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廃工場にて

作者: きーち

 夜に1人で出歩いてはいけない。そういう事を言われなくなったのは、いつ頃からだろうか。

 自分が大人になるにつれ、注意される回数が減ってくる。心配される頻度も同様だ。しかし、それは夜が安全になった訳では無いのである。

 子どもの頃は、その命は親や周りの大人が背負う物に対して、大人になればその責任は自分自身で背負わなければならない。それゆえに、周りからの注意と言う物が減ってくるのである。

 だから、夜の闇は大人にも平等にその牙を向ける。そして、その牙を持つものが生きた人間だけとは限らない。奴らは人を襲うつもりで、こちらに危害を加えてくるのでは無いだろう。だが、奴らの行動その物が、こちらに害を及ぼす事がある。

 奴らにとって見れば我々は、路上の小石に過ぎないのかもしれない。だからこそ、奴らの何気ない動作一つ一つがこちらにとっての脅威となる。

 その脅威に対しては、むしろ子どもの方がその直感を働かせ、それらを回避できる可能性が高い。

 だが、大人もこれまで生きてきた経験則から、奴らが闇を好む事を無意識の内に知っている。

 そう、奴らは夜の闇の中を出歩く。何故なら、この世界では光ある場所より、闇のある場所の方が圧倒的に多いからだ。

 だから、夜、1人で出歩いてはいけない。1人で居るという事はその心にまで闇が罹るという事だからだ。そう、そこは奴らにとって居心地の良い場所と生り得るのだ。


 奴らの影と言えば良いのか、私がその朧気な輪郭を初めて見たのは高校2年の夏頃だったと覚えている。

 丁度、子どもから大人になるにつれ、その両者からは考えられない馬鹿な事をする年頃であった。

 大人の庇護を嫌い、それでいて自分自身に責任を持とうともしない。そんな人間であったと思う。

 その頃の私は、夜の町を散歩するのが趣味であった。自宅に居れば家族の目があり、学校では同級生たちの姿がある。私はそれが有難い事とも知らず、それらを煩わしいとすら思っていた。だから、彼らが居ない、そして普段とは違った景色を見せる夜の町に魅せられていたのかもしれない。

 その時の私は家を出て夜の散歩をしていた。私の散歩は、意識して夜の闇がより深い方へと向かうという物であった。暗闇の中を歩くことにも慣れていたからかもしれない。もっと普段とは違う世界を見てみたかったのだろう。超人にでも成った心算で居たのだろうか。私自身はまだ社会すら知らず、子どもですら居られない弱者であったのに。

 町の中を闇の深い方向へ進む、当然、街灯がしっかりと整備されていない場所を目指す事になる。町の開発から取り残され、そこに並ぶ家々も人が住んでいるのかどうかも怪しい建物ばかりが見える。そんな場所に行き着く。

 私はそんな町並みの中で、一際異彩を放つ、寂れた廃工場に目をつけた。いつの頃からそこにあったのだろうか。プレハブでできた場所は錆によって侵食され、コンクリート部分も整備されぬままなので、不細工なでこぼことひび割れが、あちこちに広がっていた。

 いつ倒壊してもおかしくない様だったが、こんな場所ではそもそも人が近づかず。危険でも治安を悪くする事も無いと判断されたのかもしれない。町の人間から、延々と放って置かれていた場所なのだろう。

 私はその工場を見ると、心が躍りだすような感覚に襲われた。それは喜びから来た物だったのだろうか。それとも若く愚かな探究心からか。詳しい事は、当時の私自身に聞いて見なければわからない事だ。今の私にとっては、恐怖の対象でしか無いのだから。

 工場に足を踏み入れる。地面はコンクリートで覆われているが、所々土が剥き出しになり、ひびからは草が高く生い茂っていた。中央には、この工場を活気付けていたであろう、機械が置かれているが、錆とそこに描かれた落書きによって、くたびれたその姿からは、いったいどの様な作業をする物だったのかを、伺い知る事は出来ない。

 脇に2階部分へと昇る階段の様な物があるが、昇るべき段の半分が既に無く、そこにある理由を失っていた。

 私は中央の機械に興味を持ち、近づいていく。近づいて見ても、それはやはり何らかの機械である事しかわからない。私は少し落胆した。何かがわかれば、かつてこの工場が、どの様な姿であったのかを想像する事が出来たのに。私はそこで、ふと、この工場の中央部分から工場全体を見渡したくなった。

