第11話 代償魔法
魔法名:代償魔法
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説明:代償を差し出して願いを叶える。
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記録:
王は、良い王だった。
私はこの国の書記官として三十年仕えてきた。三人の王に仕え、今の王は四人目だ。四人の中で最も聡明で、最も慈悲深く、最も行動力がある。断言してもいい。この王の治世は、この国の黄金期になるはずだった。
飢饉の年に、王は奇跡を起こした。
天候不順で作物が壊滅し、備蓄も底をつきかけていたとき、王は宮殿に籠もり、三日三晩祈りを捧げた。四日目の朝、倉庫に穀物が山と積まれていた。どこから来たのか誰にもわからなかった。王は「祈りが届いた」とだけ言った。
民は王を神の使いと呼んだ。
その年の冬、疫病が南部の港町から広がった。薬師の手に負えないほどの勢いだった。王は再び祈り、疫病は一夜にして消えた。病床にあった者が次々と回復した。
翌年、北方の蛮族が国境を越えた。数万の軍勢。我が国の兵力では到底支えきれない規模だった。王は出陣し──三日後、蛮族は撤退した。何が起きたのか、前線の指揮官にも説明できなかった。ただ「敵が混乱し、勝手に崩れた」とだけ報告があった。
奇跡の連続だった。王が望めば何でも叶う。飢饉を止め、疫病を消し、戦に勝ち、旱魃を退け、洪水を鎮めた。国は繁栄した。
最初に異変に気づいたのは、宮廷の人事だった。
王の側近に、ターナルという若い軍師がいた。天才と呼ばれた男で、戦術の才は国中に知れ渡っていた。ある朝、ターナルが階段から落ちて首の骨を折った。ただ階段を降りていただけだった。
惜しい男を失った。だが、事故はある。
翌月、財務長官が急死した。持病はなかったと聞いている。その翌月、外交顧問が馬に蹴られて片腕を失い、引退した。
偶然だ。偶然のはずだ。
だが、一年で七人の優秀な臣下が死ぬか、職を失うか、去っていった。七人。一年で。全員が、王の周辺にいた有能な人間だった。
補充しようとした。各地から優秀な人材を集めた。集めた端から事故に遭った。病に倒れた。発狂した。理由のない不幸が、王に必要な者だけを狙い撃ちにしているかのようだった。
気のせいだと思おうとした。
二年目。偶然が偶然の範疇を超え始めた。
王が出席する会議で、天井の梁が落ちた。王は無傷だった。王の隣にいた三人の顧問が死んだ。三人とも、国を支える知恵者だった。
城下町で火事が起きた。王宮には及ばなかったが、焼けたのは学者通りだった。大学が燃えた。図書館が燃えた。学者の半数が家を失い、国を去った。
作物の不作が始まった。昨年の豊穣が嘘のように、畑が枯れた。王は祈って奇跡を起こした。作物は戻った。だが翌週、港が嵐で壊滅した。
王は祈った。港は直った。翌月、鉱山が崩落した。
王は祈った。鉱山は直った。翌月──。
奇跡を起こすたびに、別の場所で災厄が起きているように見えた。
私は書記官だ。記録を取る。記録を並べれば、因果が見える。奇跡の翌日に災厄。災厄を奇跡で消せば、より大きな災厄。
だが、これを王に進言できるだろうか。「あなたの奇跡が災いを呼んでいます」と。証拠は状況証拠しかない。偶然の重なりと言われればそれまでだ。何より、王は善い人間なのだ。民を守りたいだけなのだ。
三年目。王の髪が白くなった。まだ四十にもならないのに。目が落ち窪み、頬がこけた。奇跡を起こすたびに何かを失っているかのように見えた。
国はどうにか持っている。しかし、三年前とは比べものにならない。かつての黄金期の面影はない。人材は払底し、残っているのは凡庸な者ばかりだ。いや──凡庸な者しか残れないのだ。優秀な者は、王の近くにいると死ぬ。
私が生き延びているのは、私が凡庸だからだろう。書記官の才能は、優秀さとは違う。記録を取り、整理し、並べる。それだけの仕事だ。それだけの人間だ。
四年目の春。
王が死んだ。
落馬だった。何千回と乗ってきた馬が、何でもない平地で突然暴れた。王は投げ出され、石に頭を打った。
即死だった。
奇跡の王。飢饉を止め、疫病を消し、戦に勝った王。その王が、石に頭をぶつけて死んだ。
葬儀の後、玉座を継いだのは王の息子だった。十五歳の少年で、才能は未知数だが、少なくとも父ほどの聡明さは感じられなかった。宮廷は凡庸な臣下ばかりだ。
私は書記官の机に戻って、記録を読み返した。
奇跡が始まる前と後。失われたものの目録。死んだ者、去った者、壊れたものの一覧。
全て、奇跡の後に起きている。
全て、奇跡と引き換えに奪われているかのように。
だが、確信は持てない。私は書記官であって、魔術師ではない。因果を証明する手段を持っていない。
記録だけがある。記録だけを残す。
いつか、この記録を読んだ誰かが、答えを見つけてくれるかもしれない。
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あとがき:
