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第12話 反転魔法

魔法名:反転魔法

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説明:性質を裏返す。

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記録:


 裏返す。


 生業としてはこれ以上なく単純な話で、壊れたものを直すのが私の仕事だ。凹んだ鍋の裏表を反転させれば、凹みは凸になる。もう一度叩いて馴染ませれば、元通りだ。


 反転魔法は万能ではない。裏表のあるものにしか使えない。穴が空いた布は、裏返しても穴は穴のままだ。だが、凹みや歪みや曲がりには抜群に効く。金属の鎧の歪みを直す仕事が最も多い。騎士が持ち込んでくる。「昨日の試合で凹んだ」と言って。いつも同じ場所が凹んでいるから、たぶんあの騎士は左の守りが甘い。


 あとは日用品の修理だ。椅子の脚が内側に曲がったら、反転で外側に戻す。靴底の減りを反転させて、新品同様にする。革の表裏をひっくり返して、裏地を表にする。こういう地味な仕事を、もう二十年やっている。


 ある日、面白いことに気づいた。


 鎧の修理中だった。凹みを直すために反転魔法をかけたとき、鎧の表面の傷も一緒に反転した。傷というのは金属が削れて溝になったものだ。反転させると、溝がわずかな出っ張りに変わる。指で触ると、確かに盛り上がっている。削れたものが、戻ったかのように。


 これは修復ではない。あくまで反転だ。溝が逆になっただけだ。でも面白い。性質を裏返すと、失われたものが戻ったかのように見える。


 何が反転できるのか、試してみたくなった。


 まず水。杯の水に反転魔法をかけた。何も変わらないように見えた。水は水のままだ。ただ少しだけ、温かい水がぬるくなった気がした。よくわからない。


 次に木の板。反転させた。表と裏がひっくり返った。通常の使い方だ。


 塩。反転させたら、甘くなった。嘘のようだが本当だ。舌に載せたら甘かった。これは使えるかもしれない。甘味料は高いのだ。


 いくつか試すうちに、何を反転させるかで結果が変わることがわかってきた。形を反転させれば凹凸が入れ替わる。味を反転させれば塩が甘くなる。温度を反転させれば熱いものが冷たくなる。反転の対象を、意識で指定できるのだ。


 では。


 物そのものの性質を反転させたらどうなるのか。


 形ではなく。味でもなく。温度でもなく。その物を構成する何か。物質そのものの性質。それを裏返したら。


 金床を使うことにした。いつも使っている相棒のようなもので、性質はよく知っている。重い。硬い。冷たい。鉄だ。重さは私の体の半分くらいだろう。


 これの「鉄であること」を反転させたら、何になるのか。


 鉄の反対? そんなものがあるのかわからないが、試してみよう。


 工房の窓を開けた。春の風が入ってくる。隣の家で子供が遊んでいる声が聞こえる。通りを荷車が通る音。いつもの昼下がりだ。


 金床に手を置いた。冷たい。重い。よし。


 魔法をかけた。


 しろいひか


---------------


あとがき:


 反転魔法は性質を裏返す。通常は形状や状態の反転に用いられる生活魔法であり、危険性は低い。


 問題は、物質の根本的な性質を反転対象に指定した場合だ。


 記録の術者は、金床の「物質としての性質」を反転させた。反転した物質が通常の物質と接触した瞬間、双方が消滅し、莫大なエネルギーが放出された。


 この現象を、私はこう理解している。


 物質には正と負がある。正の物質と負の物質が触れると、互いに打ち消し合う。打ち消しの際に、物質そのものに内在するエネルギーが全て解放される。


 注目すべきは「全て」という点だ。通常の爆発や燃焼では、物質の中のごく一部のエネルギーしか放出されない。分離魔法による核の破壊ですら、解放されるのは結合のエネルギーであって、物質そのものは残る。だが正負の対消滅では、物質の存在そのものが消え、その全てがエネルギーに変わる。


