第5話 停止魔法
魔法名:停止魔法
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説明:動いている物体を止める。
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記録:
配属先は王国魔術研究院、軍事魔法開発部。任務は防御魔法の改良。着任から三年が経つ。
剣を鋭くする魔法、盾を硬くする魔法。この三年で改良した魔法はどれも地味だ。刃の切れ味を二割上げ、盾の耐久力を一割五分上げた。数字は出ている。現場からの評価もある。だが、足りない。二割の改良で生き延びられる兵士の数は、二割には満たない。
矢が問題だった。
飛んでくる矢を盾で受けても、角度と速度次第で貫通する。防御側の改良では限界がある。攻撃側が常に有利だ。
発想を変えた。矢そのものを空中で止められないか。
上に提案書を出した。却下された。「物体を止める魔法に軍事的実用性があるとは認められない」とのこと。却下理由は保管してある。
自費で研究を続けた。
停止魔法の理論は半年で完成した。実証試験は演習場を借りた。射手一名を手配し、標準的な矢を使用。距離は五十。十分な安全距離だ。
射手が矢を放つ。矢が飛ぶ。私は魔法を放つ。
結果。矢は消失した。
正確には、視認不能な速度で移動した。同時に演習場東側の石壁が破裂。壁材が散乱し、壁面に直径約二の貫通孔が確認された。矢の残骸はなし。壁の向こう側の地面に深さ三の穿孔を確認。
理解できなかった。止めた。確実に止めた。
翌日。対象を小石に変更し、再試験。結果は同様。東方向への高速射出。着弾点の丘に倒木と地面の抉れを確認。砂粒ほどの小石一つで。
報告書を書こうとして、やめた。何を報告すればいいのかわからなかった。「矢を止めたら壁が壊れました」では報告にならない。原因を特定しなければならない。
三日目。実験条件を変更した。時刻を変えて同じ試験を繰り返す。朝。昼。夕方。夜。各時刻で小石を停止させ、射出方向を記録した。
結果を並べた。
朝は東。昼過ぎは南東。夕方は南。夜はふたたび東寄りに。方角が一日をかけて回転していた。
翌日は試験を行わず、机に向かった。
止めている。魔法は正しく発動している。対象は停止した。停止した対象が東に飛ぶのではない。対象は止まっている。止まっている対象のいた場所を──私たちが通過しているのだ。
地面が動いている。
太陽は東から昇り西に沈む。つまり地面は西から東に動いている。停止魔法で固定された小石だけが動かず、回転する地面の上の全て──私、射手、壁、演習場──が小石を追い抜いていく。地面の側から見れば、小石が東に飛んだように見える。方角が一日で回転するのは、地面が回転しているからだ。
手が震えた。
生まれて初めての発見だった。足元の大地は止まっていない。我々は気づかないだけで、信じられない速度で動いている。だが計算が合わない。地面の回転速度は、大地の大きさと一日の長さから概算できる。だがその速度では、観測された破壊力を説明できない。桁が違う。
何が足りていない。回転以外の運動があるのか。
以後数ヶ月、毎日試験と記録を繰り返した。日周変動とは別に、方角の長期的な偏移を検出した。季節との相関が認められる。大地は回転しながら、さらに何かの周りを巡っている可能性がある。
速度が大きすぎる。想定を遥かに上回る。我々は、自らが想像もしていなかった速さで、どこかに向かって動いている。
この魔法は危険だ。
石ころ一つを停止させるだけで、城壁が崩れる。砂を一掴み止めれば、都市が消える。術者の技量に依存しない。昨日魔法を覚えた新兵でも、熟練の宮廷魔術師でも、もたらす破壊は同じだ。
報告書を書いた。今度は書いた。この魔法は軍事利用すべきではない。即座に封印すべきである。
報告書は受理されなかった。
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あとがき:
停止魔法は、惑星表面の座標系ではなく、何らかの固定された基準座標に対して対象を停止させる。結果として、惑星の運動速度で対象が「射出」されるのと同じ現象が起きる。
記録魔法に保存された実験データから、射出速度を逆算した。およそ秒速六百。方角は一日周期で回転し、さらに長い周期で緩やかな偏移を示す。
記録の術者は、方角の日周変化から惑星の自転を推定した。優秀な観察だ。さらに季節変動から惑星の公転にも気づきかけている。ただし、自転速度だけで全体の速度を説明しようとしたため、計算が合わなくなっている。
秒速六百の大半は、惑星の公転運動によるものだろう。自転による地表の速度は公転速度に比べて微小であり、それだけでは破壊力の説明がつかないのは当然だ。公転速度まで含めれば、秒速六百はこの星の軌道速度として概ね妥当な値と考えられる。
術者は報告書で封印を進言したが、受理されなかった。停止魔法は軍事転用され、複数の国家が同時に運用した結果、文明は崩壊した。石ころ一つで城が落ちる時代に、戦争という概念は成立しない。
発見者が、最も正しく恐れていることがある。
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会話:
「あの人、すごいっすね。自分で実験して、地面が回ってるとこまでたどり着いてる」
「優秀な術者だった。記録を見る限り、思考に無駄がない」
「報告書も出したのに、無視されたんすね」
「よくあることだ。危険を正しく理解した者の声は、届かないことが多い」
「でもあとがき読んだんすけど、賢者様、計算ちょっとズレてません?」
「……何がだ」
「秒速六百って、公転速度だけじゃ全然足りないっす。この星の公転が秒速三十なら、残りの五百七十はどこから来てるのか。賢者様、『誤差としては大きい』って書いてますけど、二十倍は誤差じゃないっすよ」
「……そうか」
「地球だと、太陽系自体が銀河の中を秒速二百二十くらいで動いてるんすよ。で、銀河自体も銀河団の中を動いてて、銀河団も宇宙の中を動いてる。全部合わせると秒速六百くらいになっても全然おかしくないっす」
「待て。恒星が動いているのか」
「動いてるっす」
「恒星系が、より大きな何かの中を回っている?」
「そうっす。銀河って呼ばれる、恒星がいっぱい集まったやつの中を回ってるんす。で、その銀河もまた動いてる」
「…………」
「賢者様?」
「いや……考えていた。秒速六百が公転だけで説明できないのは確かに気づいていた。だが恒星が静止していないという発想がなかった。星々は固定されていると思い込んでいた」
「あー、地球でもむかしはそう思われてたっす。天球ってやつ」
「そうか。天球か。確かに私はそう考えていたな」
「じゃあ停止魔法って、銀河とか銀河団とかの運動も全部含めた、宇宙全体に対する絶対的な座標で物体を止めてるってことっすよね」
「そういうことになる」
「魔法が参照してる座標系って、何なんすかね。宇宙の何に対して『止まってる』って判断してるんだろ」
「……いい問いだ。私にはまだ答えられないが」
「まあ、当面は『使ったら秒速六百で飛ぶ』って覚えとけばいいっすよね」
「実用上はそれで十分だ。……あとがきに追記すべきだろうか」
「えっ、追記するんすか」
「誤った分析を残しておくのは性分に合わない」
「賢者様のあとがき、修正入れたの初めてじゃないっすか。なんか感動するな」
「大袈裟だ」
「いや、あの、嬉しいんすよ。俺の知識が少しは役に立ったんだなって」
「…………」
「賢者様?」
「お前の知識がなければ、私はまだ二十倍の誤差を誤差だと思い込んでいた。恒星が動いているという発想は、何度文明を見ても出てこなかった。……礼を言う」
「いや、そんな、改まらなくても」
「改まっていない。事実を述べただけだ」
「……えへへ」
「気持ちの悪い笑い方をするな」
「ひどい」




