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accelerando  作者: 奏多悠香
11/39

11 水も滴るアイツ

 朝の情報番組の天気予報は快晴だった。

 お天気おねえさんが晴れマークのフリップを持ってにこにこしていた。


 ――それなのに、なぜにこんな雨が降っているのか。


 ドワーッという音がするほどの土砂降りを前に、私はただ突っ立っていた。

 よりにもよって、私が会社を出ようとした途端に降り始めた。

 最近新顔に変わったお天気お姉さんを信じたのに。今頃は気象庁とテレビ局に抗議の電話が殺到していることだろう。抗議して雨が止むなら私もそうするが、止みっこないのにそんな労力を使おうとは思わない。それより今この状況をどうするかの方が重大な問題だ。

 会社のはす向かいにあるコンビニに走ればビニール傘をゲットできるだろうが、そこまで行くのにびっちょびちょになるのは間違いない。そして、これ以上家にビニール傘が増えるのは御免だ。突然の雨に見舞われる度に1本ずつ増えて行って、もう家の傘立ては満員御礼なのだ。

 少し雨足が弱まるのを待とうと決意し、ロビーでぼんやりと外を見ながら突っ立っていると、後ろから聞きなれた声が飛んできた。


「よう嘉喜、今帰りか」


 振り返る前から誰だかわかる、この声。


「あ、課長、お疲れ様です。お戻りになってたんですね。直帰かと思ってました」


 課長は外回りで出かけていたはずだ。


「ああ。さっき帰って来たとこだ。書類持って帰るの嫌だから置きに来たんだ。今日はもう帰るけどな。嘉喜も今帰りか。飯食いに行かないか」

「今日はちょっと約束があるので早く家に帰らないといけないんです」

「家で約束?」


 課長が器用に片眉を上げた。


「はい。友達が家に来るんです」

「そっか。この雨だし家まで送ってやろうか。今日出先に直で行ったから車なんだ」


 うわぁ、神のお言葉。


「えっいいんですか」

「おう。行くぞ」


 地下駐車場に停めてあるその車は至って普通のシルバーのセダンだった。


「課長、シルバー似合いますね!」

「それは褒め言葉なのか」

「褒め言葉ですよ! シルバーが似合う男なんてかっこいいじゃないですか。」


 赤とかよりずっといいじゃない。

 私は赤のオープンカーに乗る男というのがどうにも好かんのだ。というよりもそれに乗っている人種が。赤の車なんてただでさえ目立つのに、それをオープンにして周りからガンガン見られる状態で乗れる人と言うのは、絶対にナルシストでオレ様だ、という偏見があった。

 偏見って自分で思ってる時点であんまり説得力はないけど。

 あいつ、倉持真吾なんて、もろ赤いオープンカーに乗ってそう。「赤? 違うよ、この色はパプリカレッドだよ」とか言ってそうな。パプリカに意味はない。なんか「ただの赤じゃないんだよ一緒にしてもらっちゃ困るんだよこの車種にしかない塗装の色なんだよパプリカレッドっていってね」みたいな、こだわりがありそうなやつ。しつこいけど、この場合パプリカに意味はない。赤いカタカナのものが他に思い浮かばなかっただけだ。

 パプリカレッドっていうとそう悪くない気がするけど、ピーマングリーンって言われたらダサさが異常だな……かわいそうなピーマン、パプリカとは親戚なのに。


「ほい、乗って」


 非常にどうでもいいことを考えていたら、課長が助手席の扉を開けてくれた。


「うわっほぅ」


 乗り込みながら浮かれた声を上げると、課長がぎょっとした顔をする。


「何だ、その声は」

「え。何か助手席を開けていただいて車に乗り込む経験なんて無かったもので。心の浮かれ具合を表現したらこうなったんです」

「そうか。そりゃよかったな」

「もしかして課長も結構チャラいんですか?」


 助手席のドアを開ける仕草がこなれている感じがしたので、何となく聞いてみると、課長は何だかムッとした顔をした。


「課長も、ってなんだよ。誰と並列にしようとしてるんだ。俺はチャラついたことはない」


 誰って―――倉持真吾。

 でもその名前を口にしたら課長が不機嫌になる予感がしたのでその質問には答えないでおいた。


「まぁ、チャラいっていう年齢でもないですかね」

「おいお前、いま世界中の三十七歳を敵に回したぞ。三十七歳なんてまだまだ若い」


 軽口をたたいたつもりだったのに課長の目が笑っていなかったので、あわてて誤魔化す。


「すいません。知ってますよ、三十八歳と三十三歳の姉がいるんで。姉は二人ともこっちが疲れるくらいエネルギッシュで若々しい人たちですから」

「へぇ、結構歳が離れてるんだな。お姉さん」

「そうなんですよ。おまけに全然似てないんですよ。二人の姉と。だから小さい時、私はもらわれっ子なんじゃないかって本気で思ってました」

「似てないっていうのは?」


 課長は姉に興味津々だ。


「うちの一家、私以外はみんなノッポなんです。父が百八十七センチあって、母が百六十六、一番上の麻姉が百六十八、二番目の久美姉が百七十二もあるんですよ。なのに、私だけちんちくりんなんです」