 理由はなんだったろうか。思い出せない。ただ、そうやって見渡した事だけは覚えている。何故なら、そこで初めて奴らを見たからだ。

 最初は人影だと思った。工場の2階部分に動く物が見えたのだ。昇る階段がもう役に立たないと言うのに、何故2階に人間が。私は不審に思い、人影らしき物が見えた方向を見るが、もう動く物は見えない。もしかしたら、人影だと思ったのは、野良猫か何かの影だったのかもしれない。自分の見間違いの可能性だってある。当時もそう考えていたのに、何故、確認して見ようなどと思ってしまったのか。あそこで奴に出会わなければ、今を平穏に暮らせていたと言うのに!

 あの頃の愚かな私は、なんとか2階部分を良く見渡せる場所が無い物かと工場中を歩き回ったと思う。そこで、工場の端に他の部分より高い位置に床が出ている事に気がついた。いったい何のためにあったのか、工場で行われる作業に関係があるのかもしれない。

 一度、その床に昇ってみると、結構な高さがある。一応、土台はしっかりしているのか安定感はあるが、この工場の廃れ具合を見ると、少々不安に思ってしまう。

 少し見る程度にして置こうと考えた私であるが、そこから影がいた場所を見た時点でその考えは吹き飛び、恐怖に襲われる事となった。人影が確かに存在したのだ。

 床から影が見えた部分を見ると、工場の中央から見るよりもさらに奥が見える。奥にはどうやら小さな部屋があり、部屋の扉が開いたままになっているので部屋の中が見えるのだ。その部屋の中に影が居た。私が見た物はあの部屋へと入っていく影であったのだ。

 何故、あんな所に人が居るのか。私は目を凝らす様に影を見ようとした。その時は恐怖よりも好奇心が勝っていたのだろう。自分の知らない何かが行われている。そう思うだけで、あの影から目を離せなくなる。

 一方で私が見ている影は、およそ人らしい動きをしていない様であった。ズルズルといった擬音が相応しい動きで部屋の中を移動する影を見るうちに、私は別の恐怖を感じる。あの影は人では無いのではないか。影を見続けていると、その考えがますます深くなるのを感じる。まずその影には人にあたる腕が無かった。そして下半身部分は両の足が分かれておらず、一本の尾の様になっている。私の印象はそれを人影から、蛇の様なものでは無いのかという考えに変わっていく。

 確かに、その影を見ると人影などより、よっぽど蛇らしいと思えてくる。ズルズルとした動きは尾を引きずる物であり、腕が無いのもそもそも、そんな物が無いのだから当たり前である。人影では無いのかと思ってしまったのは頭の部分であり、そこだけは唯一、人間に近い頭の形をしている様であった。

 私は頭が人間で胴体が蛇という半人半蛇の姿を思い浮かべて身震いをした。今、自分が見ている物の異様さを再び感じたのだ。蛇だとしたら、人に見間違える程の大きさという事になる。その様な物が何故、この工場に居るのか。そして、あの頭部のあまりにも人間に似ている姿は生物としての嫌悪感を覚えるもので、より一層、不気味さを感じさせる。

 しかし、それでも私は目を離さなかった。私は今、非日常の中に居る。そんな優越感が心の中にあったからだ。あれはいったいどういった物なのか確かめたい。今では後悔してもし切れない程の、考え無しな行いである。

 それでも私は影を観察し続けたのだ。どれくらいの時間が経ったのか、影の輪郭が良く見える様になっている事に気がついた。月の光が、影の居る部屋を照らしているのだ。このまま観察を続ければ、もっとはっきりとした影の姿を見る事が出来る。もう少しだ、もう少しで。


 私は光が影を照らした瞬間にそこから逃げ出した。高さのある床から飛び降り、足場の悪い地面を必死に走りながら、それでも止まらず工場から走り出た。家が恋しかった。光のある世界に帰りたい。1分1秒でも、あの場所に居たくなかった。

 私は何も知らなかったのだ。あの工場で過去に何があったのかを。私は気づくことも無かった。あの工場の機械に付いていた赤茶けた錆の事を。私はあの影の正体について考える気など無い。

 だが、あの時、月に照らされて現れたものは私の頭から消えること無く脳の奥底にこびり付いている。

 私の第一印象は正しかった。あれは蛇などでは無かった。手が胴体から千切れ、下半身が何かによって轢き潰されていたあれは、紛う事無く人間の影であったのだ。

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