第6話 魔王からの呼び出し。異世界和平の通訳任務、開幕。
夜が明ける。
石造りの廊下に、カリカリとペンの音が響いていた。
「……ふぅ。これで三十枚目」
魔王城・第四軍団の執務室。
机の上には、積み上がった書類の山。
昨日までの交渉報告書、部隊通信の翻訳、兵糧契約の議事録……。
どれも難解な言い回しばかりだ。
しかも魔族の言語は方言が多い。文末が違うだけで意味が真逆になったりする。
(あー……これ、地球の契約書より神経使うな)
翻訳ペンを走らせながら、ふと机の隅のマグカップを見やる。
中には、黒く濁った液体――
「まぁ……見た目はコーヒーっぽいけど」
味は正直まずい。
苦いどころか、舌が少し痺れる。
「これを飲むと頭が冴える」とヴェルドに勧められたが、
完全に魔族の味覚だと思う。
(あぁ……コンビニのアイスコーヒーが恋しい……)
異世界転生してから二週間。
気づけば、俺はもう魔王軍の正式な通訳官として働いていた。
―
「セージ、こっちも頼む」
「は、はい!」
ヴェルドが差し出したのは、外交文書の束。
封蝋が押された赤い書類には、魔族の印章が並んでいる。
「これは……“停戦条件案”?」
「そうだ。第一軍団が作成した草案だが、内容が乱暴すぎる。
翻訳して、人間側に送れる形に整えてくれ」
「え、俺がですか!?」
「お前以外に誰がいる」
その言葉に苦笑いしか出ない。
(ブラック企業感が増してきたな……)
だが、やるしかない。
紙をめくりながら、俺はペン先を走らせた。
“互いの領土を現状のまま保有する”
“捕虜は交換する”
まではいい。
けど最後に――
“違反した者は即時処刑”
(おいおい、これで“和平交渉”って言うのかよ……)
―
昼頃。
ようやく報告書を書き終え、肩を回したときだった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「第四軍団通訳官、セージ殿はいらっしゃるか」
入ってきたのは、真紅のマントを羽織った使者だった。
胸には見たこともない金色の紋章。
ヴェルドがすぐに立ち上がる。
「……その紋章、まさか」
「はい。陛下直々の伝令です」
「魔王陛下が、通訳官セージ殿を謁見に呼んでおられる」
「………………は?」
ペンを持ったまま固まった。
「お、俺が、ですか? 間違いじゃ――」
「間違いない。陛下は先日の尋問の一部始終を知っておられる」
「え、いや……俺、まだ研修中みたいなもんですよ?」
「通訳の研修などない」
(いや、そういうことじゃなくて!)
―
案内されるまま、長い回廊を歩く。
石壁には古代語の刻印、黒い炎が揺らめく燭台。
廊下に飾られた絵画には、かつての戦争の様子が描かれていた。
(魔族の歴史って、重いな……)
隣を歩くヴェルドは無言のまま。
その横顔を盗み見ながら、俺は小声で聞いた。
「ヴェルド将軍、魔王って……どんな方なんですか?」
「……理解しがたい方だ。だが、理不尽ではない」
「それ、安心していいのか微妙ですね」
「私でさえ、年に一度話せるかどうかだ。気を引き締めろ」
(やっぱり緊張しかない……)
―
やがて、巨大な扉の前にたどり着く。
黒曜石のような重厚な扉がゆっくりと開かれ、
眩い光が差し込んだ。
奥に、玉座。
黒と金の装飾に包まれた椅子。
そこに、ひとりの男が座っていた。
――魔王。
漆黒の髪、紅の瞳。
その顔立ちは人間とほとんど変わらない。
けれど、ただ存在しているだけで空気が震えていた。
俺は思わず膝をつく。
「第四軍団通訳官、セージ。お呼びにより参上しました」
「顔を上げよ」
静かな声だった。
怒鳴るでも、威圧するでもない。
けれど一言一言が、胸の奥に重く響く。
ゆっくりと顔を上げる。
魔王は微笑していた。
「お前が“言葉の通訳者”か」
「は、はい。まだ未熟ですが……」
「未熟でもいい。お前の力は聞いている。
“言葉の裏”を見抜き、嘘を暴いたそうだな」
「あれは……偶然というか、加護が勝手に……」
「加護、か」
魔王は玉座の肘掛けを軽く叩いた。
「この世界では、言葉が剣よりも恐ろしい。
ひとつの誤訳が、国を滅ぼすこともある。
――ゆえに私は、その力を確かめたい」
「確かめる……とは?」
「近く、人間領の代表と交渉を行う。
その場で、お前に“双方の通訳”を任せる」
「……えぇぇっ!?」
情けない声が出た。
「誤訳ひとつで戦が再開する。
だが、正しく伝えれば兵が救われる。
――それが、お前の役目だ」
「そ、そんな重大なことを俺に任せるなんて……」
「任せるからこそ、試練となる」
魔王の目が細められる。
その瞳に、嘘のない興味が宿っていた。
「それにしても、妙だな」
「……え?」
「我が言葉が通じるのは当然として、
お前の声もまた、“魔族語”ではないのに心に届く」
「……え?」
ヴェルドが口を開く。
「陛下。彼の加護には“共鳴”の性質があるようです。
嘘を嫌い、真を響かせる――その力が周囲にも及ぶのです」
「なるほど。だから我にも“意志”が届いたわけだ」
魔王は興味深そうに頷いた。
「言葉そのものより、真実の響きを伝えるか……。
まさに“真実の通訳者”だな」
その言葉に、少しだけ胸が熱くなった。
「通訳官セージ」
「は、はい!」
「問おう。――お前は、何のために“言葉”を使う?」
「……え?」
思わず固まる。
けれど、自然と答えが浮かんだ。
「人を繋ぐため、です」
「繋ぐ?」
「はい。
言葉って、本来は相手を理解するための道具じゃないですか。
だけど、誤解したり、嘘で濁らせたり……
そうやって、壊してしまうこともある。
俺は――それを止めたいんです」
魔王の瞳が細くなる。
そして、ゆっくりと頷いた。
「よかろう。では、その言葉の覚悟、見せてみよ。
人と魔の未来を繋ぐ、その舌で」
―
謁見を終えて外に出ると、足が震えていた。
ヴェルドが横で肩を叩く。
「よく耐えたな。あの方の前で正面から答えられる人間など、滅多にいない」
「……いや、内心ずっと死にそうでした」
「はは、顔には出ていなかったぞ」
「マジですか? 社会人スキルってやつですね」
「……よくわからんが、褒めておこう」
ヴェルドが微笑んだ。
その笑顔が、少しだけ人間らしく見えた。
「これでお前は、陛下直轄の“特務通訳官”だ。出世したな」
(……これ、出世なのか?)
思わず苦笑が漏れた。
でも、胸の奥が少しだけ温かい。
誰かの言葉を訳すだけの人生が、今は“世界を繋ぐ仕事”になっている。
(――この場所でなら、俺の言葉も、きっと届く)
静かに息を吐いた。
異世界の空は、どこまでも高く澄んでいた。
ありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




