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第6話 豊穣魔法

魔法名:豊穣魔法

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説明:空気から肥料を生成する。

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記録:


 我々は、いつも飢えていた。


 森の奥。人間に追いやられた土地。日当たりが悪く、土が痩せている。根菜を植えても半分は芽が出ない。芽が出ても、虫に食われるか、霜にやられるか、人間の狩りに踏み荒らされる。


 子供たちの腹が鳴っている。骨が浮いた小さな体。目だけが大きい。泣く力もないから、静かに座っている。それが一番つらい。泣いてくれたほうがいい。泣く力すらない子供を見ていると、胸の奥が焦げるように痛む。


 人間の畑は青々としている。遠くから見えるのだ。丘の上からこちらを見下ろすように広がっている、あの鮮やかな緑。あの土地はかつて我々のものだった。追い出されたのだ。人間は体が大きく、武器を使い、組織的に動く。一匹では強い戦士でも、百人の兵士には勝てない。


 何世代もそうだった。


 祖父の祖父の代からそうだった。我々は常に足りていない。土地が。食糧が。力が。数はいるのだ。我々は子が多い。だが子が多いということは、飢える口も多いということだ。


 豊穣魔法を見つけたのは、偶然だった。


 集落の若い呪術師が、空気から何かを引き出す術を編み出した。白い粉だ。指で触れるとざらざらして、鼻が曲がるほど臭い。何の役に立つのかと思ったが、この粉を土に混ぜてみたところ、根菜が二倍の速さで育った。


 三倍に。五倍に。粉の量を増やすほど、作物は大きくなった。


 痩せた土が肥えた。日当たりの悪い森の奥でも、作物がたわわに実った。根菜は拳ほどの大きさになり、穀物は穂が垂れるほど実った。収穫したものを倉に入れると、倉が足りなくなった。


 初めてだった。


 子供たちが走り回っている。腹を膨らませて、顔に色が差して、笑いながら走り回っている。泣いている子がいた。嬉しくて泣いていた。


 年寄りたちが泣いていた。祖父の祖父が夢に見た光景がここにある。


 人口が増えた。


 これまでは、子の半分が冬を越せなかった。飢えと寒さで。だが今は違う。食糧がある。冬を越す蓄えがある。子が育つ。その子がまた子を産む。集落は大きくなり、二つに分かれ、三つに分かれ、それぞれがまた大きくなった。


 我々は多産だ。人間は二十年かけて一人を育てるが、我々は五年で一人前になる。食糧さえあれば、数は際限なく増える。人間はこの事実を恐れていたのだと、今ならわかる。だから我々を痩せた土地に押し込めたのだ。


 もう、押し込められない。


 二つ目の発見は、事故から生まれた。


 白い粉を倉に保管していたとき、火の近くに置いていた袋が凄まじい音を立てて弾けた。倉は吹き飛び、三人が怪我を負った。


 最初は災難だと思った。だが若い呪術師は怪我をしながら目を輝かせていた。粉の配合を変え、乾燥させ、細い筒に詰めて火をつけた。小石が筒から飛び出し、向かいの木を貫いた。


 私の背中に、冷たいものが走った。


 人間は剣と弓で戦う。剣は何年もかけて磨く技だ。弓は何千本もの矢を射て身につける技だ。一人の騎士を仕上げるのに、人間は十年以上をかける。


 この筒は、今朝生まれた子でも使える。持って、向けて、火をつける。それだけで、十年の修練を積んだ騎士が倒れる。


 数が、そのまま力になる。


 我々には数がある。食糧がある今、数はいくらでも増える。そして一人一人が筒を持てば、騎士と同等の力を持つ。百の筒があれば百の騎士に並ぶ。千なら千。一万なら一万。我々は一万を揃えられる。人間には一万の騎士を育てる時間がない。


 長老会議で、決定を下した。


 悩まなかったと言えば嘘になる。私は長く生きてきた。奪うことの重さは知っている。だが、何世代にもわたって我々が受けてきたことを思えば。飢えた子供たちの顔を思えば。長くは悩まなかった。


 国境を越えた。


 抵抗は激しかった。人間の騎士団は精強だった。一振りで三匹のゴブリンが倒れる場面を何度も見た。だが倒れても、後ろからまた来る。筒を構え、放つ。騎士が崩れ落ちる。あの鎧を、矢で抜くことは難しい。だが筒から飛ぶ石は鎧を通る。


 一人の騎士が三人を倒す間に、十人が一人の騎士を倒す。そして三人の代わりは五年で届く。騎士の代わりは、届かない。


 人間の都市を初めて見たとき、その大きさに息を呑んだ。石の壁。高い塔。広い道。水を引く溝が街中に巡っている。これだけのものを作る力がありながら、なぜ我々と分け合えなかったのか。