代償魔法。当時は奇跡魔法と呼ばれていた。
原理はこうだ。代償魔法は願いを叶える代わりに、術者の未来から等価の幸運を引き抜く。引き抜かれた幸運は空白になり、空白には不幸が流れ込む。大きな願いには大きな空白が生まれ、空白は術者の周囲に波及する。術者の近くにいる有能な人間は代償として排除される。事故、急病、発狂、失踪。因果の帳尻が、術者の周囲から才知ある者を消していく。使った者に気づかせず、巻き戻しすら受けつけない。ひどく出来の悪い魔法だ。
そして代償は、修復魔法で巻き戻せない。
ここから先は禁忌の分析ではない。私の失敗の記録だ。
代償魔法に遭遇したのは、私が生まれてからまだ千年も経っていない、若い頃だった。修復魔法を手にして間もなく、禁忌魔法の蓄積はほとんどなかった。世界が崩壊した原因を特定する技術も、経験もなかった。
一回目のループで、原因を見つけられなかった。
世界が壊れた。直した。何も封印できないまま、同じ世界が走り始めた。次の崩壊は三百年後だった。別の禁忌魔法だった。それは封印できた。直した。
次は百年後に壊れた。早い。また別の禁忌だった。封印した。直した。五十年後に壊れた。封印した。直した。二十年。十年。五年。
間隔が縮まっていた。封印は増えているのに、崩壊は加速していた。
何度目かのループで、ようやく気づいた。世界から知恵が消えている。才能ある者が育たない。偶然が常に悪い方に傾いている。禁忌魔法の問題ではない。世界そのものが脆くなっていた。
代償が蓄積していたのだ。
代償は修復で消えない。ループのたびに、過去の文明の王たちが代償魔法を使い、代償が積み上がり、それが巻き戻されずに次のループへ持ち越される。私がループを重ねるほど、世界は代償を背負い込んでいった。
三百年に一度だった崩壊を、五年に一度にまで縮めたのは、私だ。
代償魔法を特定し、封印するまでに要した時間を、ここには書かない。嘘の魔術理論を世界に浸透させ、代償魔法への到達経路を一つ一つ塞ぎ、封印魔法で発動を阻害し、それでも染みついた代償の残滓を薄めていく作業は、修復よりもずっと長くかかった。
崩壊の間隔は、現在ようやく三十年程度にまで回復した。元の三百年には遠い。
この魔法の開発者を、私は許していない。
代償魔法は使用者に因果を隠す。使った者は代償に気づけない。記録の王も、書記官が因果を疑っていたことを知らず、善意のまま奇跡を起こし続けた。知っていれば使わなかっただろう。知ることができない仕組みになっている。
巻き戻せない。消せない。使った者にすら見えない。
なぜ代償だけが修復の外にあるのか。わからない。私の魔法はあらゆるものを巻き戻せる。時間を、物質を、記憶を、命を。なのに代償だけが残る。
何度やり直しても。奪われたものは、戻らない。
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会話:
「…………」
「…………」
「賢者様。あとがき、読みました」
「……そうか」
「今まで読んだ中で一番長い。それに──」
「それに?」
「いや……。あの書記官の人って、すごいっすね。記録を並べて因果に気づきかけてた」
「優秀だった。魔術の知識があれば、もっと早く因果に触れられたかもしれない」
「王様がみんなバカなのって、全部代償のせいなんすか」
「全てではない。だが、代償の蓄積が有能な人間を排除し続けた結果、世界全体の知性の水準が下がっているのは事実だ」
「……じゃあ、三百年が五年になったっていうのは」
「私がループを重ねたことで代償が蓄積した結果だ」
「賢者様のせいじゃないっすよ、それ」
「私のせいだ」
「違うっすよ。代償魔法を作ったやつのせいじゃないっすか。賢者様は直そうとしてただけで」
「直そうとするたびに、世界を壊しやすくしていた。それは事実だ」
「……でも、気づいたんすよね。五年まで縮まったところから、三十年まで戻した」
「戻した、というより、これ以上薄まらないのだ。三十年が限界かもしれない」
「それでも六倍に延ばしたんだから、すごいっすよ」
「…………」
「あの、一個聞いていいっすか」
「なんだ」
「禁忌魔法に出てくる人たちがみんなバカなのって」
「代償の蓄積の影響かもしれない。あるいは、そうでないかもしれない。証明はできない。だが、代償魔法が使われた後の世界は、使われる前の世界より少しだけ、判断が鈍い。指導者が愚かで、偶然が残酷で、本来なら起きなかった崩壊が起きる」
「……それ、賢者様がずっと見てきたパターンっすか」
「ずっとだ」
「……賢者様」
「なんだ」
「賢者様も、わからないんすよね。代償がどこに行ってるのか」
「わからない。時間の外なのか、世界の外なのか。仮説すら立てられない。修復魔法で届かないということは、私の魔法の座標系の外にある。それだけは確かだ」
「なんか、停止魔法のときの話に似てるっすね。魔法が前提にしてない場所がある、みたいな」
「……そうかもしれない」
「……お茶、淹れましょうか」
「……頼む」
「今日はいい葉っぱ使いますね」
「……ああ」




