第3話 増殖魔法
魔法名:増殖魔法
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説明:物体を複製する。
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記録:
うちのねこは、世界で一番かわいい。
茶色のしま模様で、耳の先だけ黒い。名前はチャビ。由来は茶色のしましまから取った。安直だと言われるが、呼びやすいのだから仕方がない。チャビ。いい名前だ。
チャビは私の膝の上で丸くなるのが好きだ。喉をごろごろ言わせて、前足をふみふみする。そのたびに爪がちくちく刺さるのだが、やめてほしいとは思わない。
一つだけ不満がある。チャビは一匹しかいない。
世界にチャビが一匹しかいないというのは、明らかに数が足りていない。少なくとも二匹は必要だ。できれば三匹。いや、五匹。チャビに囲まれて眠りたい。朝起きたらチャビがいて、ごはんを食べていたらチャビが足元にいて、仕事をしていたらチャビが机に乗ってくる。そういう生活がしたい。
別のねこを飼えばいいという意見もあるだろう。却下だ。別のねこはチャビではない。茶色のしましまで、耳の先が黒くて、膝の上でごろごろ言って、前足でちくちくするのは、チャビだけだ。チャビがもう一匹ほしいのだ。
だから魔法を使うことにした。
増殖魔法。物をもう一つ作る魔法だ。パンを増やしたり、薪を増やしたりするのに使っている。生き物に使ったことはなかった。でも、やってみる価値はある。
チャビを膝に乗せて、魔法をかけた。
チャビの隣に、チャビが現れた。
同じ茶色のしましま。同じ黒い耳の先。同じ顔。二匹のチャビが私の膝の上で、きょとんとお互いを見つめている。
どうしよう。世界ってこんなに素晴らしかったのか。
二匹のチャビは、最初こそ互いを警戒していたが、すぐに慣れた。当然だ。同じねこなのだから。並んで毛づくろいをして、並んで丸くなって、並んでごろごろ言い始めた。膝が重い。幸せだ。
ところが、翌朝起きると、チャビが四匹になっていた。
驚いた。私は一回しか魔法を使っていない。だが、そういえば増殖魔法は対象の魔力を使って発動すると聞いた。ねこにも魔力があるのだろうか。あるのだろう。たぶん。寝ている間に魔力が回復して、もう一度発動したのだ。
まあ、四匹のチャビ。それは素晴らしいことだ。
四匹のチャビは私のベッドの上で団子になっていた。茶色いしましまの団子。暖かい。今日は何もしたくない。このまま一日中ここにいたい。
夕方になると、チャビは八匹になっていた。
さすがに家が狭い。椅子の上にチャビ。棚の上にチャビ。靴の中にチャビ。台所の鍋の中にもチャビ。ごはんの上に座るのはやめてほしい。
でも、かわいい。八匹のチャビが八方向から私を見ている。十六個の目がまばたきしている。幸せすぎて少しおかしくなりそうだ。
翌朝。十六匹。
家に収まりきらなくなった。窓からチャビが溢れている。隣の家のおじさんが悲鳴を上げている。すまない。でもかわいいだろう。見てくれ。しましまだぞ。耳の先が黒いんだぞ。
三十二匹。庭がチャビで埋まった。茶色いしましまの絨毯。歩くと怒られる。全員に怒られる。すまない。でもお前たち、上に乗ってこなければいいのに。
六十四匹。道を歩いていたら「お前んちのねこが畑を荒らしている」と叱られた。本当に申し訳ない。でもチャビは悪くない。チャビが多すぎるのが悪い。
百二十八匹。もう数えるのをやめた。
村の広場がねこで埋まっている。子供たちが喜んで遊んでいる。いいだろう。もふもふだろう。チャビはいいねこだから、噛んだりしない。百二十八匹全員がいいねこだ。
村長が怒鳴り込んできた。ねこが多すぎると。知っている。知っているが、どうすればいいのかわからない。増えるのは勝手に増えるのだ。私のせいではない。少しだけ私のせいだ。
何日かが過ぎた。
数えてはいないが、ねこはまだ増えている。隣の村から苦情が来た。その隣の村からも来た。そんな遠くまで行っているのか。チャビは行動的だな。知っていたが。
窓の外が茶色い。
全部ねこだ。地面が見えないくらいのねこが、道という道を埋めている。ごろごろという音がずっと聞こえている。一匹一匹は小さな音なのに、これだけ集まると地鳴りのように聞こえる。
悪いことをしてしまったのだろうか。
……いや。
窓を開けると、チャビが三匹入ってきた。一匹は膝に乗り、一匹は肩に乗り、一匹は頭に乗った。ごろごろ言っている。
大丈夫だ。悪いことなんかじゃない。
だって、こんなにかわいいのだから。
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あとがき:
増殖魔法は、対象の内部に蓄えられた魔力を消費して複製を生成する。通常の物体であれば、魔力が尽きた時点で増殖は停止する。一つのパンは二つになって終わる。三つの薪は六つに増えて終わる。
生物は、魔力が自然回復する。
つまり生物に増殖魔法を適用した場合、魔力が回復するたびに増殖が再発動する。この周期は生物の魔力回復速度に依存し、ねこの場合は約半日で一回の回復・再発動を繰り返した。一匹が二匹に、二匹が四匹に。以降は等比級数的に増加する。
計算上、二十四日で大陸を覆う。実際には三十日だった。餌の制約だろう。
この記録において注目すべきは、術者が最後まで状況を深刻に捉えていないことだ。増殖が止められないことに気づいていながら、「かわいい」という主観的評価が危機認識を上回り続けている。
結果として、文明は崩壊した。
増殖したねこは全大陸の食糧を消費し尽くし、生態系を不可逆的に破壊した。人類を含む大型生物の大半が圧死・餓死し、社会機能は完全に停止した。
チャビは、たしかにかわいかった。
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会話:
「ねこで文明滅んだんすか」
「滅んだ」
「最高じゃないっすか」
「最高ではない」
「いや、でも、記録のあの人ずっと幸せそうだったっすよ。最後まで」
「そうだな。それが問題なのだが」
「悪意がないってことっすよね。浮遊魔法の人もそうだったけど」
「禁忌魔法の多くはそうだ。悪意のある使用より、善意や好奇心による使用の方が、被害が大きくなる傾向がある。悪意には目的がある。目的があれば、どこかで止まる。善意と好奇心には歯止めがない」
「深いこと言いますね」
「何千回か見ていれば、嫌でも気づく」
「……ところで、あとがきの最後に『チャビはたしかにかわいかった』って書いてあるんすけど」
「書いてあるな」
「賢者様の感想っすよね、それ」
「記録の補足だ」
「感想っすよね」
「……記録を参照した者への注意書きだ。記録中の主観的評価が妥当であったことを付記した」
「ねこ好きなんすか」
「好き嫌いは分析に不要な情報だ」
「好きなんすね」
「……次の記録に移ろう」
「そのうち禁忌図書館でもねこ飼いましょうよ」
「一匹だけなら構わない。一匹だけなら」
「増やさないっすよ。さすがに」