 金床の重さはおよそ五十。その半分が反転し、残りの半分と接触して対消滅したとすると──記録魔法から逆算した爆発の規模は、既知のあらゆる噴火や爆発を遥かに凌駕する。術者の工房を中心に、王国一つが蒸発した。百を超える範囲の全てが消え、遠方の国々でも空が赤く染まったという。


 物質とは、想像以上に密度の高い何かでできているらしい。なぜこれほどのエネルギーが物質に内在するのか──ここには、私の知識では届かない法則があるように思う。


---------------


会話:


「……王国が消えた、って」


「消えた」


「金床一個でっすか」


「金床一個で、だ」


「……いやまあ、理屈ではそうなるんすけど。反物質って、同じ量の通常物質と触れると両方消えて、全質量がエネルギーに変わるんすよ。金床が五十キロとして、半分の二十五キロが反転して残りと対消滅。五十キロ分の質量がまるごとエネルギーに」


「それが王国を消す量なのか」


「余裕で消えるっす。地球で一番デカい爆弾が五十メガトンってやつで、これだとだいたい千メガトンくらい。二十倍以上」


「…………」



「あとがきに『物質そのものに内在するエネルギー』って書いてたじゃないっすか。あれ、ほぼ正解っす。地球の物理学だと、質量とエネルギーは同じものの別の姿なんすよ。めちゃくちゃ有名な式があって、エネルギーは質量に光の速さの二乗をかけたものに等しいっていう」


「光の速さ?とてつもなく大きいな。」


「それを二乗するからもっと大きくなる。ちょっとの重さからものすごいエネルギーが出る」


「……では分離魔法の核分裂も、同じ原理なのか。物質の一部が消えて、その分がエネルギーに?」


「あ、そうっす。核分裂は物質のごく一部が消えるだけなんすよ。変換効率にして0.1パーセントくらい。でも反物質の対消滅は100パーセント。全部変わる。桁が違う」


「……分離魔法のとき、私は『極小の結合に蓄えられた力が解放』と書いた。あれは不正確だったのか。蓄えられた力ではなく、物質そのものが力だった」


「えっと、核分裂の場合はむしろ賢者様の仮説のほうが近いっすよ。結合のエネルギーの話なんで。対消滅はまた別の仕組みで、同じ『物質からエネルギー』でも経路が違うんす」


「二つの現象が同じ根を持ちながら異なる経路を取る。興味深いな」


「賢者様、こういう話好きっすよね」


「知らないことを知るのは、悪くない」


「あ、あとこれ聞きたかったんすけど──あの職人さん、塩を反転させて甘くしてたじゃないっすか。あれ面白いなと思って」


「味覚の反転は、性質の反転としてはごく浅い階層だ。表面的な性質──温度、形状、味──と、根本的な性質──物質そのもの──では、反転の深度がまるで違う。浅い反転は安全だが、深く潜れば潜るほど解放されるものが大きくなる」


「じゃあ普通に使う分には、めちゃくちゃ便利っすよね。凹み直したり味変えたり」


「便利な生活魔法だった。禁忌にするのは忍びなかったが」


「金床一個で王国が消えちゃあ、仕方ないっすね」


「仕方がない」


「あの職人さん、いい人だったのに」


「ああ。好奇心が強く、手先が器用で、観察力がある。隣の騎士の守りの癖を鎧の凹みで見抜くあたり、ただの職人ではなかった」


「賢者様もそこ気づいたんすね。俺も思った。あの人、科学者の素質あるっすよ。仮説立てて、実験して、条件変えてって、手順が綺麗」


「この世界の多くの禁忌は、優秀な人間の好奇心から生まれている」


「……浮遊魔法の人も、停止魔法の人もそうっすね」


「愚かさが世界を壊すことは稀だ。聡さが壊す。いつも」


「……それ、さりげなく自分のことも言ってます?」


「何のことだ」


「静寂魔法」


「……次の記録に移ろう」


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