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バベルの揺り籠

掲載日:2026/05/26

カジノには時計がない。


私は、隣の男の端末の数字が、容赦なく減っていくのを見ていた。

847。

一時間前は851。三時間前は859。


「まだ大丈夫ですよ」


男が、静かに微笑む。


「私のスコアなら、あと三回は負けられる計算です。四回目は、さて……どうでしょうね」


ディーラーの声が響く。


「次のゲームを始めます」


テーブルを囲む六人——いや、五人。

左端の老人は、もう数字を見ていない。

彼の端末には、19と表示されている。


「あと二回負けたら終わりですね」


彼が囁く。


「あの年齢で19しか残っていない。……きっと、誰かのために使ったんでしょう。家族とか、子どもとか。で、自分のぶんは残っていない」


男が笑う。


「美しい話ですね。でも、このゲームでは何の意味もない。…あの震え、見えますか? あれは恐怖です。恐怖で判断する人間は、必ず負けます」


私は老人を見る。

確かに、手が震えている。


男は手元のチップを一枚、テーブル中央に滑らせる。

他の四人も続く。


老人は——二枚出した。


「愚かですね。焦って、一発逆転を狙っている。……あなたなら、絶対にそんな賭け方はしないでしょう?」


ディーラーがカードを配る。

男の手札は——ストレート。

悪くない。


「いい手ですね。六割の確率で勝てるでしょう」


右隣の青年は不敵に笑っている。手首の端末は1,203。


「彼は若いですね」


男が囁く。


「おそらく、良い教育を受けたんでしょう。親が全財産を注ぎ込んで、良い学校、良い塾、良い履歴書——その結果が、あの1,203です」


男は微笑む。


「投資は成功したわけですね。親のチップと引き換えに」


全員が手札を開く。

結果——男の右隣の青年が、フルハウスで勝利した。


チップが青年の前に集まる。

老人の端末の数字が、19から15に減る。


「ほら」


男が囁く。


「予想通り、彼は負けました。次も負けるでしょう。その次も。……そして、消える」


私は老人を見る。

彼は座ったまま、ただ数字を見つめている。


「あなたが私なら、助けますか?」


男が問う。


「チップを少し分ければ、彼は次のゲームに参加できる。……ちなみに、私は渡しません」


彼が頷く。


「自分のチップは、自分のもの。他人のために使う義務はありません」


男が立ち上がる。

休憩時間だ。


「喫煙室へ情報収集に行きます。付いてきますか?」


廊下を歩きながら、男が呟く。


「このシステムは、揺り籠です」


私は男の背中を見つめる。


「守ってくれているように見えるでしょう? ルールがあって、秩序があって、安心できる。でも実際は——閉じ込められているだけです」


彼が微笑んだ気配がした。


「そして、いつか必ず転落する。

 ゼロという名の、地面に」


私は、前を歩く男の端末を見る。

847。


男は、あと三回は負けられる。

四回目は——


「知りたいですか?」


目線を上げると、男が後ろを振り返っている。


「四回目の後、何が起こるか。私がゼロになったとき、どこへ行くのか」


彼が微笑む。


「私も知りたいんですよ。いつか、この数字がゼロになる瞬間を。……それとも、あなたが先にゼロになるほうが早いでしょうか?」


私は、自分の手首を見る。


そこには——

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