第5話 尋問室で再会。通訳おじさん、異世界でかつての上司にざまぁする。
冷たい石の壁が、重く息を吸っているように感じた。
鉄の扉の前で立ち止まり、俺は深呼吸をひとつ。
胃がきゅっと痛む。まさか異世界に来てまで“上司に試される”とはな……。
「通訳官セージ」
背後から低い声が響く。バルザーク――第一軍団の将軍。
昨日、俺に「次の任務で確かめる」と言った男だ。
角の根元に刻まれた金の紋章が、燭台の光でぼんやりと光っている。
「これより尋問を行う。お前には通訳として立ち会ってもらう」
「……尋問、ですか」
「そうだ。貴様の仕事は“真を伝える”こと。偽りを見抜き、言葉の裏を暴く。それができるかを試す」
(おじさん、異世界でも人事試験……)
隣ではヴェルドがいつも通り冷静な顔をしている。
まるで「失敗したら減給です」とでも言いそうな雰囲気だ。
「感情は挟むな。通訳とは冷静な鏡だ。――わかったな」
「了解です……。努力はします」
努力って言葉、こっちの世界でも通じるかな。
俺がそんなことを考えていると、鉄の扉が軋む音を立てて開かれた。
―
尋問室の中は暗く、天井のランプが揺れている。
中央に置かれた椅子。
そこに、鎖で両手を拘束された一人の人間が座っていた。
「この者、人間領の国境付近で捕らえました」
副官の声が響く。
「“虚偽翻訳”というスキルを使用し、
相手の理解を歪めて商人たちを騙していたようです」
虚偽翻訳――。
言葉を使って人を操るスキル、か。
胸の奥がざわつく。なぜか妙に嫌な響きだった。
「ふむ、言葉を偽るとはくだらんな」
バルザークが腕を組んで見下ろす。
「通訳官。お前の仕事は、この人間の本音を引き出すことだ」
「……了解しました」
一歩踏み出した瞬間、その男が顔を上げた。
薄暗い灯りの下で、やつれた顔が露わになる。
スーツ。ネクタイ。サラリーマン風。
そして――その声。
「た、高槻……か? お前……高槻じゃないか!」
心臓が止まった。
その呼び方。
その、鼻につく声。
「……嘘だろ」
俺の前に座っていたのは、かつての直属の上司――片桐課長だった。
(なんでお前まで転生してんだよ……!
あの墜落便の同乗者!? よりによってお前かよ!)
思わず天井を見上げる。神様、何の罰ゲームだ。
社畜時代、俺の努力を全部“自分の手柄”にしてた張本人。
会議では平然と俺の資料を読み上げ、残業時間は“自己管理不足”と笑って切り捨てた。
その片桐が、鎖につながれて目の前にいる。
悪いけど――ざまぁ、って言葉が喉まで出かかった。
「おい高槻、なんでお前がここに!?」
「通訳官です」
「通訳!? お前みたいな地味なやつが!?」
ヴェルドが俺を見る。
「知り合いか」
「ええ、まぁ。前職の上司です」
「……奇遇だな」
(いや、奇遇ってレベルじゃねぇ……!)
「始めろ」
バルザークが命じる。
片桐の口元が歪んだ。
「俺は無実だ! 俺はただ、スキルを使って正しく交渉してただけだ!」
「“虚偽翻訳”でか?」
「ちょっと相手の理解を調整しただけだ! 営業トークみたいなもんだ!」
(うわ……語彙も言い訳も変わってねぇ)
俺はゆっくりと息を吐いた。
静かに相手の声を聞く。
……そういえば、前回の交渉のときも感じた。
言葉の意味だけじゃなく、その“温度”や“裏の感情”まで、なぜか伝わってくる。
(――これが、女神が言ってた“加護”か?)
