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第14話 圧縮魔法

魔法名:圧縮魔法

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説明:物体を小さくまとめる。

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記録:


 この都市は、自分の出すものに潰されかけていた。


 朝になると路地の隅に袋が積まれ、昼には市場の裏に腐った野菜が山になり、夜には川沿いに壊れた家具や灰が捨てられる。風向きが悪い日は、役所の窓を閉めても臭いが入ってきた。夏は蝿が増え、冬は埋めたはずの場所から煙が上がる。人は増える。家も増える。だが、捨てる場所だけが増えない。


 私は廃棄管理局の局長だ。


 子供の頃から、この街の臭いを知っている。雨上がりの石畳の匂いも、焼きたてのパンの匂いも知っているが、それ以上に、放置されたゴミが街そのものの匂いを食い潰していくのを知っている。


 だから、圧縮魔法が来たとき、私は救われたと思った。


 初めて見た日のことをよく覚えている。荷車二台分の廃材と生ゴミと灰を、術者がひとまとめにして、掌の前でぎゅっと縮めた。音はしなかった。ただ山が小さくなって、小さくなって、最後には親指の爪ほどの黒い粒になった。


 粒は宙に浮いていた。


 魔法が一点に押し込めているのだと説明を受けた。崩れない。漏れない。臭わない。燃えない。埋立地もいらない。保管所に並べておけばいいだけだと。


 私はその場で導入を決めた。


 予算を通し、倉庫を改装し、保管棚を作らせた。反対もあった。そんな小さな粒に街じゅうのゴミを詰め込むのは気味が悪い、と。しかし気味が悪かろうが、路地で腐るよりましだ。私は押し切った。


 一年目で苦情は半分以下になった。


 市場の裏が臭わなくなった。川に不法投棄される量も減った。夏の蝿が目に見えて少なくなった。役所には礼状まで届いた。「最近、街がきれいですね」と。廃棄管理局宛てに礼状が届くことなど、それまで一度もなかった。


 私はそれを机の引き出しにしまって、時々読み返した。


 二年目には、近隣都市から視察が来た。私は誇らしかった。保管所の扉を開け、棚に並ぶ粒を見せた。古い布、壊れた桶、食べ残し、灰、割れた皿、全部ここにあるのだと言った。視察の役人は眉を上げ、魔術師は興味深そうに粒を覗き込んだ。私は少し咳払いをして、触れても問題ないと説明した。


 実際、当時は問題なかった。


 粒は冷たく、重さを感じさせないまま、その場に留まっていた。黒いものもあれば灰色のものもある。材質によって色味が違うらしかった。私は棚番号を振り、搬入日を記録し、保管量の推移を表にまとめた。


 数字が減っていくのを見るのが好きだった。埋立地使用量。街路清掃回数。苦情件数。どれも減っていった。


 四年目の冬、第二保管所の点検で、棚の一本が妙に歪んでいるのに気づいた。


 下にたわんだのではなかった。粒の並ぶ壁のほうへ、ゆっくり引かれるように曲がっていた。最初は施工不良かと思った。寒さで鉄が縮んだのかとも思った。


 技術顧問を呼んだ。


 老人は粒と棚を見比べ、しばらく無言だったあとで言った。


「密度が高いので、引力がわずかに強くなっているのでしょう」


「わずか、ですか」


「棚を曲げる程度です。実害はありません」


 私は胸を撫で下ろした。


 棚が一本曲がるくらいなら、交換すればいい。路地全体が腐るよりは、ずっと安い。私は新しい棚の発注書に署名した。


 五年目、職員が一人、第一保管所の巡回から戻ってきて言った。


「扉の前まで行くと、足が重くなるんです」


 疲れているのだろうと笑った。だが同じことを言う者が三人続いた。私は自分で確かめに行った。


 たしかに、扉の前に立つと、靴底が石畳に少しだけ粘るような感じがあった。足首のあたりを、見えない手で下ではなく前へ引かれる。奇妙だった。酔うほどではないが、気持ちのいい感覚ではなかった。


 私はまた技術顧問を呼んだ。


 今度の彼は、説明の前に粒を数えた。保管量を記録簿と照らし合わせ、それから保管所の中央を長く見つめた。


「動いています」


「何がです」


「粒が」


 笑うところではないと思ったが、最初は冗談かと思った。粒は棚に固定され、宙に浮いている。それ以上でも以下でもないはずだった。


 老人は私を棚の間へ連れていった。


 よく見れば、たしかに間隔が変わっていた。昨日までは指三本分あったはずの距離が、今日は二本半になっている。ほんのわずかだ。記録をつけている人間でなければ、気づけなかったと思う。


「引き合っているのです」

「分離できますか」

「試してみましょう」


 魔法使いが何人か呼ばれた。反発魔法。固定魔法。切断魔法。どれも決定打にならなかった。粒は動きが鈍るだけで、やめなかった。夜のあいだにも、少しずつ距離を詰めた。


 私は眠れなかった。


 記録簿を開き、導入初年度の数字を見返した。あの礼状も読んだ。街は本当に良くなったのだ、と自分に言い聞かせた。今さら、この魔法そのものが誤りだったとは思いたくなかった。


 六年目、第一保管所は閉鎖した。


 壁が内側に歪み始めたからだ。


 最初は漆喰に細いひびが入っただけだった。次の週には窓ガラスがすべて割れた。割れた破片は地面に落ちず、建物の中心へ吸い込まれるように飛んでいった。職員が悲鳴を上げた。私は退避を命じた。


 建物の中では、数年分の粒がもう一つの塊になりつつあった。


 見えない、というのは正確ではない。そこに何かがあるとわかる。だが、目がうまく輪郭を取れない。空気がゆらいでいるようにも見えるし、そこだけ景色が欠けているようにも見える。近づくと吐き気がした。


