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第2話 静寂魔法

魔法名:静寂魔法

---------------

説明:音を消す。

---------------


記録:


 大図書館は、いつもうるさかった。


 本を読む場所だ。本を読む場所なのだから、静かにしてほしい。何度もそう言った。何度も言ったのに、誰も聞かない。


 学者たちは議論を始める。魔術師たちは詠唱の練習を始める。学生たちは恋の話をする。商人たちは取引の話をする。子供たちは走り回る。なぜ図書館で走るのか。なぜ図書館で笑うのか。なぜ図書館で叫ぶのか。


 ここには千年分の知識がある。何百人もの司書が、何世代もかけて集めた書物がある。背表紙の一つ一つに歴史がある。それを読むための場所だ。敬意を払ってほしい。静かにしてほしい。


 お願いだから。


 図書館の規則は何度も改定した。「私語禁止」と書いた。聞かない。「静粛に」と張り紙をした。聞かない。罰則を設けた。少しだけ静かになった。しかし罰則を告知する声がうるさかった。本末転倒だった。


 魔法に頼ることにした。


 音を消す魔法。発想は単純だった。空間内の音を打ち消す。完全な静寂を生み出す。図書館にこれほどふさわしい魔法があるだろうか。


 開発には思ったより手間がかかった。音を消すとは何を消すことなのか。音とは空気の振動だ。ならば振動を止めればいい。振動を止める。空気の振動を止める。そうすれば、音は消える。


 何度か実験した。まず自分の部屋で試した。小さな範囲に魔法をかける。音が消える。指を鳴らしても、何も聞こえない。成功だ。壁を叩いても聞こえない。本を落としても聞こえない。完璧な静寂。


 少しだけ寒くなった気がしたが、窓が開いていたからだろう。


 満足した。これを図書館に適用すれば、全てが解決する。


 実行は早朝を選んだ。利用者が来る前に。開館前の図書館は、当然だが静かだった。皮肉なものだ。誰もいなければ静かなのに。


 立ち位置は館の中央。ここからなら魔法が全体に行き渡る。天井まで伸びる書架を見上げる。美しい図書館だ。この空間にふさわしい静けさを。


 魔法を広げた。図書館全体に。


 音が消えた。


 完璧だった。自分の足音すら聞こえない。呼吸の音も聞こえない。本のあいだを通り抜ける微かな空気の流れの音さえ、もう──


 白い。


 吐いた息が白かった。


 おかしい。今は夏だ。


 見下ろすと、足元の石畳に霜が広がっていた。速い。目に見える速さで、霜が地面を覆っていく。靴の先が白くなる。


 書架を見た。本の背表紙に、細かい氷の結晶がびっしりとついていた。一冊手に取ろうとした。指が動かない。手を見た。指先が白い。


 息を吸った。肺に刃物を入れられたような冷たさだった。


 音は完璧に消えていた。悲鳴も上げられなかった。


 書架の木が軋む音がするはずだった。氷が割れる音がするはずだった。何も聞こえない。私が望んだ通りの、完璧な静寂の中で、図書館の全てが凍りついていく。


 本が。


 私の本が。


 手を伸ばした。指がもう動かなかった。


---------------


あとがき:


 音とは、空気を構成する粒子の振動である。


 振動は、すなわち運動エネルギーだ。粒子の運動エネルギーの総量が、その空間の温度を決定する。振動を消すということは、運動エネルギーを消すことであり、温度を消すことと同義だ。


 静寂魔法を空間全体に適用した場合、その空間の全ての粒子の振動が停止する。温度は限りなく零に近づく。液体は凍結し、気体は液化・固化し、生物の体内のあらゆる化学反応が停止する。


 大図書館は一瞬で凍結した。書物のほぼ全てが失われた。


 ……当時は未熟だった。実験段階で温度低下に気づいていたにもかかわらず、窓のせいにした。先入観による見落としだ。

 

 これ以上の記述は不要とする。


---------------


会話:


「…………」


「……何だ」


「いや」


「何だ」


「賢者様、これって黒歴史ってやつですか?」


「くろれきし」


「なかったことにしたい過去っす」


「……その定義は不正確だ。この記録は禁忌図書館に保管されている。なかったことにはしていない」


「いや、あの、あとがき。すごい短いっすね。いつもはもっと長いのに」


「必要な情報は記載した」


「『窓のせいにした』って書いてあるんすけど」


「事実を記録しただけだ」


「窓て」


「……次の記録に移ろう」


「いや待って。じゃあ大図書館の本って全部ダメになったんすか」


「ほぼ全て凍結により損傷した。……修復には時間がかかった」


「修復ってことは直せたんすか」


「本の修復は可能だ。だが、凍結前の配架順序まで完全には復元できなかった。一部の本は未だに元の場所が特定できていない」


「何百年前っすか」


「……かなり昔のことだ」


「まだ気にしてるんすか」


「気にしていない。配架順序は些末な問題だ」


「顔。顔が些末じゃないっす」


「次の記録に移ろう」


「あっ、最後に一個だけ。記録のとき、本が凍っていくの見て手を伸ばしてたじゃないっすか」


「…………」


「自分の体が凍ってるのに、本の心配してたのが、なんか……すごい賢者様っぽいなって」


「……それは、褒めているのか」


「褒めてるっす」


「……そうか」


「はい」


「……次の記録に移ろう」


「了解っす」


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