だってぼくはゴリラだから
ぼくには、好きな女の子がいる。
名前は、佐藤さん。
クラスの窓際の席で、いつも本を読んでいる女の子だ。
ぼくは彼女と話したことがない。
話しかけたいとは思っている。
でも、話しかけられない。
だってぼくはゴリラだから。
いや、正確に言うと、ぼくは人間だ。
少なくとも戸籍上は。
父も母も人間だし、住民票にもちゃんと人間と書いてある。
ただ、ぼくは生まれつきゴリラに近かった。
握力はクラスで一番強い。
給食ではバナナを見つめると気持ちが落ち着く。
木を見ると登りたくなる。
そして何より、緊張すると、
「ウホ」
と言ってしまう。
これは困る。
とても困る。
先週も先生に、
「山田、宿題はやったか?」
と聞かれて、
「ウホ」
と答えてしまった。
先生は何も言わなかった。
ただ、静かに出席簿へ何かを書き込んでいた。
たぶん「要注意」とか、そういうことだろう。
だから、佐藤さんには絶対に話しかけられない。
そんなある日の放課後。
教室にはぼくと佐藤さんしかいなかった。
雨が降っていた。
佐藤さんは窓の外を眺めている。
ぼくは帰ろうとした。
そのときだった。
「山田くん」
「……はい」
「傘、持ってる?」
「持ってない」
「じゃあ、一緒に帰らない?」
ぼくは固まった。
心臓が激しく鳴った。
そして、口が勝手に動いた。
「ウホ」
しまった。
終わった。
ぼくの青春は終わった。
佐藤さんは少し驚いた顔をした。
そして――笑った。
「ふふっ」
ぼくは何も言えず、うつむいてしまった。
「あ、笑ってごめん。今の、どういう意味?」
「……一緒に帰りたい、という意味です」
「そっか」
佐藤さんは傘を開いた。
「じゃあ、行こう」
ぼくは彼女の隣を歩いた。
傘は小さかった。
肩が触れそうになる。
ぼくは緊張した。
「山田くんってさ」
「うん」
「動物、好き?」
「好き」
「特に?」
ぼくは少し考えた。
「……ゴリラ」
「やっぱり?」
「やっぱり?」
「うん。なんとなく」
彼女は笑った。
「私も好きだよ」
「ゴリラが?」
「うん」
「どうして?」
「優しいから」
ぼくは黙った。
ゴリラは、強い。
でも、本当はとても繊細な動物だ。
仲間を大切にする。
子どもを守る。
争いを好まない。
ぼくも、そんな人間になりたいと思っていた。
「山田くん」
「なに?」
「明日も一緒に帰ろうよ」
「……うん」
嬉しくて、ぼくは思わず笑った。
そして――
「ウホ」
佐藤さんも笑った。
「ふふっ。やっぱりゴリラなんだね」
「うん」
ぼくは胸を張った。
「だってぼくはゴリラだから」
そして佐藤さんは、そんなぼくの隣を歩いてくれる女の子だった。