「お前身長いくつなの」

「百五十三です」

「充分じゃん」

「でも、遺伝子の不思議でしょ? まぁ、わたし父方のひぃおばあちゃんの生まれ変わりって言われるくらいそっくりなんで、もらわれっ子ではないんですけどね」

「いいよ。あんまりデカいとヒール履いたら俺より高くなっちゃうし」

「別に課長より大きくても何の問題もないじゃないですか」

「あるんだよ。男のプライドってやつが」

「課長は身長いくつですか」

「百七十六」

「なんだ、充分じゃないですか」

「でもお前のお姉さんがヒール履いたら俺を楽々超えるだろう」

「超えますね。おまけにね、うちの二人の姉、特に二番目の久美姉ですけど、やたらと態度もデカいんですよ。だから、ときどき『百八十センチくらいある?』って聞かれるって言って憤慨してました。課長なんてうちの姉にかかれば多分ひとたまりもないですよ」

「怖いな」


 課長が運転しながらぶるりと震える。


「とまぁそんな感じなんで、家族写真撮るのがすごく嫌いでした。自分だけ小人みたいになるんですよ」

「たしかにそれはそうなるな」


 私はふとひらめいた。


「あ、二番目の久美姉、まだ独身ですよ。どうですか、課長」

「ヒールで俺の身長を軽々超えるんだろ? しかも百八十センチあるように見えるんだろ? 俺を小人にする気か」

「課長、結構細かいこと気にするんですねぇ。そういうのあんまり気にしなそうに見えるのに」

「うるせぇ。いいんだよ。俺は小さい女性の方が好きなんだ」

「ふうん。課長がお兄ちゃんになってくれたらいいなぁと思ったのに」

「……どういう意味だよ」

「そのままの意味ですよ。課長が家族になるなんてちょっと面白そうじゃないですか。おいしいお店いっぱい知ってるし。私ずっとお兄ちゃん欲しかったんですよ。麻姉の旦那さんはすごく優しいんですけど大人しくて、お兄ちゃんていうよりお義兄さんって感じになっちゃうんですもん」


 義兄はすっかり姉の尻に敷かれている。時代が違えばきっと高名な忍者になれただろうと思うくらい、気配を消すのが上手な人だ。つまり、薄い。


「お兄ちゃん…ね。家族になる方法はほかにもあるって気づいてほしいとこだけどな」

「なんですか、養子とかですか。うちの親と養子縁組しますか」

「いや、それはいいや」


 ちぇっ。課長面白いし、なんだかんだで面倒見いいし、こういう人が久美姉と結婚してくれたら毎日楽しそうなのになぁ。すごくいい思いつきだと思ったのに、即座にかわされて私はちょっとしょげてしまった。