 境界線を引いた。建物から百歩の場所に杭を打ち、赤い縄を張った。


 その内側では、小石がじわじわと中心へ転がった。落ち葉も、埃も、雨水さえ、わずかに向きを変えた。


 報告書を書いた。危険性は限定的、封鎖により対応可能、追加保管の停止を提言、と。なるべく冷静な文面にした。役所の文書は冷静でなければ通らない。


 だが半年後、その文書はもう役に立たなくなった。


 境界線の外の家々が傾き始めたからだ。


 最初に苦情を言いに来たのは仕立屋だった。店の床に置いた針が、毎朝同じ方向に転がっていくと。次はパン屋で、焼き網が壁に立てかけておくと勝手に倒れると言った。最後は学校で、教室の机がじわじわと前へずれると騒ぎになった。


 私は現場を見て回った。


 どの家も同じ方向へ少しだけ傾いていた。棚の皿は片側に寄り、戸は勝手に閉まり、屋根瓦はある日ふっと一枚消えて、あとで保管所の外壁に砕けて張りついているのが見つかった。


 私は境界線を広げた。


 広げるたび、住民は荷物をまとめて出ていった。怒鳴る者もいれば、黙って睨む者もいた。子供が、どうしてうちだけ出ていかなきゃいけないのと泣いた。私は答えられなかった。


 それでも、まだどこかで間に合うと思っていた。


 王都の学者に書簡を送った。遠方の塔にいる大魔術師にも送った。圧縮を解除する方法。引力を遮断する方法。別の空間へ移送する方法。返ってきたのは、難しい、前例がない、研究が必要、という言葉ばかりだった。


 その頃には、第一保管所の屋根はもう半分なくなっていた。


 七年目の春、私は最後の現場確認に入った。


 止められた。全員に。副局長にも、衛兵にも、魔術師にも。だが局長の印章が必要な書類がまだ中にあった、と言ったのは半分本当で、半分嘘だった。本当は、自分の目で見たかった。


 自分が何を作ったのかを。


 建物の中は静かだった。


 静かすぎた。木の軋みも、砂のこすれる音もない。音がないのではなく、音が続かない感じがした。何かが途中で食われているような。


 中央に、それはあった。


 黒い穴、という言葉では足りない。穴なら、縁があるはずだ。奥行きがあるはずだ。だが目の前のそれは、縁も奥行きも、形の手がかりそのものを拒んでいた。ただ、そこに近いものが全部そこへ行く、という事実だけがあった。


 私の袖の端が引かれた。床の砂が滑った。息を吸うのが少し重くなった。


 ふと、礼状のことを思い出した。


 最近、街がきれいですね。


 私は笑ってしまった。こんなもののために、街をきれいにしたのかと。いや、違う。違わない。私は本当に街をきれいにしたのだ。最初は。確かに。あの数年間だけは。


 次の瞬間、足元の石が砕けて前へ跳ねた。


 私は反射的に後ろへ飛んだ。転んだ。床を這った。這いながら、もう一度だけ振り返った。


 中央の向こう側の壁が見えなかった。


 いや、壁だけではない。差し込んでいた光も、途中で終わっていた。


 光すら、出られないのだと、そのとき初めて理解した。


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あとがき:



 圧縮魔法は、対象物を一点へ押し込み続ける。


 通常の運用範囲では、それは単に「小さくまとまる」効果として観測される。だが魔法は、圧縮後の密度に上限を設けていなかった。術者は体積の減少だけを利用し、その先に生じる物理的影響を考慮していない。


 高密度化した物質は周囲に強い引力を及ぼす。保管粒子が互いに引き合えば、合体によって質量が加算され、引力はさらに増す。記録中の保管所で起きた現象は、この正のフィードバックによるものだ。


 ある臨界を越えた後、現象はもはや「ゴミの保管」ではなくなる。圧縮は圧縮のまま進み、密度は上がり続ける。


 記録の最後に術者が見たものは、光すら脱出できない領域だったと推定される。


 世界を壊すのに悪意はいらない。彼はただ、ゴミを片付けていただけだ。


---------------


会話:


「うわ……」


「何だ」


「これ、静かに怖いやつっすね。派手に爆発するんじゃなくて、役所の書類仕事みたいな顔で終わりに向かってる」


「実際、書類仕事だったのだろう」


「それが嫌なんすよ。しかも局長、ちゃんと仕事してるじゃないっすか。苦情を減らして、予算通して、視察まで受けて」


「善意と職務感は、災厄の予防にならない」


「むしろ遅らせることもあるっすね。自分が正しい成果を出してるって信じてるから」


「そうだ。最初の成功が大きいほど、誤りを認めるのは難しくなる」


「『最近、街がきれいですね』がきついな……。間違ってないんすよね。最初は本当に良くなってる」


「だから厄介なのだ」


「賢者様が言うと重みが違うっすね……。ところで、ゴミ処理の役人が偶然ブラックホールを作るって、やっぱり魔法のコストの問題っすよね」


「同じ結論に辿り着くな。魔法は密度に限界を設けていない。圧縮は圧縮。どこまでも」


「古典物理しか知らないから、相対論的な制約がないってことっすか。壁がないから素通りする」


「そして壁の向こうには、光すら出られない穴がある」


「世界を壊すのに悪意はいらない。いつものパターンっすね」


「……おそらく、まだ越えていない壁がある。まだ見ていない穴がある」


「それでも一つ一つ封印していくんすよね」


「他にやることがない」


「それがかっこいいんすよ」


「かっこよくはない」


「かっこいいっす。俺が保証するっす」


「お前の保証に何の権威が」


「ないっす。でも言いたかったんす」


「……次の記録に移ろう」

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