 分け合う気がなかったのだ。分け合う必要がなかったのだ。我々は弱かったから。


 丘の上の畑は、今は我々のものだ。


 日当たりがいい。土が肥えている。豊穣魔法など使わなくても十分に実る土地だ。最初からそうだったのだ。


 集落は町になり、町は都市になった。石壁を積むのは人間ほど上手くないが、学んでいる。人間が残した書物を読める者が少しずつ増えている。人間の言葉は難しい。だが子供たちは覚えが早い。


 いつか、我々が人間にしたことと同じことをされるのだろうか。もっと強い誰かに追われて、また痩せた土地に押し込められるのだろうか。


 わからない。


 だが、今この瞬間、子供たちは笑っている。


 それで十分だ。


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あとがき:


 豊穣魔法は、空気中の成分から植物の肥料を合成する。原理としては単純な魔法であり、破壊力も毒性もない。この魔法単体では、世界を崩壊させる力はないだろう。


 問題は二つある。


 一つ。肥料の主成分と火薬の主成分は同一である。豊穣魔法で生成した粉は、配合と処理を変えれば爆発物になる。これは魔法の問題ではなく物質の性質の問題だが、結果として軍事転用が可能になる。


 二つ。繁殖力の高い種族がこの魔法を手にした場合、食糧制約が外れることで人口が急増する。人口の急増は、単純な軍事力に直結する。特に火薬の発見と組み合わさった場合、個体の修練度に依存しない戦力が無限に供給される。


 人類はゴブリンに滅ぼされた。これを以て禁忌とした。


 ただし、記録の長老が述べている通り、人類がゴブリンを痩せた土地に追いやっていたのは事実だ。豊穣魔法がなければ、ゴブリンは緩やかに衰退していた可能性が高い。禁忌指定は人類の存続を基準にした判断であり、ゴブリンの視点では、これは解放だった。


 禁忌の基準は、記録する者の立場に依存する。


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会話:


「……重い話っすね、これ」


「そうか」


「いや、今までと種類が違う。浮遊も静寂も増殖も、事故じゃないっすか。これは違う。わかっててやってる。戦争をして、勝って、そうするしかなかった」


「ゴブリンの立場では、当然の選択だったと思う」


「俺もそう思うっす。子供が飢えてたら、そうするっすよ。……でも人間は滅びたんすよね」


「この一件ではそうだ」


「地球だとハーバーボッシュ法ってのがあるんすよ。空気から肥料を作る方法。人類のリソースをすごい注ぎ込んで開発して、これのおかげで養える人口がめちゃくちゃ増えた。同時に火薬も量産できるようになって、世界大戦がえらいことになった」


「同じ経緯を辿っているのか」


「ほぼ同じっす。肥料と火薬が同じ原料っていうのは偶然じゃなくて、化学的に同じものなんすよ。食わせるのと殺すのが同じ粉でできてる」


「この世界では魔力だけで解決してしまうから、途中の過程を飛ばしてしまうのだな」


「そうっす。地球なら何十年もかけて理論を積み上げるから、途中で『あ、これ爆発物にもなるな』って気づくタイミングがある。この世界だと白い粉がいきなり出てくる」


「……ところで、この魔法は他の禁忌と比べるとショボくないスか?って顔をしているな」


「バレてるっすか」


「わかりやすいからな、お前は」


「だって、浮遊魔法は大気が飛ぶし、増殖魔法はねこで世界が滅びるんすよ? これは、その……普通の戦争っていうか」


「普通の戦争だ。だが、ゴブリンだけではない。オーク、コボルト、繁殖力の高い知的種族と相性が良すぎる。何度封印しても、別の種族が別の形で同じ魔法にたどり着く。禁忌指定の中では最も封印回数が多い」


「最多なんすか」


「似たものを含めれば二桁にはなる。肥料の生成手段は魔法以外にもあるから、完全には防げない。正直なところ、最も手を焼いている禁忌の一つだ」


「地球でもそうっすよ。ハーバーボッシュ法は人類史上最も多くの人を食わせた技術で、同時に最も多くの人を殺した技術っす。禁止しようがない。禁止したら飢えるから」


「全く同じだ。面白いほどに」


「面白くはない気がするっすけど……。あとあの、あとがきの最後。『禁忌の基準は記録する者の立場に依存する』って」


「事実だ」


「賢者様は、ゴブリンのこと嫌いっすか」


「嫌いではない。しぶとくて、少し眩しい」


「眩しい?」


「飢えていても子供を抱える。それはいつ見ても眩しいものだ」


「……なんかいま、すごくいいこと言いましたね」


「言っていない。次の記録に移ろう」


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