「ほい。着いたぞ。あ、ちょっと待て、もうちょっと寄せる」


 課長はマンションの入り口ぎりぎりまで車を寄せてくれた。


「課長、本当に助かりました。ありがとうございました」


 そう言ってドアを開けようと外を見た時、窓の外に人影が見えた。人影は私に気付くと嫌味ったらしいほど長い腕を伸ばし、車のドアの上に傘を差し出してくれた。

 それも、自分は濡れながら。

 どこぞのジェントルマンだった。

 私はドアを開けて足を地面に下ろしながら慌てて言う。


「真吾さんの方が早かったんだね。うわ、びちょ濡れじゃない。ごめん、傘! 走れば一瞬なのに。真吾さんすごい濡れちゃってるよ」


 真吾はプルプルと頭を振って水を散らす。


「俺は全然大丈夫だよ。水も滴るいい男でしょ?」


 そう言ってからひょいと車を覗き込んで、運転席に座る人物に視線を投げ、ぺこりと頭を下げた。


「あ、津野さんだったんですね。こんばんは」


 課長が雨の音に負けないように車の中から大きな声で返した。


「倉持さんこんばんは。こんなところでお会いするとは。ここにお住まいなんですか?」

「いや、まさか。真吾さんは高級マンション住まいですよ。期待を裏切らない感じの」

「期待って何それ」


 真吾が問う。


「金持ちっぺーってこと」

「おうおう、いい度胸だなぁ」

「ああ、車が濡れちゃいますね。ドア閉めますね。課長、本当にありがとうございました。送っていただいて助かりました」


 課長は私の言葉に無言でうなずき、私がドアを閉めるとすーっと走り去っていった。



********************



「お前、やっぱりあの人と付き合ってんのか」


 ――うう、やはり。


 翌日の朝、予想通り課長は私の椅子に座ってくるーりくるーりと回りながら言った。


「だから、付き合ってません。ていうか、そこは私の椅子なんですよ」

「じゃあなんで家にいるんだよ」


 ぎろり、と鋭い目で見られて私はたじたじしてしまう。

 何か言い訳を、と思ったけど、すぐに思い直した。

 課長なら口も堅いし、話しても平気だろうと判断したのだ。


「内緒なんですけど、友人同士が結婚するんです。で、真吾さんがベストマンで私がブライドメイドなんです」

「なんだそのベストマンとブライドメイドっていうのは」


 おっさん世代にはなじみがなかったか。


「花婿の親友と花嫁の親友って思っといてもらえばいいですかね。結婚式のお手伝いとかをするんですよ。まぁ、盛り上げ隊長ってことです。昨日はその打ち合わせだったんです」

「家でやるのか」

「そうですよ。この前お店で式場の資料とか色々広げてプラン練ってたら『ご結婚されるんですか。』って言われて、勘違いされた挙句に勝手に祝われてサービスとかされちゃってものすごく気まずい思いをしたんですよ。わかります? ケーキに花火刺したやつを持ってこられて、プレートにある『Happy Engagement!』の文字を見たときの気持ち。でも個室のあるレストランって高いじゃないですか。あの人私が払うっていっても絶対に財布出させてくれないんですよ。だから、お金のかからない家で打ち合わせすることになったんです。倉持さんのお家でやってもよかったんですけど、ちょうどうちが倉持商事とここの中間地点にあるし、倉持さんの家はちょっと遠いんで、うちにしてもらっただけです」


 なぜこの人に向かってこんなに長ったらしい言い訳をしなきゃならないのか。


「そっか。じゃ、相変わらずお前は一人ぼっちなのか」


 課長は嬉しそうだ。失礼な人だ。


「そうですよ。課長こそ、私なんかと飲みに行ったりしてる場合なんですか」

「俺は別に漫然と過ごしてるわけじゃないよ。エモノはいるんだ」


 エモノというのが何か妙に生々しかった。漢字の獲物ではなく、カタカナの「エモノ」って感じで。


「エモノ。ぞわっ。課長に狙われたら、何か逃れられない感じがして嫌ですね」

「嫌とかいうな。俺だって狩りがしたかったわけじゃない。じっくり好きになってもらいたかった。でも、相手が鈍感すぎて全然ダメなんだ」


 なんだか課長はちょっとくたびれて見えた。


「うわぁ、お気の毒。いますよね、そういうの全然気づかない人。天然だからタチが悪いんですよ。私の友達にもそういう子、いますよ」

「類は友を呼ぶってやつか」

「いやいや、類友じゃないですよ。私は結構するどい方なんで」

「へえ。意外だわ」


 大げさに驚いた顔をする課長。


「まぁ、そんなわけで俺、攻め方変えることにしたんだ」

「なんの宣言ですか」

「いや、言っとこうと思って」


 別に課長が好きな人をどう攻めようが私の知ったことではない。


「そうなんですか。頑張ってください。彼女できたら紹介してください」


 課長みたいなイケメンが付き合う人っていうのはきっと美人に違いない。美人に目がない私としては、ぜひお近づきになっておきたいところだ。


「いいよ」

「約束ですよ? 三人で飲みに行きましょう!」

「それはムリだ」

「何でですか! さすがに課長の彼女の前で酔いつぶれたりしませんよ!」

「うん、まぁ、そう言う問題じゃないんだけど、まぁ、もういいや。お前と話すの疲れた」

「失礼ですね」


 そうやってまた、課長は自分の席に戻っていく。

 私も課長も朝型人間のため、九時始業のところ七時に出社しているのだ。他に誰もいないオフィスで二人で他愛もないおしゃべりをするほんのわずかな時間はこの三年間ずっと楽しかったんだけど、このところ何となく、何となく、気づまりな瞬間があった。

 倉持真吾の話を出したときとか。

 何でだろう。

 私は首をひねりながらパソコンを立ち上げた。

 今日も仕事、しごとーっと。



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