもらわないと、私が困る。