翻訳じゃない。理解でもない。
相手の“本音”が、心の奥に直接届くような感覚。
俺はそれに意識を合わせた。
片桐の言葉が、表と裏の二重に聞こえる。
「俺は悪くない(バレなきゃ勝ちだ)」
「俺は正当だ(騙される方が悪い)」
(やっぱりな……この人、相変わらずだ)
「将軍、彼は“後悔している”と言っています」
俺は淡々と通訳する。
「ほう。少しは反省しているか」
「ただし、“バレなければまたやる”とも言ってます」
「なっ……!?」
片桐が真っ青になった。
「な、なに勝手なこと言ってんだ! お前、通訳だろ!?」
「通訳ですよ。だから、あなたの“本当の言葉”を訳してるんです」
「な……に……?」
バルザークが低く笑った。
「面白い。真実の通訳官と、虚偽の翻訳者か」
片桐が必死に叫ぶ。
「お、俺はお前の上司だったんだぞ!? 俺がいてやったから今のお前が――!」
「ええ、そうでしたね。
“俺がいなきゃお前は潰れてた”って、よく言ってました。
でも現実は、俺の翻訳がなきゃあなたの会議は一言も通じてなかった」
「黙れ……! 部下が上司に口答えするな!」
「上司? この世界に来たら、そんな肩書きは関係ないですよ。
俺はもう“あなたの部下”じゃなく、“真実を伝える通訳官”です。
それに――今の俺の上司は、ヴェルド将軍ですから」
バルザークが腕を組み、静かに言う。
「続けろ。嘘を切り裂け」
片桐はスキルを発動しようとした。
声が響くたび、空気がピリピリと震え、魔族たちが顔をしかめる。
「このスキルで俺は誰でも言いなりにできるんだ! そうだろう高槻!?」
「ええ、その顔、懐かしいですよ。自分が正しいと思い込んでる時の顔だ」
俺は静かに息を整えた。
耳を澄ませると、片桐の声の奥に“もうひとつの声”が重なって聞こえる。
『俺は悪くない(バレなきゃ勝ちだ)』
(やっぱり……言葉と心がズレてる)
その瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
まるで、何かが反応したように。
――次の瞬間、空気がビリッと弾けた。
「俺は悪くない!」
片桐が叫んだ。
だが、その声がまるで反響するように響き、
周囲の魔族たちには、まったく違う意味で伝わった。
『……俺は金が欲しかった。人なんてどうでもよかった』
魔族たちが息をのむ。
片桐自身が一番驚いて、口を押さえた。
「な、なんで……俺、そんなこと言ってない!」
俺も固まった。
(え? 今の、“もうひとつの声”が……)
ヴェルドが小さく目を細めた。
「……今の言葉、理解できたぞ」
「え?」
バルザークも腕を組み、低く唸る。
「確かに聞こえた。言葉の意味が、直接心に入ってきた」
俺は息を吐いた。
胸の中の熱が、まだ消えない。
(まさか……女神の“加護”が、嘘を正そうとして反応したのか?)
ゆっくりと顔を上げ、片桐に言った。
「あなたの翻訳を、正しく“伝わるように”しただけです。
それが、“通訳官の仕事”ですから」
部屋に沈黙が落ちた。
誰もが片桐を見ている。
ヴェルドも、静かに目を細めた。
「……哀れだな」
バルザークが立ち上がる。
「言葉を偽る者に、言葉の資格はない」
「ま、待て! これは俺のスキルが勝手に――!」
「スキルは器を映す鏡だ。貴様のような者には、嘘しか映らん」
その言葉と共に、兵士たちが片桐を連行する。
鎖の音が遠ざかり、静寂だけが残った。
―
「……見事だったな、セージ」
バルザークが俺を見下ろす。
その瞳には、驚きと――ほんのわずかな賞賛が宿っていた。
「言葉で相手を打ち負かした。剣ではなく、声でだ。
貴様の声は……我らの耳にも、確かに“真実”として届いた」
「“真実”として……?」
俺は小さくつぶやいた。
(やっぱり……あれは俺の加護が反応したんだ。
言葉の壁を越えて、“本当の意味”を伝えていた)
ヴェルドが頷く。
「片桐の言葉、我々にも理解できた。
通訳を介さずに、意味が心に直接流れ込んできた」
バルザークが腕を組む。
「つまり貴様は、言葉そのものではなく“真実”を通訳する存在か。
加護か、それとも――神のいたずらか」
俺は小さく息を吐いた。
胸の奥に残る、あの熱。
たぶん、これが“加護の正体”なんだ。
「ありがとうございます。……でも、少し後味が悪いですね」
「それが通訳の宿命だ。真を伝えるとは、時に血を流すことだ」
ヴェルドが静かに微笑んだ。
「お前の言葉が嘘を殺した。通訳官として、これ以上の誉れはない」
俺は天井を見上げた。
異世界の光が、ほんの少し温かく見えた。
(地球でも、異世界でも。
“言葉”ってのは、誰かを傷つけもすれば、救いにもなる)
今日、俺はそれを“証明”した。
バルザークが背を向けながら言った。
「合格だ。これより貴様を正式に――魔王軍通訳官と認める」
「……了解しました」
「まだ仕事は山ほどある。明日から取り掛かるぞ」
(……やっぱりブラック企業じゃん)
俺は小さく苦笑した。
だけど、不思議と嫌な気分じゃなかった。
ここでなら、言葉で戦っていける――そう思えたから。
読んでくださる皆さまに感謝いたします。
世の中、上司にもいろんなタイプがいるものですね。




